■ 93 ■ 告愛天使アーチェ再び Ⅰ
「なんだこれ……」
私宛に届いたお茶会のお誘いへ目を通して、思わず首を捻ってしまう。
「どうかなさいましたか?」
「ん。よく分かんないお招きなのよ。メイの意見も聞きたいわ」
机の上に一度は投げた便箋を背後のメイへ手渡し、メイが読み終わるのをしばし待つ。
「殿方からのお誘い、ですか? しかも一対一での茶会を所望とは」
「そ、文面からすると私が婚約済みであることは承知の上みたいね。その上でのお誘いだし、名前にも心当たりがない――あれ?」
「インヘルト・ゲインリー伯爵令息、聞いたことがございますね。確か……」
私の側を離れたメイが本棚から取り出したのは、思い出すのも苦渋の味。あのブロマイド作成のお相手表一覧である。
それらをパラパラと捲っていたメイが、
「ございました。インヘルト・ゲインリー伯爵令息。お嬢様が撮影済みです」
「え、そうなの。あの時完全にテンパってたからいまいち記憶にないわ」
写真撮影済み、ということで写真も一緒に綴じてあったみたいで、開かれたページを確認すれば確かに見覚えのある顔だ。
……なんだ? ブロマイドを欲しがる人がいる程の男子、三年生、しかもこいつ長男だろ? ならもう婚約者だっていてもおかしくないはずだが。
「何で私を今更お茶会に誘うの? しかも一対一とか。あまりに不審だわ」
「ではお断りなさいますか?」
「そうした方が無難ではあるけれど……なんだろう、ちょっと喉に魚の小骨が刺さったようで気分悪いわ。行くだけ行ってみましょ」
メイが目で「止めといた方が良くない?」って言ってるのは分かるんだけど、なーんか引っかかるんだよなぁ。
「一応バナール様に許可を。許可が下りたらアイズにケイルを貸して貰って参加としましょ」
「そうですね。ケイルがいれば大半の問題は片付くでしょう」
さて、そんなわけでバナールにも認可を貰い、
「そんなわけでちょっとケイルを貸して頂戴、アイズ」
「構いませんよ。ケイル、姉さんを頼んだぞ」
「ご安心を弟様。バナール閣下以外の野郎には指一本触れさせません」
アイズからケイルを借り受けて、初めて訪れたるはゲインリー伯爵家の茶会室である。
「久しいな、アンティマスク伯爵令嬢」
「お久しぶりで御座います、ゲインリー伯爵令息」
なお子供同士の茶会なので私は相変らずの型落ちドレスである。時代遅れでサイズ調整もいまいちだけど着てて楽なのがこのドレスの利点だね。
定型の褒め言葉が使えないせいかやや滑りが悪い社交辞令的賞賛を頂いた後、
「その、侍従に部屋の外へ出て貰うわけにはいかないだろうか」
ゲインリー伯爵令息インヘルトがそんなことを言いだして当然のようにノーだ。
「ご存じの通り私はエミネンシア侯と婚約済みです。女一人で殿方のいる部屋には留まれません」
「……だろうな、いや、非常識なことを言った。忘れて欲しい」
うーん、何だろう。態度は紳士的だし、無茶であることは承知だった上で謝罪もできる。
インヘルトは一見して普通でマトモな貴族令息のようだが……どうにもさっきから落ち着きがないのが気になるわね。
「……ええい、致し方あるまい。アンティマスク伯爵令嬢に恥を忍んでお願い申し上げる。私の写真を欲した女生徒を教えて頂けないだろうか!」
突如として話を切り出したインヘルトがテーブルにガバリと頭を下げて――うん?
ゲインリー伯爵令息インヘルトの写真を欲しがった女生徒が知りたい? ナンパでもするの……あ、まさか。
「非礼を承知での質問となりますが――ゲインリー伯爵令息はもしや、婚約者がまだ……?」
「ぐぅっ……ご推察の通りだ。私にはまだ婚約者が定まっていない」
あー、悪い予感当たっちゃった。そういうことかぁ。
学院三年生男子ともなれば、普通の世襲貴族家長男なら今頃は婚約者が既に定まっているものだ。
というのも学院を卒業してしまえばそれ以降は異性と付き合える機会などたまの茶会程度になってしまう。
いくらでも異性が側にいる環境で婚約者も定まらず令息が卒業するとなると、魅力の無い男として徹底的に馬鹿にされるのだ。
なお令嬢の場合は父親が出し惜しみしている、とかの理由もあって卒業までに必ずしも婚約者を決める必要はない。
わりと男性優位のアルヴィオス王国だけど、男性は男性でこういう男性らしさを理由に責められることもあり、生きやすいとはお世辞にも言えないのである。
ま、それでも選択肢の自由度は男性の方が高いから、男性の方が自分の生きたい生き方を選びやすいわけで、やっぱりちょっと男女の差は大きいと思うけどね。
さておき、ゲインリー伯爵令息インヘルトである。
彼のブロマイドを欲しがる女生徒は確かにいたわけで、そういう意味でも見た目に悪い男ではないし、私への態度も悪いものでは無い。
しかも彼は長男なわけで、普通に婚約者の一人や二人欲をかきさえしなければ――あ。
「非礼を承知での質問となりますが――欲を、おかきになられました?」
「…………ご推察の通り、図に乗った愚か者が貴方の目の前にいる無能だ。笑ってくれたまえ」
あー、うん。あの熱狂すごかったもんなぁ。ブロマイドが作られるか作られないかでイケメンヒエラルキーが可視化される地獄だったし。
ゲインリー伯爵令息インヘルトはブロマイドになった。それ即ちゲインリー伯爵令息インヘルトはヒエラルキーの上に位置すると誰も、そして本人も知ることとなった。
要するにこのインヘルト君、調子に乗って婚約者の厳選してたら断わりすぎて相手がいなくなったってことだ。
あ、あほくせぇーーーー! リセマラしすぎて垢BAN食らっただけじゃねぇか!
実にあほくせーけど私の第六感が喉の小骨を予感したのはこれかぁー。そういうことかぁ。
私がブロマイドを作成する順番。全てが顔面偏差値順になりきらないようあえてブロマイドを欲しがる生徒が少なめの男子を優先したりもした。
このゲインリー伯爵令息インヘルトもその一人だ。だけどそんなことは裏方である私しか知らないわけでね?
俺は無茶苦茶モテるんだ、ってインヘルト君がイキッて調子に乗っちゃうのはまあ、仕方な言っちゃ仕方ないわな。だってまだ十五歳の若造なんだもん。
いや、まあ調子こいたのはこいつだから自業自得ではあるのだけど、その責任の一端が私に全くないわけでもないからな。小指の爪の先の一欠け程度は責任を感じなくもない。
とは言え、なぁ。
「申し訳ありませんゲインリー伯爵令息。私は秘密を絶対に守る約束でブロマイド作成に携わりました。その作成費用として少なくない対価を頂いていますので、この情報をお伝えするわけには参りません」
「そこを何とかお頼み申し上げる! 絶対にアンティマスク伯爵令嬢から伺ったとは口外はしない。墓まで抱えていくとお約束する。契神の魔術を行使してもよい!」
それは勿論大前提なんだけど、それでも駄目なんだよインヘルト君。
「ゲインリー伯爵令息が何も語らなくても伝わりますわ。だってそれを知っているのは私しかいないのですから」
ブロマイド作成依頼は全て私宛の手紙で届いていた。
だからそれを知っているのは――いや、実はそれを手伝っていたプレシアとアリー、ルナさんも一度は見てるだろうけど――対外的には私しかいないのでね。
「守秘義務を守れるか否か。ことは私の信用問題に、ひいてはエミネンシア侯バナール様の信頼にも関わります故、申し上げることは罷り成りません」
「……左様か」
ガックリと肩を落としたインヘルト君だったけど、ならば力尽くで、みたいなことはやらずに紳士としての態度を貫いて私を帰してくれたあたり、やはり根は善良なのだろう。
「お坊ちゃんのお相手ご苦労様だお嬢。あんなウスノロなんざ心配してやる必要はねぇぜ、男の俺から見ても擁護しようがねぇ。自業自得だ」
帰宅途中のケイルは完全に馬鹿を見る顔になっていた。
まぁね、キャラバンに所属していた頃は女たらしだったケイルにとって、狙った獲物にその場で食いつかない男は馬鹿にしか見えないのだろう。
縁とは無限に繋がり続けるわけではない、解れやすい細い糸にすぎないのだからね。
「にしてもお嬢はよくよく恋愛沙汰に巻き込まれるなぁ。恋愛から最も遠い令嬢なのによ」
「ほんとだわ。相談する相手を間違えてるって何で分からないのかしら。私お父様の娘よ?」
「同時にマーシャ様の忘れ形見でもございますから。しかし、これで諦めて下さるとよろしいのですが」
「ええ、全くだわ」
根が悪い奴じゃなかったからちょっと可哀相だったけど、調子こいてリセマラなんかした自分が悪いので諦めて貰うしかないよ。
そう思ってたんだけどね。
「なんだこれ……」
私宛に届いたお茶会の開催通知へ目を通して、思わず首を捻ってしまう。
「どうかなさいましたか?」
「ん。よく分かんないお招きなのよ。メイの意見も聞きたいわ」
机の上に一度は投げた便箋を手に背後のメイへ手渡し、メイが読み終わるのをしばし待つ。
「お茶会のお誘いですね。ただお会いしたことのない令嬢からのようですが」
「そ、文面からすると私が婚約済みであることは承知の上みたいね。その上でのお誘いだし、名前にも心当たりが――あれ?」
嫌な予感に背押されてメイが再び本棚へと近づき、若干うんざりした顔で開いたページを私の前に提示してくれる。
名前、あったわ。こっちはブロマイド作成を依頼する側の女生徒の方。ただしゲインリー伯爵令息の写真を求めた生徒ではないけど。
「お嬢様……」
「見なかったことにしたいけど、このまま無視して知らぬ存ぜぬを決め込むのは私の心に後味のよくねぇものを残しそうだわ……」
というわけではい、お茶会参加してきました。お相手はリーン・アスハ子爵令嬢。
もうね、お茶会のシーンは省略して巻いていきます。
なんて言うかリーン・アスハ子爵令嬢、ブロマイドを御守りに親の紹介を全て断わっていたら、
「そこまでワガママを言うなら自分で探せ馬鹿娘! ただし見つからなくても成人後はこの家から出て行って貰うからな! 我が家に只飯ぐらいを置いておくつもりはないッ!」
とキレられて現実を直視。異性の友達もいない引きこもりの令嬢であることを嫌と言うほど思い知らされたのだそうだ。
で、仕方なく藁にも縋る思いでブロマイド作成者の私なら男子にも顔が利くんじゃないかと思っておすがりしてきたらしい。
「……お嬢様」
「アタマ痛くなってきた」
自室に戻り、メイにドレスを脱がせて貰ってベッドに倒れ込む。
あれかよ、馬鹿かと言いたい。ドルオタ拗らせて婚期逃すOLみたいなのこの世界にもいるのかよ! ってかブロマイドをこの世に生み出したのは私だから私のせいかこれ!?
なんと言うかもうさ、うるせー知らねーで終わりにしたい気もするのだけどさ。なんて言うかいろんな意味でキッツいんだわ。
彼女を見てるとちょくちょく前世の自分を思い出してグサグサダメージ食らうんだよね。い、いや私は享年26だったからまだまだ余裕だったけどさ。
あのまま生きてても結局独身のまま三十、四十になってたんじゃないかなーって予想できちゃってさ、ホント辛いんだわ。
おーい
……止めようこの思考は。自傷行為をしてもいいことは何もないからね。
「もういっそやっちゃう? 禁断の組み合わせ」
「投げ遣りで事を進めても良いことはないと思いますよ」
そりゃそうだ。幾ら後がない、と彼ら彼女らは思っているつもりでも、あーゆーやつらは心のどこかで「大丈夫、まだこれが最後ってわけじゃない」って考えてるんだよ。
だって前世の私がそうだったもん。そのクソ甘ったれた思考は手に取るように分かるぜ
「ああもうしゃーない、袖触れ合うも多生の縁。少しばかりは手を貸してやるけど……これっきりだからね。メイ、レターセット」
「はい、お嬢様」
メイに便箋を用意させて、必要事項を書き込む書類を作成しインヘルト・ゲインリー及びリーン・アスハへ手紙を出す。
チャンスは一回こっきりだ。手を貸すのは一度だけだ。手数料だって頂くぞ。
それでも駄目ならコー○ック、じゃなくて自分で勝手にしろ。もう後は知らんからな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます