■ EX21 ■ 閑話:総合魔術演習のその後 Ⅲ






「全く以て忌々しい……!」


 第三師団の天幕が立ち並ぶ中、中央付近に一際大きく張られた円形の天蓋の下でボワイン・ヴィガレスが呻く。

 ガンと拳の叩き付けられた簡易デスクの上でペンが跳ね上がって転がり、しかしすんでの所で天板上に留まったのは僥倖であろう。


「ハスラーめ、ウィンティ様がご卒業なさった途端に時を得顔で!」

「しかしエミネンシア侯爵令嬢はジャムス伯の肩は持ちませんでしたぞ」


 参謀のタリアンスが主をそう諫めるがそんなもの、ヴィガレス伯にとってなんの慰めにもならない。


「それがどうした。エミネンシア侯爵令嬢は公平性を示そうとするだろう。今日あの小娘がなんといっていたか貴様、もう忘れたのか?」


――第三師団は正面決戦には強くとも・・・・・・・・・・やや奇襲への対処を苦手としているように見受けられました。以後第三師団が長所を更に伸ばすのか、それとも苦手を克服するのか、閣下の辣腕に期待させて頂きますね。


 ミスティはそう第三師団の評価を締めくくった。

 エミネンシアの箱入り娘と侮っていたあの少女は、明らかに第三師団の実力が騎士団として下位に位置することを見抜いていた。

 騎士団がどれだけ戦えるか、どれくらいが平均かという自分なりの物差しを彼女はキチンと持っていたのだ。ウィンティ・オウランとは違い。


「確かに我らの面目は保たれた。だがいいか、エミネンシア侯爵令嬢がそのようにルイセント殿下に伝えてみろ。我々は以後正面決戦に強い・・・・・・師団として扱われるのだぞ」


 そういう扱いになれば当然、第三師団は仮に戦になった場合、敵と正面から相対することを求められる。

 いざそうなったら勝ち目があるかどうか、という危うい未来が予想できる程度にはボワイン・ヴィガレスの目は曇ってはいない。


 これまで第三師団はアタリの配属先だと騎士たちの間では評判だった。

 指導はそこまで厳しくもなく、装備も新しい物が優先して回される。


 ここ数百年、ろくに戦争なんてなかったのだ。誰もが己を鍛え上げる意味を見失っているし、だから群れとして強い軍隊であることに価値を見いだせない。

 働きアリの法則で言う、二割の働かないアリになることを誰もが望んでいて、第三師団はそれを叶えてくれる楽な職場としてボワイン・ヴィガレスの評判は良好だった。


 これまでは、の話であるが。


「仮に戦が起こった場合、我々が投入されるのは最前線だ。生きて帰れる自信があるか? 貴様は」

「ですが閣下、戦争などここ数百年にわたり起きておりません。そのように慌てる必要がどこにあるでしょうか」


 参謀タリアンスの言は単に彼一人が楽観的な無能というわけではなく、アルヴィオス王国国家騎士団の常識と呼んで一切差し支えのない意見である。

 あの程度のことでこうも落ち着きを失っているジャムス伯こそが見苦しい、とまで考えるのが一般的なモノの見方である。

 だが、


「戦争をやるかやらないかを決める権利の全てがこちらにあるとでも? それを決めるのは私でもお前でもない。あのクソ忌々しい河向こうの獣共だ! 畜生にそんな理性が期待できるか馬鹿が!」


 だがボワイン・ヴィガレスは妙なところで戦というものの真理を理解しており、しかしどうにも小心な部分のある男であった。天が崩れ落ちてきはしないかと心配する類いの弱気を持っていた。

 万が一の不安をどうしても無視できない、自分で自分の恐怖を煽る癖を持つのがボワイン・ヴィガレスという男だった。

 だがそれでも、アルヴィオス貴族の都合だけで戦が起こるわけではないと現実的に受け止められているのは、この男が全くの無能ではないことの証でもある。


「……では、どうなさるのです?」

「決まってる。騎士共を鍛えるしかあるまい」


 そんな性格なので、自分が柔軟な戦術家だと自惚れる愚かしい趣味とは、ボワイン・ヴィガレスは幸いにして無縁だった。


 奇策を弄する知恵はない。搦め手で相手を翻弄できない。

 ならばやることは基本中の基本、今まで手を抜いていた騎士の育成を真面目にやるしかない。

 仮に敵と正面で相対することを強いられても、要は勝って打ち破ってしまえばいいのだから。


 力で全てを解決しようとはなんとも虫のいい話ではあろう。

 だがそれ以外に何をすればいいか、ボワイン・ヴィガレスにはついぞ思いつかなかったのだ。


「おのれ……このような形でせっかく集めた下位貴族からの歓心を失うことになろうとは……」


 悔しげに拳を握りしめるボワイン・ヴィガレスに「器の小さい臆病な男だ」とタリアンスは内心で冷笑を浴びせていたが、表面的には恭しく引き下がった。

 この貴族社会では下位の者が上位の者の意見を覆そうとするなど徒労であることをタリアンスはよく知っていたからだ。




 翌日より第三師団は指揮官が代わったかのような厳しい鍛錬が科せられることとなった。

 騎士たちからは不満の声が数多上がるもヴィガレス伯はその一切を無視して退け、ヴィガレス伯はある意味アンティマスク伯に並ぶほど嫌われる貴族となり――


 そして第三師団の正面火力は日に日に鍛え上げられていき、ついには「津波師団」とまで呼ばれるようになった。無論、前に進むことしかできぬ事を論った嘲笑の二つ名である。

 柔軟性はない。策謀もない。ただ圧倒的火力で以て進み真っ正面の敵をなぎ倒す。

 それ以外はできないし、それしかやらない。だがその破壊力は津波の如しだ。嘲笑ではあるが畏怖もまた込められた二つ名だ。


 第三師団がそう変化したことは、はたしてアルヴィオス王国にとって良いことだったのか悪いことだったのか。

 それはいずれ訪れる歴史の扉が開いてみなければ誰にも分からないことである。


 ただ少なくともこの時点でヴィガレス伯もタリアンスも、第三師団員も全員が己の不幸を嘆いていたのはこれ、疑いようのない事実である。




――――――――――――――――




「やはりアンティマスク伯のご令嬢は切れ者でしたね」


 果たして第二師団は本営において参謀タバードの言に頷くこともなく、ハスラー・ジャムス伯は手に持つマグの水面へじっと視線を投じる。

 確かにウィンティが本格的に社交界入りし忙しくなったこの好機、これを機にもう一人の王家の婚約者を利用して謀った巻き返しはアンティマスク伯爵令嬢の手によって阻まれた。

 最初からアーチェにいいようにやられた。それは疑いようのない事実だ。

 だが、


「お前はエミネンシア侯爵令嬢をどう思った?」

「エミネンシア侯爵令嬢ですか? アンティマスク伯爵令嬢に比べるとパッとしないなと。ああ、容姿の話なら真逆ですよ」


 ジャムス伯が笑ったのはその物言いがおかしかったからではなく、タバードにユーモアのセンスが全くない点についてである。

 そう、アンティマスク伯爵令嬢に比べるとパッとしない。それは事実だ。事実だが、


「誰に言われるまでもなく、彼女自身も我らの手抜きに最初から気がついていたぞ」

「ご冗談を、あの時点で気づけるはずもないでしょう」


 相手の擬態を見破れるか否かは、自身の中に明確な基準があってこそ可能となる。

 後半の本気を出した動きを見てからならともかく、戦場に立ったこともない令嬢が前半時点であれを手抜きだと見抜けるはずがない。


 少なくとも、ウィンティとその配下には見抜かれたことはなかった。というより令嬢に見抜かれるはずがないのだ。その因って立つ知識が令嬢にはないのだから。

 例えるなら初めてスケート靴を履いて氷の上に立った初心者が、四回転を飛べる者の二回転ジャンプを見て絶技と感心してしまうのと同じだ。


「侯爵令嬢は冬に若手騎士を招いて夜会を開いていたな。単に歓心を買うためのポーズだと思っていたが――案外本気で下級貴族たちを囲い込む気かもしれん」

「ご冗談を、彼女は侯爵令嬢で、しかも下々のことなど見向きもしない王家の婚約者ですよ? それに彼女は見た目だけで中身が空っぽと専ら評判ではないですか」

「では此度の件はどうだ? 最終的に我らの目論見を封じて退けたのはアンティマスク伯爵令嬢ではない、エミネンシア侯爵令嬢だぞ」


 アイサインはしていたし、いくつかヒントを授けられていると思しき点も見受けられた。

 しかし最終的に誰の助言も受けることなくエミネンシア侯爵令嬢は自ら判断し、自らの中立性を確保して見せた。ハスラーの駒たることを拒否し、両伯爵の面子を保って見せた。

 あれが噂通り見た目しか取り柄がない娘であったなら、今日のあの振る舞いをなんとする。ただの偶然であったとでも?


「買いかぶりすぎではありませんか?」

「かもしれん。だが獅子の子を猫と見紛う愚は避けたいところだ。お前はそうは思わんか?」

「獅子の子でも猫程度の大きさしかないなら可愛いモノですよ。怯える意味がありません」


 そういうことを言いたいわけではないのだが、とジャムス伯ハスラーは溜息を吐き、しかしそれが明言を避けるタバードの擬態であるということを直感で看破した。

 確かタバードは前の師団で上司の不興を被り、こちらに回されてきた経歴であった筈だ。


 要するに失言を避けたいだけか、とジャムス伯は嘆息した。


 上の機嫌一つで下の連中が簡単に飛ばされたり閑職に回されたりする。

 こんな状況で真面目な提言や忠言など、期待する方が間違っているだろう。タバードが悪いわけではなく、環境が悪いのだ。

 参謀が率直な意見を上げることを職務に忠実と思わず、むしろ反抗的な口答えと思うような環境が醸されている。これこそが現国家騎士団最大の弱点だろう。


「願わくば、私が死ぬまで戦など起こらんことを」

「死後は宜しいのですか?」

「死んでからのことまでは責任は持てんよ。だが生きている今はまぁ、最善手を尽すべきだろうな」


 いずれにせよ上手く立ち回ることが重要だ。その為に配下の騎士が強くて困ることはない。弱卒を装いつつ、力は溜めておくべきだろう。

 装備の不備も、エミネンシア侯爵令嬢の報告で多少は改善が見込める筈だ。当初狙っていた、よく熟れた果実に手は届かなかったものの、一つの果実も掴めなかったわけではない。


「戦場に政治の習わしを持ち込むのは悪しき風習だが――言っても詮無きことか」

「人の居る場所に権謀術数は尽きぬものです」


 あるいはこれこそが本日最大のタバードが見せた忠誠、あるいは冗句だったのかもしれない。

 ジャムス伯は苦笑いを浮かべると、部下に早めの休憩を取るよう促した。

 なんにせよ、なるようにしかならないものだ。そうなった時にどう動けるかは、そも心身が健康でなくてはどうしようもないのだから。






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