■ 111 ■ 夏休み前の下準備 Ⅰ リトリーを添えて公の予定






「若いもんがこうも登山に興味を持ってくれるのはありがたいことだなぁ。歓迎するぞ!」


 我が新聞部にお招きした山岳研究室という建前の山岳愛好家、ルブラン研の室長であるリュック・ルブラン準男爵が私たちを見回してガハハと笑う。

 御年三十六歳、ブロンドの頭髪が顎髭と一体化した、立派な体格を持つ二足歩行のライオンのような男である。獅子みたいな男だけあって笑い声も相応に煩い。


「装備も一通り調えてみましたので確認をお願いします」


 ふむ、と頷いたルブラン室長が机の上に置かれた人数分のザイル、ストックなどを手に取って確認するも、


「アーチェ、アイスバイルが無いようだが? これでは山頂を目指せんぞ」


 ピッケルとフックの役目を果たす片手持ちの鎌のようなアイスアックスがないと難癖を付けてくる。


「ルブラン室長、忘れてるようだからもう一度言いますが目的は山頂踏破ではなく南から北へ抜けることです。うちのお姉様にアイスクライミングができると思いますか」


 なおアイスバイルアックスというのは二本のそれと両脚のアイゼンだけで氷壁・・を登るための道具だからね。

 要するに二本の腕で自分の体重を支えながら何十メートルという垂直の崖を這い進むわけで、うちのお姉様なら多分二メートルも持たないよ。

 この中で一番華奢なお姉様を見やったルブラン室長が困ったように首を横に振る。


「山に興味を持ってくれるのはよいが、その細腕は頂けんなぁ。それでは崖を登り切れんぞ」

「だから崖は登らんと何回言えば分かるんですか。考え得る限りもっとも楽なルートを進んで下さい」


 こう、あれだ。前世もそうだったけどスポーツ愛好家ってのはすーぐ自分の難易度を新入りに押しつけてくるからね。

 そのせいで楽しさを一切感じ取れず、「こんな過酷なことやってらんないよ」と初心者が去ってしまうオチまでがセットだ。


 そう何度も繰り返しているのにこの男は諦めないしずーっと首を傾げているわけで、


「しかしだよアーチェ、それでは山の楽しさが何も伝わらないではないか」

「山の過酷さだけを教えて新人を追い払うのが望みならどうぞそうして下さい。ルブラン室長は御自身が初心者だった頃のことをすっかり忘れていらっしゃるようで」


 いいからぐだぐだ言わずに富士山山頂を目指す程度にまで抑えておけっつの。

 まぁアルヴィオスは結構北にあるから真夏でもモン・サン・ブランには普通に雪が残っているので、崖を登らないルートでも富士山よりはちょっと大変になっちゃうと思うけど。


「これ以上ぐだぐだ言うなら案内には『ルブラン・ルフラン』から別の方を出して貰いますからね。あと支援額削ります」

「そ、それはずるいぞアーチェ! 金で人を脅そうなど浅ましいとは思わんのか!」

「スポンサーの意向を全く無視して活動資金だけ貰おうとする奴の方が賤しいですよ」


 むむむ、と唸っていたルブラン室長だけど、お金を握ってる分だけ私の方が有利なのでね? やがて根負けしたように肩を落とした。


「致し方あるまい。アーチェの言うとおりにしよう。確かに令嬢の細腕ではクライミングは難しいしな」


 そうだよ、言うとおりにしてればいいんだよ。山狂いはこれだから困るよ、見境がないんだから。


「では、改めて第二グループのメンバーを伝えます。お姉様、シーラ、フレイン、プレシア及び各員の侍従ですね。ポーターとしてダートの配下数名、護衛に四バ……おなじみのストラグル卿以下二名とニグリオス卿が付きます」


 そう私に告げられた面々の顔が緊張に引き締まる。

 挙げられたメンバーからして、これが容易ならざる実戦を想定したものだともう皆理解できているのだろう。


「なお、モン・サン・ブランには白竜が棲んでいますので運が悪いと遭遇する可能性がありますね。戦うか逃げるかはパーティリーダーたるお姉様の判断に任せます」

「……本気でお姉様を危険に晒す気なのね」


 シーラが今さらゴクリと唾を飲むけど、当たり前だ。


「その為に必要と思われる可能な限りの備えはしておきます。よって第二グループにはこれから夏休みまでの間に簡単に訓練を受けてもらいます」

「これから、って……し、試験勉強は……?」


 お姉様とプレシアが不安そうに私を見つめてくるが、


「普段からきちんと勉強してれば今さら焦る必要もないはずですね。無論、赤点補講は許さないわよシア」

「またアーチェ様の無茶ぶりだぁああーー!」


 プレシアが頭を抱えてしまったが、まあ最近はちゃんとプレシアも真面目に勉強してるし赤点はギリ回避できるでしょ、多分。


「万が一ドラゴンと戦闘になった場合、フレインには主力を担って貰うことになるでしょう。負担が大きいけど宜しくね」

「お任せ下さい。竜だろうとなんだろうとこの力、主のために振るうのみです」

「防御はシーラ、妨害がお姉様で回復はシアとバランスは取れているから仮に戦闘になっても即壊滅することはないはずです。お姉様の適切な現場判断に期待します」

「私の判断で……仮に死者が出てしまったら?」


 口に出すのも不吉だ、と言わんばかりの顔でお姉様が尋ねてくるが、


「それがなんです? お姉様が王妃になればその命令一つで千や万単位の人が死ぬんです。死なせたくなければお姉様が最善を尽さねばなりません」

「それは、そうかもしれないけど……」


 お姉様が尻込みするのはいつものことだが、今回はシーラが一緒だ。何も問題はあるまいよ。


「リーダーの仕事は何もかも自分一人で考えることではなく、周囲の進言を参考にして最終的な判断を下すことです。周囲の意見、特にシーラとルブラン室長の意見に耳を傾けて、集団としての意思決定を担って下さい」


 間違ったら人が死ぬ? 当たり前だよ。それがアルヴィオス王国民三千万、二百諸侯の頂点に立つ王家の仕事だ。

 これを嫌だと言うくらいなら最初から王妃争いから降りればいい。王妃ってのは王子と結婚したいなんて乙女チックな理由だけでなっていいような立場じゃあないんだよ。


「第二グループの面々は皆自分なりの覚悟を胸にお姉様の下に集っています。当然、命の危険も最初から視野に入れていますので必要以上に怯える必要はありません」


 まだ人の命を背負うには早いってか? それは否定しないよ。お姉様はまだ十四歳だもん。早すぎるのは分かってるさ。

 だけど、万が一にもないだろうけど。もし明日陛下とヴィンセントが揃ってお隠れにでもなったらもうルイセントは王位に就くしかないんだよ?

 備えは早ければ早いほどいいんだ。早すぎるなんてことは現実には一切有り得ないんだよ。


「仮に死者が出た場合その責任はお姉様にありますが、皆が選んで決めた道です。とやかく言うものはいませんよ」

「……分かったわ。覚悟を決めます。皆も宜しくね」

「はい、お姉様」

「主の命のままに」

「が、頑張ります!」


 宜しい。

 では装備の確認を終え、訓練の日程を詰めた後にルブラン室長にはご退室頂いて、次は第一グループだ。


「第一グループは北部侯爵領へと赴き、事前の予約に従って領都の取材を行なうのが任務です。メンバーはヴェス、リトリー、アリー、フィリーですね。護衛には去年度の夜会に招いた騎士から数名を付けます。危険度は低いので小間使いメイド荷運びポーターは各自工面を。獣人でもよければ私が手配します」


 アルヴィオス王国には辺境伯という爵位はない。よって北部国境の統治を担う侯爵家連中がほぼ辺境伯としての役割を占めることになる。

 つまりアルヴィオス王国において多大な責任を担う、オウラン家に次ぐナンバースリー連中が国境沿いの侯爵家だ。第一グループはそういう凄く偉くて凄く強い連中のお相手をするわけだね。


 第二グループと比べて危険度は極めて低いけど、社交の能力が求められるこれもかなり大変な仕事だ。

 なのでメインは侯爵令息ヴェセルと伯爵令嬢リトリーに張って貰う。アリーとフィリーはその助手、書記みたいなもんさ。


「入部早々に悪いけど人材は使い倒すのが何事も人手不足なミスティ陣営なのでね。リーダーはヴェスですが、一年生でもあるのでそれを補佐するリトリーの手腕に期待します」

「承りました」

「聞きしに勝るアンティマスク伯爵令嬢の辣腕だ。本当にウィンティ陣営の私に要職任せるんだねぇ、副部長様は」


 ヴェセルは頷きリトリーは笑うが、私は笑わないよ。


「青年にすすめたいことはただ三語につきる。すなわち働け、もっと働け、あくまで働け」

「アストリッチ伯爵令嬢、アーチェ様が繰り広げる勤労地獄へようこそぉ!」

「伯爵令嬢の辣腕、歓迎致しますわ」

「今度は責務を共に分かち合えて嬉しいです」


 アフィリーシアの熱烈歓待を受けたリトリーが半ば以上本気な顔で胡乱な視線を宙へと投げる。


「あー……来るとこ間違えたかな……」


 今さら後悔したかのようにリトリーが頭をかくがとんでもねぇ。待ってたんだぜェ!! この瞬間ときをよぉ!!

 せいぜい激務ハードワークダンスっちまいな昼行灯よぉ。


「で、私たちに働けと仰る第三グループリーダーは何をなさるんです?」


 猜疑も露わにリトリーが問うてくるけど、


「私たちアンティマスク家はレティセント家夏の館に留まります。役目はレティセント家の蔵書を読み尽くすこと。ま、知識の補充ね」

「あ、いいなー。それ私も混ぜて欲しいなー」


 リトリーがそっちに入れてと目で懇願してくるが、


「冗談。オウラン陣営の貴方をどうして混ぜる必要がありますかリトリー。貴方はせいぜい平部員として私の命令に従っていればいいのよオーッホッホッホッホ!」


 当然のようにこれを切り捨てる。

 ま、茶番だね。リトリーは私がそれで終わるとは思ってないだろうし、実際私はレティセント家に留まるつもりはない。


 第三グループとしての私の役割は魔王国に侵入し、今もって不明瞭なディアブロス王国の現状を把握して帰還することなのだから。






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