■ EX21 ■ 閑話:総合魔術演習のその後 Ⅰ
クラールス平原は幾ら王都に近いとは言え、それでも一万人異常の兵が展開できる広けた土地だ。
そこへ赴き、演習を終えてその日のうちに王都に帰還できるほどの近場にあるわけではない。畢竟、一晩を野営で過ごすことになる。
無論、招待者である第二師団がきちんと女性向きの天幕を大小二つ用意してくれているので、その点に関しては問題はないが。
大きめの方は侍従のいる三者が用いるのは自然の流れであったため、アフィリーシアが今いる天幕は自然と小さめの方になる。
「結局さ、今日のあれはどういうことだったの?」
髪を解き、簡単に濡れ布巾で身体と髪を拭い終えたプレシアがそう尋ねると、「推測だけど」と前置きしたアレジアが寝袋を広げながら予想を口にした。
「多分、ジャムス伯が職場環境改善のためにお姉様を利用しようとして、それをアーチェ様たちが上手くいなした、ってところだと思うわ。フィリーの判断は?」
「私も概ね同じ見解ね」
「ふーん……職場環境改善って?」
「ほら、実際には第二師団の方が練度は上だったのに装備の刷新は第三師団が優先されてたでしょ?」
「あー、それ不思議だったんだよね。何でかな?」
「そりゃあ第三師団のヴィガレス伯が
へー、と頷いたプレシアはやがて憤懣やるかたなし、と言った様相で枕相手にチョークスリーパーを始める。
「そんなことで忙しいアーチェ様の時間奪わないで欲しいよね。で、アーチェ様はそれ上手く躱せたの?」
「多分ね。最後にお姉様が両伯爵に釘を刺してたでしょ? だから中立としては振る舞えてたと思うわ」
「アーチェ様って凄いのね。伯爵家当主相手に一歩も退かないどころか最初から最後までほぼ優勢を維持してるの、尋常じゃないわ」
あの手管を思い出すと今でもフィリーは興奮を抑えきれないのである。
これまで第二師団は恐らく第三師団に自発的に勝ってしまうと睨まれる立場に甘んじていたのだろう。
だからこそ第二師団は自分たちの方が優秀だということを示すために、ミスティの介入を口実として第三師団を圧倒し、それをミスティに印象づけようとした。
ミスティの横やり、その要望に添う必要があったからこそ第二師団が勝ってしまったのだ、仕方がないことだったという対外的な言い訳を用意した上で、ミスティに第二師団の方が優秀であるとの情報を持ち帰らせようとした。
しかしアーチェは状況がジャムス伯の思うままになることを良しとしなかった。
伯の思惑に乗って危機回避能力の明確化を提案したと見せかけ、しかしその真意がまさか両伯爵から兵力を引き離すことにあるなど誰が想像できただろうか。
「あそこで暗に『私が指揮官なら貴方たちを殺せるんですよ』って目で語ってたの、あまりの凜々しさに震えが止まらなかったわ」
「え、アーチェ様そんなこと言ってたの? いつ?」
まだ文脈の裏を読むのは苦手なのね、と軽く嘆息したアレジアはこの頃すっかりプレシア相手の解説役が板に付いてきたようだ。
「お姉様を人質にするってアーチェ様仰っていたでしょ? あれはお姉様の側にいる両伯爵も人質にできるって読解するのよ」
「あ、そういう……うわー、アーチェ様ってば相変らずえげつないし、思考が死に寄り添ってるなぁ」
だが、そんな己には読み切れない裏をサラッと語られたことで、アレジアの心臓はどきんと跳ね上がってしまった。
「シア、アーチェ様の思考が死に寄り添ってるってどういうこと?」
「え、今アリーが言ってたじゃん。伯爵たちを殺せるなら当然、アーチェ様だって仕留められるでしょ」
思わぬ事実を突きつけられたアレジアは全身の産毛が総毛立つのを感じた。そうだ、あの策は自分の身を危険に晒すことが前提でないと思いつけないのだ。
自分の望む結果を手に入れるためならば自分の命すら容易に秤にかけることを躊躇わない。その覚悟があるからこそ、アーチェは今日両伯爵の裏をかくことができたのだ。
「最近ようやく分かったんだよねぇ。アーチェ様って外れ加護だし普通の貴族なのに全然他の人たちより優秀じゃない?」
「そうね。どうやったらアーチェ様に追いつけるのか、想像すらできないわ」
「シーラ様も私からしたら雲の上の御方だけど、アーチェ様にだけは敵わないって常々仰ってるし」
その点においてはアレジアもフィリーも異論はない。アーチェは雲の上の人間としか思えなかった。
だがプレシアはそうは見ていないらしいのが両者にとっては不思議である。
「うん。でもアーチェ様が凄いのってさ、自分の命を投げ出すことが最初から選択肢に入ってるからなんじゃないかなって」
そうじゃなければ平然と庶民の格好でスラムに赴き獣人と取引し、アンナと共に魔獣の住処が近い郊外に向かい、狂獣の前に平然と立ちはだかる事なんてできるはずがない。
アーチェの異常性は自らの安全を切り捨てることで無理矢理選択肢を広げた結果として担保されていると考えれば、普通の令嬢では敵わないのは当然と言える。
理解が及ばない、とアレジアが肩を抱く一方で、フィリーはその一端が理解できたような気がした。
自分の命を投げ捨てていたからこそ、フィリーはウィンティに辞表を叩き付けるという、普通の貴族なら絶対に二の足を踏むであろう危険を平然と冒せたのだ。
自身の安全というロックを外せば、その者が行える行動の幅は一気に広がる。その事実をフィリーは身を以て知っていた。
無論、それを濫用すると周囲に迷惑をかけることになるとフィリーは重々承知していたため、一抹の不安を抱かざるを得なかったが。
「アーチェ様は未来を諦めていらっしゃるということ?」
アレジアがそう困惑も露わに零すけれど、複雑な表情でプレシアは首を――悩んだ末に横に振る。
「多分逆。アーチェ様は自分がいなくても自分の望む未来に届くって思ってるっぽい」
あの時語られた言葉をプレシアは思い出す。
自分がいなくてもプレシアは学院で一人で生きていけたはずだ、なんて確信を以て語っていたアーチェの目を。
プレシアにはアーチェのいない世界で生き延びる自分なんて想像もできないというのに、アーチェはむしろ自分の存在がプレシアにとって害悪とすら感じているようであった。
「それってつまり、アーチェ様の望む世界にはアーチェ様の生存が必須ではないということ、よね?」
恐る恐る問うアレジアに、今度は苦々しげな顔をしつつもプレシアは頷いてみせる。
「アーチェ様、むしろ自分がいない方が世の中が上手く回るとすら思ってるかもしれない」
「えぇ……」
だからこそ、プレシア・フェリトリーは全力でアーチェの足を引っ張らざるを得ないのだ。プレシアはそれを半ば意図的にやっている。
もう大丈夫だ、とアーチェが確信してしまったら、そのままアーチェが己の側からいなくなってしまうのではないか、という不安が拭えない故に。
自分が未熟なままでいれば、アーチェは「仕方がないわね」って溜息吐きながら一緒にいてくれるに違いないと、そう願わずにはいられないが為に。
だけど己が成長しないと、いざという時に望む誰かを救えないかもしれない、という事実もまたアーチェによって突きつけられてしまった。
であるからこそプレシアは努力しなければならないし、しかしその努力がアーチェの安堵と生存への執着放棄に繋がるのでは、というダブルバインドをどうすればいいのか。
その答えを未だ出せないでいるプレシアはだから、アーチェにそれを覚らせないようにしつつも煩悶とした日々を送っているのである。
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