■ EX18 ■ 閑話:フィリー・ゼイニ Ⅰ






「では続いて次の夜会のセッティングだけど――今回はエプト子爵令嬢、お願いね」

「ご指名ありがとうございますウィンティ様、エプト家の名にかけて全力を尽しますわ!」


 いつもの派閥会議にて、ゼイニ男爵令嬢フィリーは微笑を維持したまま内心で深く溜息を吐いた。

 まただ。また自分たちはただのお飾り。山の賑わいたる枯れ木でしかない。

 そしてたぶんこれからも、ずっと。


 ウィンティ陣営に参加し、ありがたくもアンティマスク家のそれより一等優雅な家庭教師ガヴァネスをつけてもらい、いっぱしの貴族令嬢として磨き上げて貰った恩義には、当然感謝の念しかない。

 だが、そうやって身につけた知識や技術を還元することを、フィリーたちは一度として求められたことがない。

 第二王子の、ミスティ派閥に人員を与えないよう、あちらの陣営に加わらないように囲われただけだ。能力も、人格も、忠誠すらも求められていない。


「やー、今回も仕事はなかったなぁ。本当、楽でありがたい話だわ」


 フィリーが割り振られた直属の上司であるアストリッチ伯爵令嬢はしかし、それを楽だと公言してはばからない。

 否、アストリッチは事なかれ主義を見込まれてウィンティに誘われ、そしてウィンティが仕事を与えたくない派閥員を統括している。


 そういう意味ではアストリッチ伯爵令嬢には立派な役割があると言えるだろう。

 フィリーとは、異なり。




 最近は、授業にもあまり真面目にのめり込むことができなくなっている。

 自分が勤勉だという自信はあったのに。あれだけ学びたいと、知恵と技術を身につけたいと、入学当初は思っていたのに。


 でも、今は。


 ウィンティに直談判に行った時のことを思い出す。

 何でもいいから使って欲しい、と。基礎教育が終わった今なら何かしらお役に立てるはずだと。


「何を馬鹿な。一年生の男爵家如きが増長も甚だしいわ」

「これまで貴族未満だった令嬢以下が、よくもまあそのような口をきけるものね」

「ウィンティ様、まだ教育を終えるのが早かったのではないですか? この者は周囲を見る目が全く肥えていないようですもの」


 ウィンティの周囲を固める者たちが矢継ぎ早に罵倒を浴びせてくるその最奥で、ウィンティは微笑に若干の困惑を乗せているように見えた。

 至高の貴族令嬢と噂されるウィンティの内心など、男爵令嬢に読めるはずもない。だからその表情はウィンティがフィリーに知って貰いたい思考を意図的に選択したものだ。


「気持ちはありがたいけどねゼイニ男爵令嬢。貴方にはやはり、まだ早いと思うのよ」


 それは事実だろう、とフィリーも思う。自分が賢しらな事を言っている自覚はある。

 たかが男爵令嬢如きが公爵令嬢に直接嘆願している時点でもうフィリーは恥知らずとの烙印を押されても仕方がない立場である。

 まだ早い、そのウィンティの言葉には深く同意する。


 だが、


――では、いつになったら早くなくなるのですか?


 その言葉を口にすることの無意味さを、フィリーは悟らざるを得なかった。だってそうだろう?

 まだ早い。それはフィリーがウィンティ陣営のやり方を知らないからであり、仕事のやり方を知らないからでもある。


 だが、ならば。


 何一つ役割を割り振られず、派閥の運営に参加どころか見学すらさせてもらえない状況で一体なにを学べというのか?



 あるいは一年生で学ぶべきを増やして、なるべく多くの単位を取得すれば?

 そう前向きに考え、前期日程では取れうる限りの授業に出席しその全ての単位を取得してもみた。


 だが、後期日程が始まってもフィリーはアストリッチ伯爵令嬢配下のままだった。

 どこをどう見てもフィリーより取得単位数も総合得点も劣る一年生の令嬢は別の上司を付けられ、末端ながら派閥の運営に携わっているというのに。


 この時点でフィリーにとっての「まだ早い」は永遠となることがほぼ確定したようなものだ。


 ここにきてフィリーははっきりと悟らざるを得なかった。

 ウィンティ陣営では既に側近となるべき人員は定まっていて、これはどうあっても覆すことはできないのだと。

 学園の成績はそれに一切関与しない。いや、流石に候補者が赤点を取れば関与し始めるかもしれないが、そこまでの馬鹿をそもそもウィンティが選ぶはずもない。


 人材は過多、されどポストは有限。

 であればそこはウィンティに近しいものによって独占されるのは当たり前だ。

 あるいはその程度のことに入学当初の時点で気づけていなかったからこそ、ウィンティはフィリーを愚鈍として側近候補から外したのかもしれない。




――――――――――――――――




「で、これがこの秋最後のフェリトリー家直送便に必要な物資ね。プレシア、最後だし貴方自分で手配なさい」

「うぇ!? シーラ様ぁ、私こんなの分からないですよぅ」


 最近は、第三食堂ターシャスにて昼食を囲むミスティ陣営の側に腰を下ろすことが増えてきた。


「……貴方ね、私の側にいて今まで私のやることの何を見てたわけ? ……アレジア、悪いけど一回だけ手伝ってやって」

「はい、シーラ様。一回だけだからね、シア」

「うぁーありがとうアリー! 愛してる!」

「調子いいんだから。アーチェ様が帰ってきたら全部報告するからね」


 信じられないことに、アンティマスク伯爵令嬢アーチェは後期日程が始まった後もフェリトリー領に残り、男爵代理としてフェリトリー領を統括しているという。

 端で聞いていて、自分は誤情報を流されているのではないかと疑いもした。流石に学園の食堂では彼女たちも話す情報には制限をかけているはずだから。

 ただ、


「これでフェリトリー家はアンティマスク伯の派閥に入ったものと」

「……アンティマスク伯爵令嬢がフェリトリー領を代理統括しているという話は?」

「ほぼ事実と思われます。フェリトリー男爵ベティーズ閣下はそれを理由に今冬の貴族院を欠席すると」

「そう、横紙破りのやりたい放題ね。忌々しい女だわ……!」


 ウィンティのところにまで同様の話が届いているとあらば、これはもう疑いようがないだろう。

 本当にアーチェは自分と同い年ながら、一男爵領を代理で任され運用するだけの実力があるということだ。


 そして、その配下たるアレジアとプレシアはと言えば、


「うぇー疲れたぁ、手配の手続きとかってなんであんなに面倒臭いんだろう」

「何にせよ、次は医者の勧誘よ。アーチェ様が早くお戻りになれるよう頑張らないと」

「また交渉だぁーーー! もうヤダぁ私平民に戻るぅ!」

「貴方の領地のことでしょ! いい加減になさい!」


 フェリトリー領に残る主たるアーチェから指示を賜り、いつも忙しそうに貴族街を走り回っている。


 羨ましい、と正直に思う。


 同じ令嬢未満としてアンティマスク家冬の館で指導を受けていたのに。

 より優れた教育を求めてウィンティについて行ったのに。


 今ではより優れた教育を受けているのはどう見てもあの二人の方だ。

 手足としてアーチェに信頼され、監視も管理もなく遠隔地での仕事を与えられている。それほどまでに信頼されている。


 羨ましい。

 だけどそんなアーチェの信頼を切り捨てたのは、他でもない自分自身だ。


「あら、ゼイニ男爵令嬢。お久しぶりね、ごきげんよう」


 フィリーに気づいたフロックス男爵令嬢アレジアが足を止めて優雅にカーテシーをすると、慌てたようにプレシアもそれに倣う。


「ゼイニ、ゼイニ……あー、確かフィリーだよね。ごきげんよう」

「どうかしら。オウラン陣営で上手くやれていて?」


 ニコリと笑うアレジアとプレシアの顔には侮蔑も嫌悪もなく、ただ友人に向けられるような柔らかい言葉――つまり余裕が、どうしようもないほどの敗北感をフィリーに植え付けてくる。


「ごきげんようフロックス男爵令嬢、フェリトリー男爵令嬢。そうね、まあ普通かしら」


 普通の扱いではあるだろう。

 もっとも十把一絡げの役立たずとしての扱いではあるが。

 ただそう返すと、


「そう、よかったわ。自分のところにいたせいで軽んじられていないか、とアーチェ様が心配なさっていたから」


 アレジアがホッとしたように胸をなで下ろして、ますますフィリーは胸を締め付けられるような苦しみに襲われる。

 能力のみならず、人としても負けている。フィリー・ゼイニは今や完全なる負け犬だった。


「こちらから声をかけたのに申し訳ないけど、私たちちょっと忙しくて。それじゃあまたね」

「時間空いたらお茶会しようねー! 準備そっち持ちで!」


 だから彼女たちが足早に立ち去ってくれたことにフィリーは感謝した。

 そのおかげでこのみっともなく潤んだ瞳は、かろうじて見られずに済んだはずだから。






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