■ EX17 ■ 閑話:バナール Ⅱ
男同士の間で婚約の段取りが済んだ後。
スレイを通じてアーチェを呼び出し、その本心を尋ねてみたバナールであったのだが、当のアーチェは何故自分が呼ばれたのか見当も付かないような顔をしていた。
「エミネンシア侯爵閣下は私を慮って下さるのですか?」
不思議そうな顔でそう問われて、なるほどグリシャの娘だ、と僅かばかり警戒してしまう。
その上、貴方を愛することはないと伝えても眉一つ動かさないのは、これは本当にミスティとは全然違うな、と痛感させられた。
「君は嫌ではないのか? 誰か添い遂げたい相手などはいないのか?」
「残念ながら色恋沙汰にはトンと縁がないものでして。あ……その、もし侯爵閣下が私に何らかの不満があり、私の口から拒絶の言葉が欲しいということでしたらそのように致しますが……そういうことなのでしょうか?」
「いや、アンティマスク伯爵令嬢に落ち度も不満もありはしない。単純に私が未だ亡き妻の面影に囚われているというだけの話だ」
「それは仕方のないことでしょう。ミスティ様を見れば奥方様がどれだけ美しかったかは推測できるというもの。色香でミスティ様と争うほど私は自惚れてはいませんし」
だが、会話を進めるうちに少しだけバナールにも理解が及び始めた。
このアーチェ・アンティマスクという令嬢は、自己評価が能力と全く乖離しているのだと。
「あの、侯爵閣下、お断りするに足る理由が先程から何一つ存在していないのですが……」
普通の令嬢であればこのように軽んじられた条件には難色を示すどころか怒りの一つや二つは宿すだろうに、アーチェはその片鱗を全く覗かせない。
「何を言う、君が挙げた条件は全て正妻に夫が保証すべき事ではないか。最低条件でしかないだろうに」
彼女は自分の能力が不足しているとは思ってはいない。その点において「また何かやっちゃいました?」みたいな認識の齟齬があるわけではない。
自分の才能と能力を正確に把握していながらも、その評価が異常なほどに低い。自分が同年代より優れていることを自覚しながら、なのに自分より劣る他人に対して敬意すら抱いている。
まるで自分の智慧と思考は自分以外の誰かによって植え付けられた、他人の成果とでも思っているかのようだ。
――明らかに人格形成に失敗しているな。
あのグリシャが男手一つで育てたのだ、ここまで歪な娘が育つのもおかしな話ではないのだろうが。
バナールとて、自分が妻を失って以降の一人娘の教育に成功したなどとは思っていない。
ミスティを育てたのはスレイと、あとアーチェとシーラだ。その手柄を奪って偉そうに振る舞えるほどバナールは恥知らずではない。
その点において自分がグリシャを非難できる立場にないことは分かっているが――アーチェの在り方はあまりに異常、これを放置したグリシャもやはり親として問題があるだろう。
「閣下が紳士であると分かった以上、私にとってエミネンシア侯爵閣下を厭う理由は何一つ御座いません。閣下のお心一つでお決め下さい」
「……それで、構わぬのだな?」
「勿論です」
こうして話してみても、本当にアーチェが自分との婚姻を嫌がっているそぶりは全く見当たらない。
であれば、覚悟を決めるベきだ。
自分が結婚相手として上等だなどとは全く思ってはいない。そもそも後妻を愛せない時点で本来は夫として失格である。
しかしこの名誉欲も支配欲もなさそうな少女に、王族の側室になるよりかは穏やかな環境を与えてやることはできるだろう。
そもそもバナールが断ればグリシャの伝手でもっと面倒な家に放り込まれる可能性もゼロではないのだから。
「私は側室推奨派なので奥方を増やして頂いても一向に構いませんよ。むしろ大歓迎です」
せめてこの自己評価が何故か底値の少女に僅かなりとも幸せを与えてやらねばと、そう思わずにはいられない。
しかし果たして自分はこの子に、せめてミスティを育ててくれたお礼に値する恩を返せるだろうか。
その日以降のバナールはその問題に延々と悩むこととなったが――
「この度はよき装いをお送り頂けましたこと、改めて御礼申し上げます」
結局のところ、バナールのそんな悩みは全くの無駄だったようだ。
「ああ、うむ。いや、大事なことを言うのを忘れていたな。よく似合っているよ、アンティマスク伯爵令嬢」
年甲斐もなくアーチェの艶姿に心奪われたことを、バナールは認めざるを得なかった。
容姿に心を奪われたのではない。
ただエミネンシア家に、そして己に配慮して亡き妻の好んでいた衣装を選んでくれたアーチェの、その配慮にバナールの心は動かされたのだ。
あれは決して動きやすいドレスではない。周囲と比較してもあまりに奇異で悪目立ちする。
それ故にミスティのドレスは意匠を残しつつもアルヴィオス王国風にアレンジしているが、アーチェのそれはほぼオリジナルそのままだ。
それを纏うことに利のない装束をアーチェが好んで選ぶ理由などないだろうに。
いや、もし理由があるとすれば、だ。
それは未だ亡き妻のことを想って前に進めないでいるバナールに寄り添って、慰めようとしてくれたということではないか。
その思いやりに思わず目頭が熱くなる。
自分は何の愛情も与えられないとはっきり言い切ったというのに、彼女はどれだけ己を慮ってくれるのだろうか。
それを想うと、亡き妻の面影に囚われていた自分の情けなさで更に瞳が潤んでしまう。
なんとか誤魔化してその場から立ち去ったが、表情からしてミスティには看破されただろう。
ただどこか生暖かい視線を向けられたのみで咎める色はなかったため、己の心変わりを責めるつもりはないようであったが。
「私の心変わりを、妻は責めるだろうか」
侍従たるスタウト・センシリティはどこか呆れたように答えた。
「妻たる女性を蔑ろにする方がよっぽど奥様は怒られるのでは」
確かに、とバナールは頷いた。
先妻は穏やかで、しかし芯の強い女性だった。
バナールがまだエミネンシア侯爵令息だったころ、父に内緒で交易船に忍び込んで密航。交易先の一つで出会って一目惚れし、全身全霊を込めて口説き落としたのだ。
バナールが妻を大切にしない薄情な男だったら、わざわざ生まれ故郷を離れてアルヴィオス王国までやってきてはくれなかっただろう。
無論、全ては推測に過ぎない。死んだ者の思いなど分かるはずもない。
死者が反論できないのをいいことに、故人も新しい夫婦を応援してくれるに違いない、と都合よく決めつけているだけだ。
だが、亡き妻への想いを言い訳に後妻を愛さない無礼を正当化するのもまた、やはり間違っているだろう。
そうしてバナールはアーチェを含めた三人で新たなエミネンシア家を築いていく覚悟を決めたわけだが、
「ああ、だからアーチェの物言いは先生っぽいのね。それに学園でも先生方とばっかり話してるし。納得だわ」
ミスティはそうアーチェを評したが、バナールからすればアーチェの言は母親目線だなぁと苦笑せざるを得ない。
アーチェを含めて話をしていると、どういうわけかもう完全にアーチェとミスティの関係が母子のそれにしか見えないのだ。
なんかこう自然とアーチェが妻の座に収まっているのはありがたくはあるが、やはりバナールとしては不思議で仕方がないのである。
疑いなく、アーチェは娘と同じ十三歳の少女である筈なのだが。
何故ここまで母親役がしっくりくるのだろう。それだけがさっぱり分からないのだ。
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