■ 92 ■ 地図を作ろう Ⅲ
「こんな地図初めて見たわ……」
「流石に研究室に出入りしているだけあっていろんな知識を持ってるのね、アーチェは」
物珍しそうに標高図を眺めている二人の前でミーニアル領とエミネンシア領の等高線を書き込んでいくと、ギョッとしたように二人が私の顔をマジマジと見つめてくる。
「ちょっと待ってアーチェ、どこからこんな記録手に入れたの?」
「無論、お姉様とシーラからですけど?」
「いつの間によ!」
「過去の夏の間に」
ヒョイ、とアルジェから借りパクしている気圧計を取り出してみせると、
「あ、そう言えば入学前にアーチェにこれ持って領を回って地図に数字を書き込めって依頼されてたわね」
お姉様も思い出したようで軽く頷いている。
うん。学園入学後だと計測する機会なくなるからね。実は事前にちょっとやって貰っていたのだ。
まあ、実際に計測して回ったのはお姉様じゃなくて館の使用人か誰かだろうけど。
「そう言えばこんなのやったわね……ってあれがそうなの!?」
「そうよシーラ。気圧は高度が上がればどんどん弱くなっていくからね。気圧計があれば高度は計算から求められるわ」
「きあつ、って何? アリー」
「……私も初めて聞いたから分かんない」
続いてフェリトリー領の等高線も書き込んでいくと、
「ウチの領地までいつの間に……」
プレシアがポカンと口を開けてしまう。
「無論、アイズに検地をお願いした時にケイル任せで。で、こっちがベイスン研から持ってきたリオロンゴの水深ね」
ついーっと現在のリオロンゴ河の水深を書き込み、更に西回りと東回りルート周辺も同じく等高線を記載していくと、もう誰も言葉を失ったかのように黙り込んでしまう。
「……これもそんなに前から仕込んでたのね」
「測量は手間暇かかりますからね。早めに手を付けるに越したことはありません。えーっと、次は主要な連峰の標高ね」
「山もあるの!?」
お姉様が上品に口を押さえて驚くけど、そりゃあ川より山の方が重要だろうよ。
「……あんた、それの出所は?」
「リュック・ルブラン男爵率いるルブラン研が主催する山岳登山研究会『ルブラン・ルフラン』の登山記録」
「……なんですかそれ?」
なんですか、と言われてもシアよ、そんなもの登山愛好家による登山愛好会としか言いようがない。
好んで山を登る連中に何故登るのか、なんて聞いて答えが返ってくるはずもないだろうに。
「あの、なんでルブラン研はアーチェ様に協力してくれているんです?」
「ん? そりゃあアリー、ルブラン研には二回目に象牙の塔を訪れた時からスポンサーとして出資してるからね。標高図と登山経路はルブラン研とは共有してるし」
「スポンサー? って、山登るのにお金かかるんですか?」
「かかるわよ。だって山登ってる間の生活費に準備費用、道具を揃えるのだってルブラン研の研究費のみじゃ足りないし。出資したら大喜びしてくれたわ。おかげで彼ら、ほぼ一年中出払ってて王都には私への報告と金の無心のためにしか戻ってこないし」
「……」「……」「……」「……」
一つのルートを制覇するのみならず、複数ルートからの登頂を望むのが登山家という連中だ。
彼らもルート選定は生死に関わるからかなり綿密に調査して入山するしね。おかげでほぼ人里離れた山々の標高図はわりと確度の高い情報が手に入っている。
問題は人里近い山となると、ただの登山のための調査ですら嫌がられることだね。
「住人たちの生活に紐付いた山については調査が進んでないのよね。領主たちの過剰な警戒心が嫌になるわ」
残る資料は微妙に曖昧だ。
手に入るのはいかにも生活に必要な為の雑多な地形図程度で、ま、ないよりマシなので書いていくけどさ、線が全然横に伸びないのでちょっと変な図にしかならないわ。
それでも登山家なんて変な趣味(シアたちが驚いてたようにこの国の技術水準からするとまだ変な趣味なんだよ)を持っている輩がいて、こう協力してくれるのはありがたいことさ。
「あとは過去の雪崩による被害研究のレポートと騎士団による過去の山岳訓練、交戦記録及び農法研究資料、橋の建設日誌からだいたいの地形を書き込んで、と」
ふむ、一応そこそこの高度がある山地については書き込むことができたかな。ま、街道と山以外の殆どの範囲は相変らず白紙だけどさ。
「……そんなとりとめもない記録からここまで埋まるんですね」
私が集めた、全く横の関連性がない資料の束を見やったアリーが目を丸くする。
まさかこんなところから高低差の数字を引っ張り出して来られるとは考えもしなかったのだろう。
「調べれば意外なところに数字が転がってるもんよアリー。だから勉強って楽しいのよね」
「全く楽しくないです」
おめー本当に駄目な奴だなプレシアよぉ。
まあいいさ、プレシアには魔王を倒して貰うこと以外は然程期待してないからね。先ずは医療のお勉強だけを確実にやらせておけばいい。
「こっから先を埋めるのが大変なんですよね。ウィンティ様なら配下多いから余裕なんでしょうけど」
「とは言え、ウィンティ様もこんな地図は持ってないでしょうね。ってか何に使うのこれ」
興味はさておき、使い方は分からないみたいでシーラが首を捻っているけど、まあね。
実際のところこれがお姉様の陣営強化に役立つわけではないからね。
「今のところは使い道はないわ。でもあると色んな思考の切っ掛けになるからね。シーラももしこの空白を埋められる資料とか見つけたら逐一書き込みお願い」
「……どうりであんた、いろんな先生の部屋に行っちゃああれこれ資料ひっかき回してるわけだ」
そーよぉ、農業系でも軍事系でも地形ってのは何かしら関わってくるからね。
私だけじゃなくシーラもやってくれるようになれば単純に二倍の労働力だ。
続いて別の白地図に、こちらは土地の利用方法を書き込んでいく。畑とか田んぼとか宅地とか果樹園とか、そういうのだね。
標高図と合わせてもよかったのだけど、ごちゃごちゃしそうだから分けて書くことにした。
鉛筆と消しゴムなんてないし、書いたら消せないからね。書き足すのなら後でもできるからなるべく最初は分けて書いた方がいい。
こちらは相当昔のものだけど、全領地にある程度の概要を提出させた記録が残ってたのでそれを元に作成している。
なおその記録は百年以上も前のものだったので、今も本当にこの通りかはかなり怪しいけどね。それでもないよりはマシって奴さぁ。
「ま、こんなところかな」
道路地図兼移動時間目安、標高図、土地利用図、おおよその人口と特産品を書き込んだ特徴図。
合わせて四枚の地図を前にして、シアは呆け顔、アリーはおののき、シーラとお姉様はわりと真剣な顔で四枚の地図をとっかえひっかえ見比べている。
「よくもまあこれだけの資料をかき集めてきたものね。これ、盗まれたら面倒なことになるわよ?」
「存在自体を秘匿しないといけないわねこれ。スレイ、鍵のかかる金庫の空きを確認しておいてもらえる?」
「畏まりました、お嬢様」
「皆もこの地図の存在に関してはこの部屋の外で話題にしないこと。特にプレシアね」
「き、気をつけます」
名指しで、しかも私じゃなくお姉様から指摘されれば流石のプレシアも軽口は叩けず素直に頷くしかない。
さて何はともあれ、手元にあるデータは既に地図に書き込んでしまったからね。
ここから先の空白を埋めるのは大変だろうと、そう思っていたのだけど――
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