アーチェ・アンティマスクとはあまり関係ない、ちょっとした小話
■ EX17 ■ 閑話:バナール Ⅰ
「はい。お父様もどうか幸せな再婚を」
愛娘ミスティが精神的に独り立ちして以降に後妻を探していたバナールではあったが、正直なところ進捗はあまり芳しいものではなかった。
これは何かと死別した前妻と比較してしまうバナールに依るところもあったが、他方で候補となる女性側にも問題がないわけでもない。
貴族社会での再婚となると、基本的には同じように連れ添いに先立たれたものから見繕うのが常である。
ただタイミングが悪いのか、いやそもそもバナールの運自体が悪いのか、そもそも舐められているのか。バナールに近づいてくるのはどうにも貴族位や金銭に執着する女性ばかりである。
愛のない結婚であるのは構わない。バナールが元よりそのつもりである。
頼りがいも求めない。必要ならば侯爵家としての責務は一人で果たす気概がバナールにはある。
だが少なくともミスティの母親になってくれそうもない女性だけはバナールは絶対に御免だった。
娘を愛するまではいかなくとも、邪魔者としてしか認識していないような女性などこちらから願い下げだ。
幾らミスティが配下に恵まれたといえど、本来はまだ母親に支えられるべき年頃なのだ。
母親から己の家格に相応しい立ち居振る舞い、茶会の回し方、表情から指先に至るまでの姿勢、そういったものを教わるべき期間が今だ。
だというのに娘のことを蔑ろにするような女性など、バナールにとっては論外だった。
ただこれは一方的に相手方を責めることができる話ではないこともバナールは理解している。
闇属性という、人の心に疑心暗鬼を植え付けることが可能な魔術の恐ろしさは、貴族社会に生きるものなら誰しも想像が付く。
そして実家にいる間は流石のミスティも魔封環を外して生活しているだろう事ぐらいは誰しも想像が付く。
これを恐れずにいられるのは聖人君子ぐらいのもので、肉親であるからこそバナールは闇属性など無視して退けられるが、他人ではそうもいくまいということぐらいは理解できなくもない。
そうしてこうやってずるずると再婚相手を見つけることもできず、娘が学園に入学した年の冬。
避寒と社交の為に王都へ訪れた冬の館にてアンティマスク伯より茶会の誘いを受けたことで、バナールの未来は一転することになる。
「もしバナール閣下が今だ婚約者を探しておられるようでしたら、一つ我が家の娘など如何ですかな」
アンティマスク家冬の館にて、カードの対戦中にそう切り出されたバナールは一度我が耳を疑った。
酔いが回ったか、と傍らのチェイサーに手を伸ばす。ゴクリ、と冷たい水が喉を伝って胃の腑へ染み渡るも、元より覚醒している意識はそれ以上の反応を示さない。
茶会、といっても女性とは違い、男性の場合はほぼほぼ昼ではなく夜に行なわれる、平たく言えばサロンでくつろいでの飲み会である。
晩餐会として行なうもの、互いに自宅で食事を軽く済ましてから行なうもの、食事代わりの軽いつまみ有りのものなど種類は色々だが、杯を交わすのは同じこと。
今宵は珍しくサシでのお招きとあって、多分政治的な話でもあるのだろうと思っていたところに、まさかグリシアスから色恋の話を振られたのだ。
バナールが眩暈を起こすのも宜なるかな。冷たい銀の杯が空になると、グリシアスの侍従ジェンドがさっと追加のレモン水を継ぎ足してくれる。
「娘、と言われても。アンティマスク伯には一人しか御息女はいなかったと思ったが」
手札から二枚を捨て、現在ディーラーを務めている己の侍従にしてスレイの叔父、スタウト・センシリティにカードを二枚要求する。
「ご認識の通りです。アイズという跡取りを得た今、私にはもう女は不要ですからね。これ以上娘は増えません」
最初から不要だったろ、というツッコミはなんとか喉元で消し去って手札を確認する。
ツーペア。無難な役だ。グリシアスはカードを交換せずに双方
どちらもツーペアだが数字の大きさでバナールの勝ちだ。無論、金銭はかけていないただの手慰みのため、得るものはないが。
「つまり、アーチェ嬢を私に勧めていると?」
「左様にございます。あれもまだ
とんでもないものを
だがカードならいざ知らず、貴族社会のパワーゲームにフォールドはない。それは己の命の終焉とイコールだからだ。
「アンティマスク伯にとってご自慢の令嬢だろうに。このような場で切ってよい手札かな」
正直バナールとしては自分に対しては過分な手札だという思いが拭えない。バナールは自分が貴族として凡庸であることをよく知っているからだ。
切れ者と名高いグリシアスが、唯一血縁となれる手札をわざわざ自分に対して切って、それで何が得られるのか。
「勿論です。閣下のお役に立てればこれ以上の喜びはございません」
侍従スタウトが両者にカードを五枚ずつ配布。手札は――役なしのブタだ。グリシアスのほうはどうだろう。
あえて交換をせず、ブタのままバナールは手札を公開する。グリシアスはストレート、まぁここは交換しても勝てなかったに違いない。
なぜブタのままバナールがフォールドも手札交換もせずショーダウンに応じたのか。それはグリシアスも理解しているだろう。
差し替えずそのままの内心を提示しろ、というそれは無言の詰問である。
「あれは賢い娘です。ですが少々賢しすぎて、とても同年代の令息には宛がえません。あれを理解すればするほど
成程、と僅かにバナールは精神的防壁を緩めた。グリシアスの語る内容は多分、嘘ではないのだろうと理解が及んだのだ。
男子というものはとかく他人の上に立ちたがるものだ。雄獣の
そういう同年代の子供にアーチェを嫁がせようとしても、恩を売れるどころか煙たがられるだけだとグリシアスは判断したのだ。
「同年代でアレの才を認めて生かせるのは――まあ、王家ならば可能でしょうが。私も閣下同様無駄に危険な勝負は好きではありませんので」
再び両者は配られたカードに手を伸ばした。バナールの手札は現時点でツーペアだ。グリシアスは一枚交換し、そのままショーダウン。
お互いツーペアだったが、今回は数字でバナールが勝った。
「……来年にはヴィンセント殿下が成人だったか。時の経つのは早いものだな」
バナールは呻いた。
どうやら第一王子、第二王子どちらにもグリシアスはアーチェを嫁がせられる自信があり、だからこそさっさとアーチェを
望まれたら、相手は王家だ。嫌というのは難しく、そうなれば否が応でも王位継承戦に巻き込まれてしまう。
「正直、あれが最初から男に生まれてきてくれていれば、などというくだらないことを最近は考えます」
グリシアスは確かに娘が優秀であることを望んだ。だが、グリシアスの予想を超えるほどにアーチェは優秀すぎたのだ。
女を下に見ているから読み違えたのだろう、とバナールは皮肉の一つでも言ってやろうかと思ったが、娘を読み切れなかったのは己も同じなので結局押し黙るしかない。
「あれは成人貴族に嫁がせるしかありません。当人もそれを望むでしょう。が、フェリトリーのような田舎武者に安売りするのは流石に業腹」
今現在アーチェはフェリトリー領に残り、男爵代行としてフェリトリー領を纏めている、という情報は既に社交界に広がっている。
いくら広くもない辺境の男爵領とは言え、学院一年生が過分にも男爵代行だ。その上極めて実現性の高い財政再建案をフェリトリー男爵ベティーズに与えてこれを示している。
幾ら教育を重ねたところで、齢十三の少女が領地の現状維持はさておき、情勢を見据えて将来的な発展計画を導くまでに至るのはほぼ不可能だ。
だけどアーチェはそれをやってのけた。未だ十三歳だ、これから更に伸びしろがある。確かに王族が側室に望んでも何らおかしくはないほどの才能だろう。
「破天荒な娘ですが、閣下のお役に立てる部分もあるでしょう。何卒ご検討頂きたく」
「……当人も成人貴族へ嫁ぐことを望んでいる、というのは事実かね?」
念を押すようにバナールは尋ねた。自分が愛せない自信がある以上、愛されることは求めないが、親の都合で親と同年代の相手に嫁がされた怨みを押しつけられるのは流石に御免だ。
だがグリシアスはやや芝居がかった疲労をその顔に浮かべ、力無く首を左右に振ってみせる。
「ご心配なく。あれに恋愛は無理ですし、当人もそれを理解しています。あれは私の娘ですので」
「エストラティ伯爵令嬢の娘でもあるのだろう?」
お前みたいな女は嫌だ、という表現をなるべくオブラートに包んだバナールの口から出たのは、どちらかというと祈りの言葉に近しかった。
「仰せの通り、慈愛も友愛も備えてはいます。他人の色恋沙汰にも首を突っ込みます。ですが己の恋愛だけは興味がない。そういう娘なのです」
いずれにせよグリシアスが娘への好意を微塵も覗かせない辺り、グリシアスの
それにミスティはだいぶアーチェを信頼しているようであるし、であればこれはこれで悪くないのかもしれない。
娘と同い年の妻というのは流石に抵抗もあったが、政略結婚が主である貴族社会ではその程度の年齢差などよくある話だ。目くじら立てるほどでもない。
今晩最後のゲームとして、バナールは自分に配られた手札を確認する。ワンペア。三枚を交換してスリーカードにてショーダウン。
グリシアスはツーペアだったのでバナールの勝ちではあるが――
「分かった。ありがたくその話を受けよう」
スリーカードを構成するうちの一枚が、ワイルドカードたるジョーカーである。
カードの中にいる道化師が滑稽な表情で踊りながら、握手を交わす二人を見つめている。
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