■ EX20 ■ 閑話:dormant Ⅲ






「シア、大丈夫!? まだ生きてる!?」


 どうやら抜けていた腰も復活したらしい。火かき棒を手に寝巻き姿のまま駆け付けてくれるあたり、やはりアンナは根が善良であるのだろうが、


「このぉ、シアから離れろ怪物ぅっ!!」


 火かき棒を振りかぶり走り寄ってくるアンナを前にしてプレシアは総毛立った。

 アンナが心配して駆け付けてくれたこと自体は嬉しいが、いざ火かき棒それが振り下ろされれば【魂の世界ヴェルト・デア・ゼーレ】の開演だ。あれが始まったらもう手の付けようがない。


「アンナ待ってちょっと待って! この子ルナさんなの! 攻撃しちゃ駄目!」


 慌ててベッドからまろび出たプレシアがアンナとルナーシアの間に割って入ると、


「は……? ルナ、さん?」


 間一髪、火かき棒を振り上げたままアンナが呆然とした顔でピキリと硬直する。


「グォオオオオオオーン!」

「待ってルナさん吠えないで赤くならないでお願いします何でもしますから!」


 ガバっとプレシアがルナーシアに抱きついてよーしよしよしと頭を撫でると、


「グルルルルルル……?」


 なんか違う、みたいに小首を傾げてはいるが、一応はルナーシアも落ち着いてくれたらしい。ホッとプレシアは胸を撫で下ろす。


「ちょっとシア、それがルナさんってどういうこと?」

「え、前に説明したじゃん。ルナさん人間に見えるけど実は獣人だって」

「は? それは聞いたけどこんなになるとまでは聞いてないわよ! それに私たちのこと分かってないみたいなのは何でよ!」

「あーそれ言ってなかったっけ……」


 プレシアはかりかり頬をかいて誤魔化そうとするが、そんなお粗末な逃げを許すアンナではない。

 仕方なくプレシアが月の出ている夜に情動的な感情の揺れが起こると獣化してしまう上、獣化中は理性を失うというルナーシアの特性を告げると、


「そういうことは忘れずに言っておきなさいよバカぁ!」

「あだぁっ!」


 アンナにパカンと頭を殴られてしまうのも致し方あるまい。


「お、お貴族様を殴ったなぁ!」

「素手で殴っただけありがたいと思いなさいよ! 次コッチで行く? どうせあんた治せるもんね!」

「ひぃっ!」


 アンナからすれば目を覚ましたらいきなり猛獣とご対面だったのだ。火かき棒で殴らなかった自分を褒めてやりたい。

 心臓が縮むなんてもんじゃない、完全に死を覚悟した。フリーダなどまだベッドで伸びていて目を覚まさない。


 ニックは……部屋が離れてるし、何より遠吠えが聞こえてもまさかその発信源がこの家だとは普通考えまい。

 プレシアの安全を確認しに来ないのは甲斐性がないとは言えるが、薄情と責めるのは少し酷だろう。


 今更ながらアンナは何故ルナーシアが裸で寝るのかを嫌というほど理解した。

 毎日ではないが、時たまこういったことが起こりうるから、ルナーシアは服を駄目にしないよう予め脱いでおくのだ、と。


「ね、ねぇアンナ。寝る前に何かあったの? ルナさんがこうなりそうな出来事。嫌な思いとかさせてないよね?」

「当たり前でしょうが。それに情動的なことは何もなかったと思うけど……待てよ」


――一人の部屋に帰るのってなんか寂しいんだよな。


「あれかも、ニックが一人の部屋に帰るのが寂しいってボヤいてたのよ」

「あーそれかもね。ルナさんもうダートさんしか家族がいないって話だし。ダートさんとも離れて暮らしてるし」


 アンナとプレシアは揃って目の前の巨獣に哀れむような視線を向ける。

 残念ながら二人には狼に似たその獣の表情が何を表しているのかまでは分からなかったが、少なくともこの家、いやこの王都には黄金の毛並みを持つ獣はルナーシア一人しかいないだろう。

 孤独なのだ、彼女は。どこで誰と暮らしていても。


「それで、このルナさんはどうするの?」

「うーん、お姉様がいないと獣化は解除できないし……仕方ない、朝を待つしかないね」


 おいで、とプレシアがルナーシアの顎の下をくすぐりながらベッドへ向かうと、大人しくプレシアに付き従ったルナーシアがベッドの上で丸くなる。

 その巨体に抱きつくようにプレシアも寝転がれば、もう冬の足音が目の前の季節だというのにあったかぬくぬくである。


「わぁ、もふもふであったかーい!」

「あんたのその図太さだけはちょっと尊敬するわ……」


 アンナは呆れたように肩をすくめる。

 いくらあれがルナーシアだとしても、プレシアが言うように理性を失っているなら、何かの弾みで頭を噛み千切られても何もおかしくないというのに。


「あ、アンナー、アンナもありがとね。今でも変わらず助けに来てくれて。凄く嬉しかった。大好き」


 迂闊で考え無しではあろう。だがそうやって他人を疑うことなく信じられる無邪気さが少しだけアンナには羨ましくもある。

 自分を飛び越えてお貴族様になった今でも、やはり嫌ったり憎んだりできないなぁと白旗を揚げざるを得ない。惚れた弱みとは多分こういうのを言うんだろうと思う。


「はいはい、ちゃんと布団かけて寝なさいよ。扉壊れちゃって保温力下がってるし」

「はーい、また明日ね。おやすみアンナ」


 無論、そんなことはプレシアには絶対に言ってはやらないが。


 火かき棒をつかみ直したアンナは簡単にそれで扉の破片を横に避けると、そのまま使用人室へと帰って行った。

 明日もまた朝早くから忙しいのだ。早めに寝床へ潜り込んで体力の回復に努めないとやってられないというものである。




 そうして、翌朝、


「す、済みませんプレシア様! 獣の私が大変御迷惑をおかけしたようで……」


 プレシアの腕の中で目を覚ましたルナーシアは大慌てでベッドの上で全裸土下座(文字通り)である。

 獣化している間の記憶はルナーシアにはないが、自分が獣化することはダートから聞いているし、この状況を見ればプレシアに迷惑をかけたことぐらいは想像が付くというものだが、


「あーうん。まぁあれだよ、扉以外は被害なかったし。というか冬の間は毎晩獣化しない? 一緒のベッドで寝ようようんそれがいいよ」

「えぇ……?」


 何やらよほど獣形態が気に入ったらしいプレシアに同衾を請われてルナーシアは大いに当惑することになった。

 自分が獣化した翌日のダートは常に疲労困憊であった為、プレシアにも多大な迷惑をかけたと思ったのだが違ったのだろうか?


 何にせよ獣化を全く制御できないルナーシアとしては首を横に振らざるを得ないのであるが、


「でもあれなんだよねぇ。時々とはいえ獣化する度に扉壊されても困るし」

「そ、それは……そう言われると……」


 綺麗に使用人室の扉を開けて出ていったように内鍵のかんぬきを外す程度ならできるのだが、流石に獣化した状態で鍵を持ってプレシアの部屋の扉を解錠するのは不可能である。

 四足歩行獣の獣形態ルナーシアの掌は何かを握れるような構造にはなっていないのだ。


 ひとまずルナーシアに服を着せ、使用人たちを集めて一緒に朝食を囲みながら状況を説明。


「駄目です! 私が今ルナさんから色々教わってるんですから!」

「じゃあ扉の修理代はフリーダの給料から天引きね」

「横暴! 貴族様の横暴が酷い!」

「というか鍵閉めなきゃいいんじゃない?」

「鍵開けてたらニックさんが夜這いに来るじゃん」

「いや行きませんからねお嬢様! 性欲より命ですよ!」

「あー私に魅力がないって言ったー」

「襲って欲しいんですか!」

「そんなことしたらアーチェ様に言って馘首クビにしてやるから!」

「お嬢様は俺にどうしろって言うんです!?」


 すったもんだの喧々囂々の末、次にルナーシアがプレシアの部屋の扉を破壊したら、以後ルナーシアはプレシアと同衾するということで話が纏まった。

 それでいいのだろうか? とルナーシアとしては思わずにはいられないが、当主代行のプレシアがそう言うのならそれでいいのだろうと納得することにした。


 ただ獣形態を見せてもこの家の面々が全く動じてないようで、それがルナーシアにとって少しだけ嬉しく、胸の隙間が少しだけ温かい何かで埋まったような気がした。






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