■ EX23 ■ 閑話:新聞の反応 Ⅲ
「エミネンシア侯爵令嬢は正攻法を選んだ。本来なら果てしなく長いその正道を短縮するためにアンティマスク伯爵令嬢は新聞という手段を取った、ということか」
「ですが、まだ私とミスティを比較取材した意味が分かりません。公平性のアピールにしても自らを貶める必要はないでしょう」
ふむ、と考え込んだヴィンセントが沈黙していた時間は然程長くはなかった。
「……いや、アンティマスク伯爵令嬢は最初の新聞で公平性をアピールしたかったんじゃない。可能な限り早くにウィンティ・オウランの言葉を載せたかった。これが本命だ」
どういう意味か、とウィンティとリトリーが目を瞬く、そのテーブルを挟んでの向こう側。
推測だけど、と前置きしたヴィンセントが二三、顎に当てていた指で軽く己の頬骨を叩く。
「アンティマスク伯爵令嬢にとって最悪のシナリオは、新聞とやらに書かれていることが嘘八百だと徹底してレッテルを貼られることだ。これは分かるね?」
「はい、情報量を増やし、更にそれが正しいことを――公平性を示しつつ、新聞の内容を広めることが目的なのですからその通りかと」
語ること全てが嘘だと決めつけられれば、それが事実かはさておきアーチェの狙いは頓挫するだろう。
「そうだ、これをやられると出だしから蹴躓く。だから最初にウィンティを取材し、ここに嘘が書かれていないことをオウランに保証させたんだ」
ヴィンセントの言の意味に、アーチェの狙いに気がついたウィンティは無言で息を呑んだ。
このアルヴィオス王国において、公平性を司る王家を除けば最も力ある貴族がオウラン公爵家だ。
そのオウランが取材を受け、その内容が真であると認めている。原稿を確認して嘘はないとサインもした。
「君が嘘はないと認めた以上、以後は他の誰もそう簡単にはあの新聞が出鱈目だとの文句は付けられない。それは僅かとはいえ間接的に君に喧嘩を売ることになるからだ」
「……まんまとアーチェにしてやられた、ということですか、この私が……!」
目先の易い勝利に目を奪われて、まさかそんなアドバンテージをアーチェに与えることになってしまなどと。
王子の手前身じろぎ一つも起こしていないが、ウィンティの内心は今や荒れ狂う火砕流の如しだ。
何か裏があるだろうとは思っていた。
罠があっても食い破り返せると思っていた。落とし穴など飛び越えてみせる自信があった。
しかしそう警戒する自分を前にしてアーチェは落とし穴など一切仕掛けることなく、ごく当然の顔で自分たちの歩く道を整えることに専念していたなどとは。
落とし穴を警戒するあまりに、ウィンティはアーチェのために舗装路をしいてやってしまったのだ。この屈辱はいかばかりか、とウィンティは荒れ狂うが、
「怒らずに勉強の機会だと思うことしておこう、ウィンティ」
愛する男にそう窘められれば、ウィンティの怒りはそれ以上は続かない。
そう感情を鎮めたウィンティがヴィンセントには好ましく映ったようだ。ニッコリと微笑んでティーカップを喜ばしげに傾ける。
「どうやらアンティマスク伯爵令嬢は他人を貶めず自分たちに益をもたらす策を得意としているみたいだね。いや……あるいは性格的に他人を罠に嵌められないのかも」
「……言われてみれば、確かに」
ウィンティからすれば蒙を啓かれた思いである。これまでさんざんアーチェに煮え湯を飲まされてきたが、よくよく考えればアーチェ自身の害意でウィンティが傷つけられたことは一度もない。
あれだけの才女にして、アーチェはあの「淑女嫌いのアンティマスク」の一人娘だ。他人を陥れる才に欠けているなら、そもアンティマスク伯は娘の存在をなかったものとして扱うだろうに――アーチェはアンティマスク伯グリシアスに見限られてはいない。それだけの才があるのだ。
では、どうしてアーチェはウィンティを陥れる策をこれまで一度も巡らしてはいないのか。
好き好んで殴られる趣味がないから手を出してこないのかと思っていたが――そもそも他人を嵌めることそれ自体が苦手という可能性も確かにある。だとすれば、これは明確なアーチェの弱点だ。
「何にせよ私たちからアンティマスク伯爵令嬢やエミネンシア侯爵令嬢を攻める必要はないね。向こうが本気で新聞を攻撃に使う気がないなら迂闊な攻撃は逆効果だ」
公平な相手を叩くのは不公平な側のやることだし、派閥争いだからこれぐらいは当然と開き直ろうにも、新聞を学生が楽しんでいるとしたらやはりウィンティの印象は悪くなる。
「では、我々も同じ事をやりますか?」
猿真似と最初は笑われるだろうが、新聞の作成は何ら特別な準備や設備が必要なわけではない。同じ事をウィンティたちもやろうと思えば出来るわけだが。
「……やめておこう。我々がそれをやると間違いなく上位貴族と下位貴族で対立が起きる」
純粋に王位争いだけを見れば、ウィンティたちも独自の新聞を発行するほうが対処としては順当だ。
だが現状ではウィンティは上位貴族に影響力があり、ミスティは下位貴族に影響力を持ち始めている。
この状況で互いが互いの持ち味を生かして攻めていけば、確実に上位貴族と下位貴族の間で対立が起き始める。
ヴィンセントとルイセント、どちらが王位に就くにしても今後に遺恨が残る手段を推進して困るのは王位に就いた者だ。後は野となれでよいのであれば、いくらでも手段はあるだろうが。
「……では、アーチェの躍進を見守るのみと?」
「杭が出すぎたなら自ずと叩いてくれる。それぐらいの支援は後ろ盾に期待してもよいだろう?」
その一言でウィンティの不安は一瞬にして消え去った。要するにヴィンセントはこう言っているのだ。
策略はそれが得意な人がやればいい。そういう危険なことはファスティアス・オウランに任せてしまえ、と。
「だからウィンティ、君は君でこの新聞を最大限に活用してやればいいさ」
「と、仰いますと?」
「なに、この新聞とやらは『学生にとって好ましい情報の発信源』なんだろう? なら君の派閥がより良い品、服装、装飾、美食を常に発信していけば、アンティマスク伯爵令嬢はそれを無視できないだろう」
成程、とウィンティは頷いた。
先ほどヴィンセントが言ったとおり、正誤や公平性は二次的情報だ。その前に一次的情報がなければ何の意味もなさない。
そして一次的情報の作成という面で言えば、国内最大貴族であるオウラン家には余りある財力のバックアップがある。
もっとも美的センスという意味ではミスティも国内外の様々な品を試金石に磨いた審美眼を持っているので、決定的なワンサイドゲームに持ち込むのは難しいだろうが。
「私たちがより良い貴族として振る舞う限り、それを無視し続けるのは不公平ですからね」
「そういうことさ。もっとも私の予想だとアンティマスク伯爵令嬢は嬉々として君の派閥へ取材に行くと思うけどね」
そうだろうな、とウィンティは否定することなく頷いた。いくら派閥のためとはいえやりたくないことなんかやらないと言っていたアーチェである。
この新聞自体がそもそもアーチェがやりたいからやっているのであって、ミスティの利益などその次に過ぎないのだろう。あれはそういう女だ。
アーチェ・アンティマスクの主はアーチェ・アンティマスクだ。誰にもあれを従えることはできないだろうとウィンティも思う。
何せアーチェの上司にして同類であるアルジェ・リージェンス自身がそういう人であることを、ウィンティは誰よりもよく知っているからだ。
ただそれはそれとして、
「ヴィンセント様、少し攻め手を緩めてますわよね」
ヴィンセントの言ったことに嘘はない。確かにお互い新聞で張り合えば上位貴族と下位貴族の溝は深まるだろう。
だが第一王子と第二王子で力量争いをする以上、国に溝ができることはどうやっても避けられないのだ。ヴィンセントの弁は言い訳として少し弱い、とウィンティは感じ、そしてそれは疑いようのない事実だった。
「ま、賄賂を貰っちゃったからね」
そしてヴィンセントも悪びれず自分が若干手心を加えていることを認め、一つの封筒を茶卓の上へと大事そうに差し出してみせる。
なんだろう、とウィンティがそれを手に取って中身を検めて――ああもう、己は今日あと何回顔を朱く染めればいいのかと震え始める。震えの原因は怒りか、それとも羞恥か。
「よく撮れてるよね、とても可憐だ。綺麗だよ、私のウィンティ」
封筒の中に入っていたのはあの時アーチェが撮影し、新聞に貼り付けられてもいるウィンティの写真である。
改めてウィンティは写真が何枚でも複製可能であるという強みを此処で初めて痛感したのであった。よりにもよってこれをヴィンセントの元に送りつけていたなどと!
「私もずっと欲しいなと思ってたところにこれだ。損得抜きにこういうの貰っちゃうとあれだ、あまり強気には出られないよね。流石は
「こ、こんな……あああ、アーチェめぇ……!」
やっぱりあの女のやり口は好きになれん、とウィンティは打倒アーチェの志を再燃させることとなった。
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