■ 106 ■ 総合魔術演習 Ⅳ
「切れ者と名高いアンティマスク伯家のご令嬢にはこの戦場がどう見えますか?」
そしてここで私に話を振ってくる辺り、このジャムス伯は確信犯だね。
この状況を見たお姉様がどう行動するか、それを値踏みする気満々じゃないか。
さて――どうしたものか。下手に首を突っ込むとお姉様が、いや。
ここに来てもう無関係を気取ることは不可能、この先どう行動してもお姉様の評価が変わることは避けられない。
であれば、
「第二師団のそれより第三師団の装備の方が良いもののように見えますが、それは何故でしょう?」
さりげなくを装って、お姉様にヒントを出していくしかないね。
そう私が尋ねると、何故か第三師団長のヴィガレス伯が相好を崩して顎をなでる。
「おお、アンティマスク伯の御令嬢は流石に目の付け所が鋭いようだ。左様、騎士団の装備は実力に応じて刷新していきますからな」
ほーん。そゆこと。
ヒントどころか解答くれてありがとうヴィガレス伯。まんまそれ答えじゃん。
この一言でお姉様はフェリトリーで得た見地から、シーラはその磨きに磨いた洞察力からだいたいの状況を察したようだ。
三人でさっくり視線を交わして、
――どうしましょう?
――御心のままにどうぞ。
――逃がしてはくれないみたいなので。
簡単にアイサインでお姉様に覚悟を促しておく。無言ではこれが限界だ。あとはお姉様がどう自分のストーリーを作るか、だね。
この場で敵を作らずに撤退するのはもう不可能だ。ならばどう動くのが最善か、どうすれば自分にとって最大の利益を引き出せるか。
誰に味方をすればお姉様にとってもっとも好都合となるか。それをお姉様自身に今決めて貰うしかない。
まったく、これじゃあお茶会と大差ないじゃないか。
いや、そもそも貴族社会なんだから、どこに行ったってお姉様は王子の婚約者として値踏みされる定めにあるって事か。本当に休まる暇がないねお姉様はさ。
「より優れた部隊から優先して装備を調えていく、ということなのですね。ただ、その割には互角のように見えるのですが……」
お姉様が含みを持たせた言葉を切りながら演習に視線を投じると、
「演習ですからな。どちらかが一方的に蹂躙してしまっては訓練にならないでしょう」
肩で風を切りながら威風堂々、ヴィガレス伯はそんな事を仰いやがる。
あー、うん。ものはいいようだね。そーだよな演習だもんな。
「ですが実戦を想定しての訓練で手加減をしてしまうのでは、第三師団の鍛錬にならないのでは?」
「騎士団の戦とは集団戦ですからな。突き抜けた一つの部隊を作り上げるよりも平均値を向上させる方が宜しいのですよ」
おー、流石は海千山千の伯爵家当主。お姉様程度の反論では突破できないか。実際ヴィガレス伯の言う通りだと私も思うし。
騎士団に必要なのは突出した点としての特記戦力じゃなくて面での強さだしね。ヴィガレス伯は事実のみでお姉様の疑問を捌ききった。
「しかし確かに、このまま戦況が変化しない様を見せられてもエミネンシア侯爵令嬢も退屈でしょう。そうですな、何かご希望でもあれば仰って下さい。可能な限りご意向に沿いますぞ」
そしてここでジャムス伯が無茶を挟んできたのに――なんだ。ヴィガレス伯が軽く睨むだけで何も言ってこないのは、ははぁん。
どうやら似たようなことを以前ヴィガレス伯の方が言ったことがあるって事か。その時のお相手はウィンティかな?
ふむふむ、これで第二師団のやる気が無いことも含めておおかたのバックボーンは掴めたかな。
「希望、ですか。そうですね、私は戦術面に疎くて――アーチェ」
「はい、お姉様」
「貴方ならここからどう部隊を動かして? 両師団に負担をかけず、かつ演習として騎士たちがよき糧を得られるように」
おおぅ、ここで私に振るのはいいパスだよお姉様。恨まれそうな役割はお姉様が背負い込む必要はないからね。
まぁお姉様はそんなこと考えてるんじゃなくて、単純に部隊指揮なんてよく分からないから私に振っただけだろうけど。
お姉様に一つ頷いて、ジャムス伯へと向き直る。
「ジャムス伯爵閣下、このあと白兵戦演習も控えておりますよね?」
「ええ、そう予定を組んでおります」
「ではその演習参加者を現演習に投入する、というのはどうでしょう。それぞれ両部隊の後背から襲いかからせては如何かと」
一つ予定を繰り上げてしまおう、と提案するとシーラとお姉様が興味と不安のない交ぜになった視線をこっちに向けてきた。
アリーシアはあれだ、また私の悪い病気が始まったよみたいな困惑顔で、フィリーは純粋にワクワク楽しんでいるように見える。自分の欲望に素直だねこの子。
さて、私にそう提案されたジャムス伯とヴィガレス伯だけど、二人とも虹彩に僅かな色が浮かんでいて軽い興奮状態にあるようだ。
ただジャムス伯のそれが興味の色であるのに対し、
「お待ちをアンティマスク伯爵令嬢、そのようなことをおっしゃられては以後の予定が狂ってしまいますぞ」
ふざけんな○すぞ小娘が、みたいな感情を抑え込んでるっぽい微笑でヴィガレス伯が窘めてくるけど、
「あの、これは実戦を想定した演習なのでしょう? 実戦で敵が予定通り動いてくれるとは限らないと思うのですが……」
頬に手を当てて実に不思議そうにそう尋ねてやると、流石にヴィガレス伯も一瞬言葉につまったようだった。
そして伯が再び口を開く前に、実に愉快げな低い笑い声が私とヴィガレス伯の間に差し挟まれる。
「これは一本取られましたなヴィガレス中将。確かに予定通り動かない相手には勝てません、などと騎士団に言われては令嬢がたも不安になりましょうぞ――タバード!」
いや、私そこまでは言ってないんだけどってツッコむより早く、
「はい、閣下」
そこそこよい身形の貴族がジャムス伯の側に駆け寄ってきて跪く。
「第二師団の白兵戦部隊に伝令。第三部隊の後方へ奇襲をかけさせろ。演習中の第二師団同胞にも覚られずやれよ、そうでなくては奇襲にならんからな」
「……宜しいのですか?」
予定にないことをやって本当に構わないのか、と真面目っぽいタバードさん(多分参謀だと思う)が念を押すように尋ねるけど、
「ルイセント殿下のご婚約者が騎士団の即応能力に疑念を抱いておいでなのだぞ。お前は令嬢がたの胸の内に『負けてくれる敵にしか勝てないのですか?』なんて疑念を残したままお帰ししたいのか? 私は絶対に御免だが」
いや、言ったの私であってお姉様じゃないんだけど……まぁツッコんでる暇もないわな。
「了解しました。部隊を展開します」
タバード氏が命令を受領し恭しく下がると、次いでジャムス伯が実にいい笑顔をヴィガレス伯へと向ける。
「ヴィガレス中将も急がれた方が宜しいのでは? いくら
おぅおぅジャムス伯め、煽りよるわこいつぅ。表情にも声にもめっちゃ油乗ってるな。
そんな煽りを受けたヴィガレス伯ももうすまし顔をペイッと草原に投げ捨てて、
「分かっている! タリアンス! 白兵戦演習部隊に第二師団の右側背から攻めさせろ。急げよ!」
「はっ、閣下」
はっはっは、面白くなってきたぞぅ。
さて、一度お姉様たちに乗騎を促してから、改めて丘の上という特等席より戦場を俯瞰で眺めやる。
どちらの白兵戦部隊も丘の裾野から遠巻きに距離を詰めていって、そのまま雄叫びを上げながら敵騎士団の後方へと食らい付く。
最初は東西どちらも驚愕に混乱していたようだけど、先に状況を立て直したのはやはりというか第二師団の方だ。
幾ら奇襲と言っても白兵戦部隊は乗馬しておらず、対して騎士の方は馬上にあるからね。
後方からの圧力に押されるそのままに前進してみるみるうちに距離を詰め、白兵戦部隊を振り切り第三師団騎士に接近戦を挑み始める。
はぁん、やっぱりこれまでサボってやがったな
「アンティマスク伯爵令嬢が仮に第三師団の騎士だとしたら、ここからどう動かれますかな?」
もう勝ちは得たもの、とばかりにジャムス伯が私に話を振ってくるが、それどう応えてもヴィガレス伯を怒らせるだけだよね。
あんまそういう話には付き合いたくないので、
「私でしたら挟撃から逃れると見せかけて一気にこちらへ距離を詰めて、そのままお姉様を人質に取りますね」
そう伝えると伯爵二人にロイヤルガードたちがギョッと目を剥く一方、お姉様とシーラは納得顔で頷いているの、これはまぁ付き合いの長さのせいだろうよ。
「騎士と従卒が全て出払っている現在、我々はこの戦場でもっとも戦力の薄い集団ですから。王子の婚約者を人質に取って降伏を強いればそれで終わるでしょう」
私が暗に匂わせた意味を、少なくともジャムス伯は理解したみたいだった。
「……いやはや、ご自身を枠外に置かずあくまで戦場の一部と見做しますか。お見逸れいたしました」
ここにきて丘の上で乗騎しているのがお姉様たちだけということに、つまり自分たちが己の安全を疎かにしていたと気がついたジャムス伯が表情を改める。
何にせよ目下の演習では第三師団が疑似死傷者多数となってほぼ全滅、馬上射撃戦演習及び白兵戦演習はこれでお開きだ。
他にも演習は題目としてはあったわけだけど、ほぼ全部隊を投入してしまったこともあって他の演習を続ける余裕もないし、多分今日はこれでお終いだろう。
『…………』
ただこの場はちょっと物申しにくいみたいな空気が漂っていて、あれだ。
だってほら、第三師団は優秀だから装備が優先的に刷新されたんですよーってヴィガレス伯がガッツリ言っちゃってたもんなぁ。
それが蓋を開けてみればこの様なんだからなんて言えばいいか皆悩むよな。
ただね、
「お姉様」
私が軽くジャブは返しておいたけど、今現在はまだジャムス伯が思い描いていた幾つかある内の筋書きの一つに乗っかったままだ。
お姉様が王子の婚約者を名乗るなら、伯爵家如きの思惑に踊らされるようでは話にならぬ。シーラにアイサインを送る――までもなくあいつは理解しているか。
「ミスティ様、
そうシーラがお姉様に告げると、それでお姉様もハッと気がついたようだった。
「ジャムス中将、ヴィガレス中将以下第二、第三師団の皆様の勇姿を拝見できて嬉しく思いますわ。ただヴィガレス中将」
「……は」
「第三師団は
塩を擦り付けられるのか、と警戒していたヴィガレス伯がやや安堵した顔で恭しく頭を下げる。
「は、醜態を晒してしまい申し訳ありませんでした」
「問題点の洗い出しが実戦形式の演習の目的の一つと聞いております。恥じる必要などありませんわ」
暗にここから何もしなかったらそれこそが醜態だよ、と告げて、
「ジャムス中将」
「は」
お姉様が強めの笑顔をジャムス伯の方へと向ける。
「第二師団の奇襲の鮮やかさはお見事でしたが、正面きっての射撃能力には随分と
「尽力致します」
第二師団が手を抜いていたのは事実なので、こちらもまた文句を言うこともなく素直に頭を垂れる。
「それと私たちの発案で大事な演習の場を乱してしまい申し訳ありませんでした。この場を借りてお詫び申し上げます」
あとはあれだ、ジャムス伯が実施したとは言え提案をしたのはこちらなのでその点について謝ればお終いだよ。
うむ。お見事ですお姉様。
この場で一番やっちゃいけないのは片方のみの面子を潰すことだからね。
明らかにヴィガレス伯は――恐らくオウラン家の後ろ盾に胡座をかいていたし、そのせいで蔑ろにされているジャムス伯はそれを苦々しげに思っていたのも事実だろう。
だからってここでお姉様がヴィガレス伯をことさらに論って得られるものは、ヴィガレス伯からの怨みだけだ。それでジャムス伯が味方になってくれると確約しているわけでもないしね。
それに王家の婚約者であるお姉様がやるべき事は依怙贔屓をしないことであって、増長を率先して叩き潰すことではない。
いざ王家に嫁げばヴィガレス伯もジャムス伯もどちらもお姉様の部下、王国の僕、即ち味方として遇すことになるわけだし。
然らば一度反省の機会を与えて、それでもなお増長するならばその時にコラ! って一発ゲンコツくれてやってやればいいのである。
要するに三度(必ずしも三度じゃなくてもいいけど)の仏の顔が、この場のお姉様にもっとも必要なものってことさ。
それに一言で気がつくの、成長したなぁお姉様も。
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