■ EX20 ■ 閑話:dormant Ⅰ
「それじゃ、今日もお疲れ様でした」
台所に集ったルナーシア、アンナ、フリーダ、ニックの四人は最後に竃門を埋火にして台所を去る。
現在フェリトリー家冬の館の主であるプレシアが忍び込む確率が一番高いのが台所であるので、彼ら文官兼使用人である四人は業務終了時の集合場所を台所と決めているのだ。
油皿を手に、三人と一人は己に宛がわれた使用人室へと移動する。
館の光源は全て消されており、手元を仄かに照らす油皿の灯火だけが寒々とした真っ暗な館内における唯一の明かりである。
「一人の部屋に帰るのってなんか寂しいんだよな。昔は一人一部屋のお貴族様を羨んだものだけどさ」
領主ベティーズ・フェリトリーと共にジョニィ・ダンタがフェリトリー領へ帰還してしまったため、この館の男手は現在ニック・ハーゲン一人しか残っていない。
使用人室は流石に貴族の館とあって庶民用ながらも男女別になっているため、男性使用人の住まう部屋には今ニック以外の住人がいないのだ。
ついでに言うと、今のフェリトリー家冬の館には護衛の領属騎士もいない。ニックが領属騎士の息子で鍛えているため、護衛も兼ねろと無茶ぶりを言われたのだ。
ただまあ、それは仕方のない面もあって、平たく言えば今のフェリトリー家には金がないので、領属騎士を駐屯させる余裕じたいがそもそもないのである。
つまり、使用人のみならず男は本当にニックだけということだ。
「な、俺もそっちに入れてくれない?」
「寝言は死んでから言いなさい」
「玉と竿切り落としてからなら構わないわよ」
「ニックさん、そういう人だったんですね……」
フリーダ、アンナ、ルナーシアに畳みかけられたニックは笑いながら、しかしどこか哀愁の籠った顔でヒラヒラ手を振って一人廊下の角に消えていく。
冗談ではあったのだろうが、話相手もいない一人部屋が寂しいというのもまた事実だったのだろう。
無論、どれだけニックが寂しかろうと女子部屋に入れてやるほどアンナたちは耄碌しちゃいないが。
「しかしお貴族様つきも楽じゃないわね。もうちょっと余裕あると思ってたわ」
油皿を持つアンナを先頭に女性使用人室へ向かいながら、肩を回したフリーダは疲労困憊といった態でそう零す。
元々フリーダは糸紬よりは楽だろうと考えてフェリトリー家の使用人となった少女である。
それが蓋を開けてみれば冬の館をたった四人で回さなければいけないとあって、文字通り朝から晩まで休む暇もない忙しさだ。
食事の準備に食材の買い出し、食器洗い、清掃、洗濯にアイロンがけ、湯浴みの湯沸かし、プレシアの世話に馬の世話、靴のブラッシングにワックス掛けと、そこまでしなくてもいいだろうと言いたくなるぐらいの仕事量。
しかも最近はプレシアのみならずアレジア・フロックス男爵令嬢、及び何よりフリーダたちにとって恐怖の象徴であるアーチェ・アンティマスク伯爵令嬢が館を訪れては仕事ぶりを確認しダメ出しをして帰っていくのだ。
しかも帳簿までチェックしていくので、館の金を使ってちょっとしたお茶でも、なんてやろうものなら容赦のない追求が飛んできて翌月の給料から天引きされるときてる。
フリーダたちからすれば領主ベティーズよりよほど容赦のないアーチェの方が恐ろしい。
何せ相手は男爵家の更に二つ上の爵位を持つ伯爵家の娘なのだ。失礼を働けば物理的に首が飛ぶし、アーチェはそれをやってしまっても何も問題はないのだ。
「結局庶民には楽な仕事なんてないって事よね。ま、飢えなくなっただけでも御の字でしょ」
アンナが肩をすくめるが、それは実際その通りだ。
フェリトリー家で働くようになってからの食事は、流石にまだシェフがいないので自分たちで作ることに変わりはないものの、使える食材の種類も量もレリカリー時代との比ではない。
むしろ最近ではお腹の脂肪を気にする
肌の艶もよくなってきて、もっとも水仕事も多いため両手のあかぎれだけはどうしようもないが、それもプレシアが一瞬で癒やしてくれるので実質的には何も問題はない。
毎月のお給料も、そりゃあ滅茶苦茶多いわけではないが百姓をやっているときよりかは遙かに余裕があり、この夏フェリトリー領へ帰るときには両親に色々土産を買ってあげることもできそうだ。
問題はむしろ次の夏にアンナをフェリトリー領へ帰らせてやれる余裕がこの家にあるか、という事の方であるのだが。
女性使用人室へと帰還した三人はしっかりと入口を施錠し、油皿をナイトテーブルの側へと置いて己のベッドへと向かう。
個室ではないが、一人一つのベッドがあるだけでも庶民である彼女らにとっては破格の贅沢なのだ。農村では寒さを避けるため兄弟一つの寝床に纏まって潜り込むのが普通であるのだから。
「あ、アンナ。寝る前に少し編み込みの練習させて」
「……いいけど、手早くね」
とはいえ庶民からすれば余裕があるように見えるフェリトリー家の財政も貴族としてはカツカツであり、使用人室の暖炉に使える薪はほんの少し。寝る前に部屋を僅かに暖めておく程度が関の山だ。
しかし自由時間はこの寝る前しかないわけで、フリーダは最近熱心にルナーシアから髪の編み込みやお着せの技術を教えて貰っている。
というのもプレシアのお付きを任されない限り、買い出し以外の用件でこの館を離れることができないからだ。
現時点ではプレシアの侍従はほぼルナーシアが任されており、これではせっかく王都に来たのに何も楽しくない、とフリーダとしてはオカンムリなのである。
とはいえプレシアの身の回りの世話ができないのではアーチェがプレシア付きを許してくれるはずもなく――フリーダとしては寝る間を惜しんで礼儀作法と技術を学ぶしかない。
「あ、フリーダさんそこそうじゃなくて、ええと、こうやってこうです」
「む、むー? こう?」
「ちょっとフリーダ引っ張らないでよ! 痛いじゃない!」
なお今現在プレシアの侍従を任されているルナーシアであるが、アルジェの世話をしていた時代にメイから侍従としての手解きを受けているため、その技量は既に伯爵家付きの侍従――は無理だがその足元程度には及ぶ。
当初は十歳の子供に学ぶなんて、みたいな意地を張っていたフリーダであるが、あらゆる面で己の上をいくルナーシアに最近は完全に白旗を揚げ、真摯に教えを請うようになっていた。
相手は確かに子供ではあるが、フリーダなんかよりよっぽど長く貴族の身辺を世話していたベテランなのだ。
そこで我折れる殊勝さがあったからアーチェは己を雇用してくれたのだと、最近フリーダも分かるようになってきた。それこそがアーチェが認めてくれた、フリーダの評価に値する人柄、美点だったのだと自分の長所を正しく理解したのだ。
だがまあそれはそれとして現在練習台として髪を弄られているアンナからすれば早く寝たい、の一言に尽きるのだが。
そうして薪の火が消える頃にルナーシアによるフリーダのヘアメイク指導もまたお開きになり、三人は己のベッドへと潜り込む。
何故かルナーシアは寝る際にあらゆる衣服を脱ぎ捨てて全裸で布団を被るもので、その理由がアンナとフリーダには分からない。
ルナーシア曰く、「寝てる間に破けちゃうときがあるので」だそうだが、なぜ寝てる間に寝間着が破けるのかが二人には分からない。
まあ、ルナーシアがそれで風邪を引かないならばいいか、とただ納得するのみである。
「おやすみなさい皆さん。明日も宜しくお願いします」
礼儀正しいルナーシアの入眠の挨拶に、
「ええ、おやすみ」
「明日も宜しくね」
フリーダもアンナも短く応えてシーツの中に潜り込む。既に暖炉の火は燃え尽きて部屋は刻一刻と冷え込むのみ。
そこまで緯度に差があるわけではないが国内最南のフェリトリー領に比べて王都の方が寒いのは事実だし、何より明日も朝からやることがいっぱいあるのだ。
夜更かしをしている余裕もなく、アンナもフリーダも心地よい眠気に惹かれてあっさりと睡魔に身を委ねるのである。
が、
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