■ EX18 ■ 閑話:フィリー・ゼイニ Ⅲ






 そうして、オウラン家からの帰り道の途中。遠く西の果てに日が落ち、文色が闇に溶け込み始める時分。

 口を塞がれあっという間に路地横に駐められていた馬車に連れ込まれたフィリーはさて、これから自分は死ぬのか奴隷落ちかと冷静に考えていたところ、


『あー、この場合どう考えても淑女レディを襲ってる奴が悪でいいよな』

「! 何奴――ガハッ……」

『そのまま頭守って伏せてな淑女レディ、顔を上げるんじゃねぇぞ』


 いきなり現れた闖入者のおかげで何故か一命を取り留めることになった。

 馬車から石畳に投げ出され、そのまま顔を上げられないから何が起きているか分からない。

 だが立て続けに聞こえてくる重い何かが地に倒れ伏す音からして、一方的な蹂躙が行なわれていることは薄々理解できたが。


『ヒュー! 貴族街の治安も随分と悪くなったもんだなぁ。これじゃあスラムのほうがよっぽどマシじゃねぇか』


 そうぼやいた男は、いや、男なのだろうか?

 如何なる絡繰りか声がかなりぶれていて、フィリーには男とも女とも判断がつかない。ただ、語り口から男らしいと判断しただけだ。

 一度突風が吹き荒れ、しかしどうしてか血の臭いが全くフィリーの鼻腔に染み込んでは来ない。死体は、転がっているはずなのに。


『周囲に反応なし。ってこたぁ全滅したな結構結構。さあ淑女レディ、君は路地裏に背を向けて立ち上がり、振り返らずこのまま大通りに出るんだ。いいな?』


 そうして、一人で大暴れしたらしい闖入者はフィリーに逃げるよう告げると、


『今日の釣果は珍しく上々っと。あまりお嬢から恵んで貰い過ぎちゃあ、お嬢の身体にもよくねぇだろうし。多少は外食で済ませねぇとなぁ』


 死体を更なる路地の影、闇の向こうへと引き摺りながら消えて行ってしまった。


 いや、本当に消えたのかは振り返らなかったフィリーには分からなかったのだが。

 ただ足音と、重い何かを引き摺る生々しい擦過音からそう推測しただけで。




 なお後日判明したことではあるが、その路地には死体どころか血痕すらも残っておらず、その夜にあったことは誰の話題にも上らなかった。

 多分、全てが闇に葬られたのだ。その方が誰にとっても都合がよかった、そういうことだろう。




 フィリーがゼイニ家冬の館へと戻ると、


「フィリー! お前生きているのか!?」


 ゼイニ家は何故か一瞬にしてまき散らした油に火を付けたような大騒ぎとなった。

 父から話を聞くに、既にフィリーは茶会の最中にひきつけを起こして死んだと処理されているとのこと、オウラン家からサイン付きで一報が届いているらしい。


 既に心が死兵であるフィリーからすれば仕事が早いな、で終わる話だったが、ゼイニ家からすればここからが始まりである。

 フィリーから話を聞いたゼイニ家当主ドイル・ゼイニは、


「オウラン陣営から抜けた? お前、私に断りもなく何ということを……」


 頭を抱えてよろばい膝をついてしまった。そんな様を前にすればフィリーも申し訳なさが先に立つ。


 元より今朝この家を発ったのは死出の道行きのつもりであったのだ。フィリーとしては自分が罰を受けて死んで終わるはずだった。

 ところが何故かフィリーは助かってしまい、その上で家に帰ってこれてしまった。


「このままお父様の手でオウラン公に突き出して頂いても私は構わないのですが……」

「馬鹿なことを言うな! 私にも家長としての誇りがある。生きて帰ってきた娘を突きだしたりなどしてはこれから先のゼイニ家は周囲に舐められて終わりだ。絶対にまかりならぬ!」


 口ではそう言いながらも強く己を抱きしめてくる父は、やはり己を愛してくれていたのだ。

 今更ながら馬鹿なことをしたとフィリーの内心に後悔が怒濤のように押し寄せてくるが、全ては後の祭りだ。


「ど、どうしましょう、父上」

「一先ずは寝ずの番だ。今晩さえ乗り切れば何とかなる!」


 一番危険なのが今夜だ、とドイル・ゼイニは一家の者に伝えて篝火を用意させた。それを館の外に並べてゼイニ家を闇から浮き上がらせる。

 フィリー殺害のために使わした暗殺者が戻らなければ、当然オウラン家は失敗を悟って次なる間者を送りつけてくるだろう。


「しかし父上、一晩で済むのですか?」


 オウラン公の面に泥を塗ったとあらば、この先フィリーが生き残る道はない。

 フィリーの兄である学園三年生リガー・ゼイニは顔面蒼白であったが、


「問題ない。殆ど知られていないが前例があるからな」


 ドイル・ゼイニが確信を持って頷くので最早脇目も振らず惣領息子リガー・ゼイニは国家騎士団の詰め所へと走る。


 オウラン家による騎士団への根回しが既に終わっていればリガー・ゼイニに打つ手はなかっただろうが、どうやら神はゼイニ家に味方したらしい。

 リガー・ゼイニはなけなしの金貨をカウンターに叩き付けて護衛の騎士を三名ほど借り受け、家の周囲の警戒に当たらせることに成功した。リガーの口から特大の安堵が零れ落ちる。


 一度護衛契約を結ばれ出立した騎士に手を引かせる術は、例え公爵家とて存在しない。

 規律を破るは騎士の名折れ。一度任務を請け負ったなら達成するか果てるかしか、騎士の誉れを守る方法はないだからだ。


「王都に帰ってくるなり寝ずの番とはやれやれだ。何やらかしたんだろうな、ゼイニ家は」

「さあねぇ。でも一晩で金貨一枚だぜ、実入りは悪くないだろ」

「臨時収入はありがたいな。これは貯金しておいてあとでフロックス男爵令嬢に――」


 なお、そうやって警備に当たることになった王都へ戻ったばかりのアルバート、それにキール、レンの三名は今自分の命が崖っぷちにいることを何一つ知る術がない。実に呑気な物である。

 だが、


(おいキール、あそこ)

(お、この闇夜に黒ずくめで屋根の上を彷徨いてんだ。やっちまっても問題ないよ)「なぁ!」


 キールが最短の予備動作で放った矢が闇夜に消えて、そしてドサリと何かが臨家の屋根から落ちる音が響き渡る。






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