■ EX18 ■ 閑話:フィリー・ゼイニ Ⅳ







 襲撃者たちにとって不幸だったのは、そしてゼイニ家にとって望外の幸運だったのは、


「おっと吹き矢だ。気ぃ抜くなよアル、毒食らったらかすり傷でも神の御下だ」

「なんだキール、何ならお前毒食らってもいいんだぜ? そうしたらフェリトリー家に運んでやるぞ。朝まで命があったらな!」

「馬鹿言え! 失禁して痙攣しながら口から泡ふいてるダセぇ様なんかプレシアちゃんに見せられっかよ!」

「もう内蔵まで見せたのにか?」

「いやん俺の大事なところ全部見られちゃってる!」


 この三人は今夏フェリトリー領でまさに紙一重の死線を一夜にして何度もくぐることを強いられた、紛う事なき実戦、しかも夜戦の経験者であったということだ。

 ひょいひょいと機敏な動きでキール・クランツが雪下ろし用の梯子からゼイニ家の屋根上へと登り、ハンドサインを下へと送る。


(来たな)

(ああ)


 生き残った戦士だけが備えると言われる戦場の感。

 虫の知らせとも呼ぶべき紙一重の空気を読み取る嗅覚。

 乗るべき直感と、反るべき肌感覚を瞬時に判別する決断力。


(アル)

(お前右な)

(応よ)


 自らの腸をぶちまけながらそれを嫌と言うほど学ばされた三者の勘どころは今や、凡百の危機感覚とは一線を画す。


 アーチェやダートすら与り知らぬことであるが【魂の世界ヴェルト・デア・ゼーレ】による最大の恩恵は心が折れぬ限り続く治癒能力――などではない。


 本来生涯に一度しか体験できないはずの生死の境。それを幾度となくギリギリの実戦で経験することによる『生き延び方』の効率的な蓄積学習こそが、かの狂獣王フィアを最強の猛者たらしめた真の恩恵である。


 致命傷は一度負ったら普通はそれで死舞いだ。

 自分の命を対価に学んだその貴重な経験は本来未来へ紡ぐことなどできないものだが、【魂の世界】ならそれができるのだ。



 つまるところこの三者は、己がどう動くことが生死の分かれ目になるのか、という貴重な体験を一夜にして何十何百と(嫌々)積むことができた、死闘の申し子であるということだ。



「マジで何やったんだゼイニ家。これで四人目だ、ぞぉ!」


 アルバートが切り伏せる。

 襲撃者の刃は迷いがないが、その速さは到底黄金の獣の足元にすら及ばない。


「どこがワリのいい話なんだよええキール。金貨一枚じゃ足りねぇぞ!」


 レンが手槍で突き穿つ。

 殺気を伴わぬ殺意を躱すのは困難だが、黄金の獣が振るう愛玩の爪牙に比べれば可愛いものだ。


「うるせー、そんなのは襲撃者に言いやがれ!」


 キールが矢で撃ち抜く。

 闇に紛れた装いは視認するに難いが、黄金の獣のように一瞬のうちに視界から消える膂力は備えていない。


 時に雪風荒ぶ闇夜の中で幾度となく白刃が閃き――


「おー、朝日が眩しいぜ。太陽は偉大だなぁ」

「ではこれにて我々は撤収します」

「不埒な襲撃者の死体は騎士団の方で回収部隊を派遣しますのでどうぞそのままに」

「あ、ありがとうございました! 国家騎士団の尽力に感謝致します!」


 結果として三者は完璧にゼイニ家を守り切るに至った。


(なあ、せっかく男爵家地区にいるんだから帰りにプレシアちゃんの顔見ていこうぜ)

(……うっわ、お前それ完全にストーカーだろ)

(ちげーよ馬鹿! ちゃんとご挨拶に行くんだよ覗き見なんかやらねぇっての!)


 元気の有り余っているキールにそう耳打ちされたアルバートは完全にドン引きだが、キールはキールで完全に乗り気である。

 余計な軽口なんぞ開幕戦闘前に叩くんじゃ無かったと思っても後の祭りだ。


(ってかどういう理由があって先触れも無しに世襲貴族家に朝っぱらから顔出そうってんだよ)

(情報だよ情報! これこれこういうことがあったのでお耳に入れたく、っていうのはわりとよくやることだろ?)

(うーん……まあ、呼気で毒を吸ってる可能性もあるしさ、可能なら念のため【治癒】の恩恵を頂きたいってのはあるよな)


 キールの色ボケはともかく、レンにまでそう指摘されるとアルバートとしても確かに、と思わないでもないし、先触れがどうこうというのをプレシアは気にする娘でもない、とも思うのだが……


(それにアンティマスク伯爵令嬢ならこういう情報は重視するんじゃないか?)

(……そうだな、まぁダメ元で行ってみるか)


 傍らに転がる死体を目にして、アルバートもまたそう結論づけた。

 アルバートが思っていたより、日の本に晒された死体が身につけている装備は質がいいし、ゼイニ家との契約に際し、任務を引き受けたことそれ自体を口外してはいけないという約束も締結してはいない。


 アンティマスク伯爵家に直接情報を届けられれば、あのアーチェなら情報提供を喜ぶだろうが、一騎士爵が伯爵家に打診などできる筈もない。故にプレシアを介するというのは正しいだろうが、さて、プレシアはこの情報を貴重だと判断してくれるだろうか……?


(こういうことがあったので心配して寄ってみたのですが、なんて紳士的に接すれば女の子もトゥンク、ってなっちゃったりするだろ、するよな!)

(……ああ、なったらいいな)

(そんな上手く行くなら俺だってフロックス男爵令嬢に――)


 まあ行くだけ行ってみないとキールが納まるまい。

 それに「アンティマスク伯爵令嬢のお耳に入れたく」と伝えれば、プレシアならば無下にしないだろうという予感もアルバートにはあるし、一応キールはアホだが友人なので、その恋心を応援してやりたいとも、まぁ多少は思わないでもない。


 レンがひとっ走りして騎士団から死体の回収要因を手配、やってきた彼らに作業を引き継いだことで、任務は完了だ。

 三者は雇用主であるリガー・ゼイニに挨拶をしてその場を後にし、一路朝ぼらけの街路をフェリトリー家冬の館タウンハウスへ向かって歩いて行く。


 この情報が如何なる価値を持つかまでは正直、下っ端であるアルバートには想像すらつかなかった。

 なおキールはそんなことは全く考えておらず、ただ茶話でプレシアの顔を見に行こう、程度しか頭の中には入っていない。下半身に忠実な男である。




――――――――――――――――




 そうしてゼイニ男爵ドイルは即座に夜中したためておいた文をオウラン家の館と王城へそれを送り、深い深い溜息を零す。

 文の中身は有り体に言えば「オウラン家より頂いたフィリー・ゼイニ死亡の件、確かに了解致しました」という内容である。

 王家へ送った方にはオウラン家からの文も添えてある。


「? 何故それで問題ないんですか?」


 フィリーも兄リガーも首を傾げるが、


「オウラン家が『フィリー・ゼイニは死亡した』と言ってきたのだ。それを私が受け入れた以上、もう公式にはフィリーは死んでいるのだよ」


 かつてどこかの貴族家が取った手段である。

 上位貴族が「死亡した」と伝えたならば、下位貴族はそれを了解する。そうすることでそれが絶対の真実として受け入れられるのだ。

 じゃあここにいるフィリーは何なんだ、という話ではあるのだが、


「オウラン家が死亡したと言っているのにウチが『いや、生きてます』と言い返せるはずもあるまい?」

「……それで、フィリーをオウラン家に差し出さずともよいのですか。それで向こうは納得するのですか?」

「形式上はな。オウラン家が死んだと言った娘がウチにいるはずはないし、死んだ者を捕縛したり殺したりはできまい」


 フィリーが死んだ、ということを伝えたのが雲の上の存在じゃなければこのような手は使えない。

 加えて言うなら向こうが刺客を信頼し、先んじて死んだと言い切ってしまったからこそ、逆にこのような手段を取れたというわけだ。


「……じゃあここにいるフィリーは何なんです?」

「たまたま私が見つけた同名の加護持ち庶民だ。養子縁組の手続きもさっさと済ませてしまおう。お布施の額を考えると胃が痛いがな」


 どんな冗談だ、とリガー・ゼイニの口から乾いた笑みが零れた。

 そんな馬鹿な話があるかとツッコみたかったが、一方でフィリーは勤勉なので父が取った手段が「ゼイニ家の法手続き上はなにも問題がない」ことが理解できていっそ感心してしまった。


 このような方法があるだなんて、フィリーは思いもしなかった。

 やはり知識は人を助けるのだ。学びたい、という思いが再び胸の奥で燃え上がるのを感じる。


 そうして散々な出費と引き換えにゼイニ家は庶民からフィリーを養子として迎え、死亡したフィリー・ゼイニに代わり新たにフィリー・ゼイニが王国貴族として名を連ねることになったのである。

 端から見ればとんだ茶番狂言バーレスクであるが、演じた者たちは誰もが命懸けであったのだ。


 事実、フィリーが偶然あそこを通りがかった何者かに助けられなければ。

 そしてリガー・ゼイニが雇用した国家騎士が、何度も血と脂汗と苦悶をフェリトリーの地にまき散らしながら闇夜の死闘を学んだあの三人でなければ。


 ほんの一つでも歯車が噛み合わなければフィリーはこの朝日を迎えることはできなかったのだから。






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