■ 92 ■ 地図を作ろう Ⅱ
「えぇ……いくら何でも油断しすぎじゃないですかお貴族様。もしかして馬鹿なんですか」
プレシアが呆れたようにそう呟くけど、馬鹿なのはお前だプレシア。
「あらぁー言うわねシア。じゃあ貴方がこれらの情報が極めて重大な意味を持つと知ったのはいつかしら?」
そう問い詰めると「うっ」と悲鳴を上げたプレシアが私の追求から逃れるように床へと視線を落とす。
「い・つ・か・し・ら?」
「…………今日です」
「あらあらまぁまぁ、今日! よりにもよって今日なの!? 驚いたわ! それでよくお貴族様は馬鹿ですねとか言えたものね!? その面の皮の厚さにビックリだわ!」
「うごごご……このアーチェ様の顔面をぶん殴りたいけど殴ったら負けになりそうな気分!」
オーッホッホッホッホ! 見なさいこの文句を言いたくても言えない連中の悔しそうな顔!
……っていう悪役仕草はこの辺で止めておこうかね。これ以上やると本当に皆に怨恨が残るほどの屈辱を与えそうだし。
「分かるでしょシア。貴方は獣王国についての常識を得る前に私に付き従って、獣人たちが頼りになることを最初から知っていた。だからこれらの情報が重要だと把握するや否や危険だって理解できた」
「……はい、仰せの通りです」
「翻ってシーラね。シーラはこれらが重要な情報だとは知っていたけど、それを知っていてなお過去に私を止めようとはしなかった。だけど私がそれを調べさせてたと知った途端にあまりの危険性に言葉を失った」
「……そうね。恥ずべきだけど獣人たちが自発的にこれを調べる、というのは全く考えなかったわ」
シーラほどの才を以てしても、獣人がこれを独自に探って本国へ持ち帰る、っていう可能性は微塵も考えつかない。先入観に邪魔されるのだ。
そして何よりのトドメとして、
「ダートも最初、なんでこんな事知りたがるんだって私に尋ねたわ。つまり事実としてあれだけ賢いダートでも目的意識が無いと情報の意味が理解できないの」
「本当に獣人の難民たちには自発的にこれを調べるって思考がなかったって事なのね……」
「そうです。なのでお姉様が恥じる必要はないですよ」
偏見ではありましたが、その偏見は事実でもあったということですから。
「と、いうのが全てね。エミネンシア侯も、お祖父様も、国王陛下もウィンティもヴィンセントもルイセントもダートすらも誰一人として、先入観と事実に邪魔されてこの危険性に単独では気づけないの。もし誰か一人でも数年前に危険視していれば、私とて獣人の雇用を進めることはなかったわ」
自ら危険な罠に飛び込んでいく趣味は私にはない。だから反対の声が一つでも上がれば潔くこれらは諦めて獣人を水夫にするのみに留めるつもりだった。
しかし私の予想に反して誰も反対の声を上げることはなく――だからこそ今の私は一見して無茶苦茶な未来絵図が実現可能となることもあると、そう考えてる。
「貴方たちがこの情報の出所を言わなければ、私が獣人を利用してこれらを収集したとは誰も考えられないのよ。どう? 私の命綱を握った感覚は。これから先、貴方たちはいつでも好きな時に私を殺すことができるわよ」
これでこの部屋に集った面々は私を処刑台へと送る情報を握ったことになる。
誰かがゴクリと唾を呑んだ音が静寂の茶会室に響き渡って、その後に、
「その人になら騙されても仕方ないと思えるだけの覚悟を持てるならば、信じることを前提にできる」
最初に口を開いたのは、予想もしないことにプレシアだった。
「私の答えは変わりませんアーチェ様。私はアーチェ様が私に向けて下さった信頼と共に生きます。その前提が変わることはありません」
私の信頼を裏切ることは決してないと、そうプレシアが最初に跪いて頭を垂れる。
続いて、弾かれたようにアリーも。
「わ、私もですアーチェ様。私は貴方を主と定めました。今更宣言を翻したりはしません」
「ありがとう、シア、アリー。まぁそんなわけでヤバイと思ったらその時点で私たちを切って下さいお姉様。我々はこの路線を変えることはありませんので」
残るお姉様とシーラに笑いかけると、ふぅとお姉様が小さく溜息を吐く。
「私たちは弱小勢力だもの。危険な橋はこれから幾度となく渡らねばならないのでしょうね。私も咎め立てする気はないわ、アーチェ」
「お姉様が仰るのであれば私も、と言いたいけど――これがルイセント様が王位に就かれた後の問題にはならないと、そう思っていいのよね?」
うむ。流石にシーラはそこまで心配するよね。
そういう根っこの冷静さがあるからこそ私はシーラが誰よりも高く買っているわけだが。
「心配ないわ。だって今回の調査に使った獣人たちをワルトラントにくれてやるつもりは更々無いもの」
「……皆殺しにする準備があるの?」
「そうじゃないわ。もっと平和的かつ偶然に頼る――ようは博打ね」
その博打の内容。ダートの国盗り予定について語る機会がなかったシーラにもようやくそれを伝えると、
「……立案者があんたじゃなければ気が狂ってるとすら私思ったわよ」
「改めて、よくアーチェはそんな曖昧すぎる賭けに獣人たちを乗せられたわね……」
「アーチェ様もう人を越え獣を越え神になってたりしませんよね?」
「一生かかってもアーチェ様に追いつける気がしません」
誰もが「やっぱりこいつヤベェ」って顔で私を見てくるの、仕方ないとは言えちょっと悲しいわ。
なんにせよ、いよいよ既に手元にある情報を地図に書き込んでいくことにする。
幸いダートたちが足で調べた情報なので東回りルートと西回りルートにおける流通品と行程表はほぼ信頼できる実データが手に入っている。
他方、
「標高差、これは全く情報がないですね」
「一応少しだけはあるんだけどね」
白紙の地図の中央に、手元にある資料からガンガン線を引いて、高さに合わせて色を塗り分けていく。
絵具ってのがこれ、まだ高価なのであまり多様はしたくないけど色分けしないと感覚で掴めないのよね高低差。
「アーチェ様、何ですかこの地図、なんか輪っかばっかり書いてますけど」
「輪っかじゃなくて等高線ね。同じ高さを線で繋いでいったものよ」
そうして唯一、地図の中央に一つだけだけど等高図ができあがる。
山の頂上は雪を冠して一年中白くあるこの山を昔の人は穢れない白き聖なる山と崇めたらしいが……私からすりゃあ高いだけの山だ。
むしろこいつが国の中央に
「残りは何とかして埋めたいところだけど、多分この図の完成が一番最後になるでしょうね」
一応、アンティマスク領の標高を書き込んで溜息一つ。
なお測量技術がそこまで発達していないからこの等高線もそこまで正確なモンじゃないよ。あくまでだいたいだ。それでもないよりはずっといいからね。
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