■ EX21 ■ 閑話:総合魔術演習のその後 Ⅱ
「自分がいない方が世の中が上手く回る……って、あれほどの才あるお方が、なんでそんなことを考えるんだろう」
フィリーの呟きに、悪気はないのだろうがこれは釘を刺しておいた方が良いな、と普段はふて寝ばかりしているプレシアの判断能力が久しぶりに目を覚ました。
「フィリー、あまりアーチェ様のこと褒めない方がいいよ。アーチェ様自分の知識を褒められると不機嫌になるから」
「……なんで?」
嘘でしょ、とばかりにフィリーはアレジアを見るが、アレジアは真顔で首を縦に振ってみせる。
「嘘みたいだけど本当のことよ。これについてはお姉様やシーラ様も最近はかなり気を使ってるし」
「やっぱり理解が及ばない御方だわ……」
フィリーが小さく呻いた。
人は誰しも、自分の生きた意味と価値を求めて足掻いている。それがフィリー・ゼイニの常識だった。
「シアもアリーも自分が生きていることに意味があるって、自分は無価値な存在じゃないって、そう思いたいわよね」
「それは……当然よ」
アレジアもそれは否定できない。何よりアーチェにとって自分が価値のある人間だと思って貰いたいと考えている。
今のアレジアにとって、それ以上に幸せを感じるものなど存在しないのだが――アーチェはアレジアとは違う。
アーチェはアフィリーシアはおろかシーラにもミスティにも自分の才能を認めて貰いたいとは微塵も思っていない。好かれたいとも多分思っていない。物質的どころか精神的な見返りもなくミスティに仕えているのは異常でしかない。
ミスティやシーラにはそんなアーチェ・アンティマスクという人間が読み切れているのだろうか? アレジアには分からない。
「普通はそうだよ。アーチェ様がおかしいんだって」
アレジアのみならずフィリーにとってもプレシアにとっても、アーチェは己の物差しで計りきれる生物を軽く越えている。
己が無意味な存在であることに耐えられない。己は世界にとって存在するに足る価値ある存在であると、そうなりたいと足掻くのが人の生きる道だと思っていたのに。
「アーチェ様にとって私たちはいてもいなくてもいい存在なのかしらね」
軽く、緑目の怪物が顔を覗かせるのをアレジアは止められなかった。
究極的には聖属性持ちのプレシアだけいればアーチェはそれでいいのではないか、という疑念が拭えないが為に。
だが、
「必要かどうかは分からないけど、アーチェ様はアリーもフィリーも好きだと思うよ」
「……どうして?」
「だってアーチェ様言ってたし。自分で考えて自分で行動して、その責任を自分で負えって。神のご加護なんてオマケだし、私たちの人生に神なんて関わらせるなって」
「「えぇ……」」
二人が完全に混乱してしまうのも致し方あるまい、とプレシアは思う。並の王国貴族にとっては神のご加護を無視することなどできないのだから。
プレシアも最初に聞いた時は我が耳を疑ったが、あの時のアーチェは完全に貴族の顔をかなぐり捨てて本心から憤っていた。
「アーチェ様にとって重要なのはあとに何が残るか、じゃなくて今自分が自分の望む人生を生きているかなんじゃないかな」
疑いなくアーチェは神を、いや正確には神を己の生きる支えにしている人を――更に正確に言えば神に自分の責任を背負って貰いたがる人間を徹底して嫌っている。
「アーチェ様がお姉様とシーラ様のこと大好きなの、多分お二人が神の加護なんて関係なく自分の人生を生きているからだと思うし」
「ああ、そういわれると少し納得できる部分もあるわね」
ミスティもシーラも令嬢としては完全に外れの加護を引いてしまっている。だがそんなことに関係なくシーラは優秀だし、ミスティも一度としてアフィリーシアの前で闇神の加護を疎んだそぶりなど見せたことがない。王子の婚約者たるに相応しくあるべく、自らの知恵と思考を鍛え続けている。
そしてそんな両者に向けられるアーチェの視線には、明らかに敬意が籠っている。どう考えたってアーチェの方が二人より聡明であるのに、だ。
「アーチェ様がべんきょうしなさーい! って厳しいのもようやくそれで分かったんだよねー。私聖属性なくなったらただの庶民だし」
そう自嘲するプレシアがしかしどこか嬉しげな理由もアレジアには少しだけ理解できた。
仮にプレシアが何らかの理由で聖属性を封じられても、令嬢としての価値が残るように。そこまで己のことを慮ってくれていたのだと分かれば自然と頬もほころぶというものだ。アーチェがアリーもフィリーも好きだ、というのもまた、同時に理解が進んだ。
「重要なのは結果として何が残るかではなく、目指すものへ向かってどう生きているか、か」
そしてアーチェが今のアレジアを好きであって大好きではない、とプレシアが評した意味もアレジアは納得できてしまった。
今のアレジアはアーチェが絶対的な正義であり、そのアーチェの力になることが己の全てだったからだ。しかしそういう在り方を、アーチェは多分好んでいない。
そういう視点ならむしろフィリーの方がよっぽどアーチェにとって好ましくはあるだろう。……まあ、フィリーの在り方には若干退いているようにも見えるが。
「でも、何を目指せばいいのかしらね」
「それを悩むところからが、多分アーチェ様の望むことだと思う。それ私何回も言われたもん。その答え次第ではいつでもミスティ陣営を抜けていいって」
アーチェはしつこいくらいにプレシアにそれを強調する。しかしすぐに答えを出せとは一度も言われていない。
だから多分「自分とその周囲が幸せになるために何をせねばならないか、を常に問い続けること」が重要なのだとプレシアは今暫定的な解を出していた。
ならばプレシアの暫定目標は、恩人が己に注いでくれただけの恩義に報いることだ。流れに身を委ねるのではなく明確な目的意識を持って、アーチェに恩を返すことだ。無論、自分が大成したらアーチェがいなくなってしまうかもという意識が足を引っ張っているため、全力でそれをやれてはいないのだが。
「……ああ、だからアーチェ様は私を一切咎め立てしないのね」
何故自分がアーチェに許されているのか、フィリーはそれでようやくストンと理解が胃の腑に落ちた思いだった。
理由があるならそうすればいい。しかしその責任は自分で負え、と。
その結果としてフィリーは己が愚かさを認め、迫りくる死をも受け入れ、責任逃れをしなかったからアーチェはもうとっくに――いや最初からフィリーを許しているのだ。
「アーチェ様の望みってなんなのかしら」
「アーチェ様自身が多分、それをずっと考え続けていると思うよ」
「アーチェ様自身にもまだ明確な答えはないのね。まぁそれもそうか」
アレジア、プレシア、フィリーは三者三様に己なりに得心がいったように頷いた。
三人が得た納得はバラバラではあったが、そんな三者でも唯一共通していたのは「そんなに簡単に答えが出るならば苦労はしない」という認識だろう。
三人にとって目指す道は未だ遙か遠く、その行き着く先も見えてはいないが――少なくともどう生きればいいか、それだけは朧気に見え始めてきたように思える。
もっともそんな今日の理解とて、明日には自ら誤謬と断ずる程度のモノであるのかもしれなかったが。
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