■ 92 ■ 地図を作ろう Ⅰ






「というわけでアリーとシアはこれ、地図に書き込んでいってくれる?」


 ほい、と紙束を手渡すとアリーが不思議そうにそれに目を通していって――ギョッとしたように書類をぎゅっと抱きしめる。


「アーチェ様、どうやってこれだけの資料を集めたんですか!?」

「ん? ダートに調べて貰ったの」


 ダート、という名前が誰のものか一瞬アリーは出てこなかったようだ。

 一方でプレシアは「あーそういうこと」みたいな顔になってるけど。


「ダートさん、というとあの獣人の方ですよね? フェリトリー領でアーチェ様の使用人をやっていた」

「実態はほぼアーチェ様の私兵だけどね……」

「え、私兵なんですか? 獣人が?」

「違うわ、ただの協力関係よ。行き場のない獣人たちにお仕事を与えるのが私。それを取り纏めるのがダートってね」


 バナールに協力を依頼、王都から港までの輸送や海上での水夫に数年前から獣人を使って貰い、人件費の削減を実施している。

 そしてその事実をお祖父様に伝え、東回りのみならず西回りでも同様に獣人を使って貰った

 と、いうことは、だ。


「移動に必要な日数や輸送される荷の中身とかの実情報は手に入るでしょ」

「そんな前から仕込んでたんですか……」


 アリーが呆れたように呟くけど、情報ってのは欲しいと思った時にすぐ手に入るものじゃないからね。

 前々から下ごしらえをしておいて初めて結実するものなんだよ、こういうのは。

 感心したようにアリーが頷く一方で、シーラは完全に青い顔になって、


「ちょっと見せて」


 シーラから資料をひったくってそれらに目を通す。然る後にわなわなと震える手でそれをお姉様に手渡して、キッと私を睨み付けてくる。


「あんた……自分が何やったか分かってるの?」

「当然。知らないでやる馬鹿はいないわよ」


 私とシーラの間で火花が散るその脇で、あっとお姉様が小さい悲鳴を上げた。どうやらお姉様も気がついたかな。

 まだアリーとプレシアは気がついていないみたいだけど。


「あの……何か問題でもあったんでしょうか」

「大問題よアレジア。いいこと? アルヴィオス王国の国策として、大人になった獣人はワルトラントへ追い返すことになっているのよ。つまりこの調査を実施した住人たちはいずれワルトラントの住人になるの」


 そう指摘されたアリーが僅かに考え込んだ後に――


「ヒッ!」


 小さな悲鳴を上げてふらっと椅子に座り、いや倒れ込んでしまう。


「そ、それって……いずれワルトラントにアルヴィオス王国の輸送についての情報が」

「そう、全部筒抜けになるってワケね。これがバレたら売国奴として縛り首どころか一家お取潰し、そういうレベルのことをこいつはやったってワケ!」


 そうね。つまるところ私はもっとも任せちゃいけない相手に調査を依頼したってワケだ。

 これが発覚したらもうそれだけで第二王子陣営を叩き潰す理由として十分すぎる程だけど、


「何も問題はないわ。だって現時点で誰もそれを問題にしていないでしょ?」


 私だって馬鹿じゃないんだ。そういう危険性を考えていなかったわけじゃない。


「いい? シーラ。もしアルヴィオス王国貴族が僅かでも難民たちを警戒しているなら、私が難民を輸送に使おうって提案した時点で誰かが強く諫めてるはずなのよ。泳がせて、私に罪を着せようなんて考えは出ないの。だって極めて危険な情報がワルトラントに流出する危険性があるのだもの。見て見ぬ振りをしたことすら利敵行為として処罰されないレベルでね」


 そう。私たちを嵌めるためにあえて見逃した、とかをするには本件、あまりに危険が高すぎるのよ。

 私たちを排除してヴィンセントが王位を継いだとしても、この情報がワルトラントに流れていてはヴィンセントは大いに困ることになる。

 自分が王になった後のことを考えたら、これは絶対に試行開始前に潰しておかなければいけないぐらいに危ない試みなのだ。


「……言われてみれば確かに。これを第一王子陣営が罠として使うにはあまりに自分が王座に就いたあとのリスクが大きいわね、じゃあなん……で……」


 ああ、シーラはもう気がついたわね。

 ただシーラ以外の面々はまだ自分たちが持つ豊富な知識・・・・・に気がついてないか。


「え、じゃあ何で誰も止めなかったんですか?」

「凄く簡単なことよシア。未成年の獣人の難民如きがこんな情報を集めて持ち帰るなんて考える王国貴族が誰一人としていなかったからよ」

「え? 何で誰もそれを考えないんですか? 絶対警戒すべきじゃないですか」


 そのプレシアの素朴な疑問の答えは――そこの苦虫を噛み潰したような顔になっているシーラとお姉様が全てを物語っている。


「ねぇシーラ。貴方も過去に私が獣人を人足や船乗りにって提案した時、一切反対はしなかったわよね。それは何で? ああ、答えるのはお姉様でもいいですよ」

「くっ……」

「ううっ……アーチェの意地悪ぅ」


 まあ、そういうことだ。シーラもお姉様も私の極めて意地悪い質問に罵倒の一つすら返すことができない。それが全てだよ。


「正解はねシア。アルヴィオス王国貴族は常識として『知能の低い獣人の、しかもロクに教育も受けていないような難民の子供にこんな情報の価値なんて分かるはずがない』って頭から思い込んでいるからよ」


 そう。身内で延々と争いを繰り返してるワルトラント獣王国を危険だとは認識していても、知恵が回るとは思ってないのがアルヴィオス王国貴族だ。

 狂獣王フィアが失われて以降、一つに纏まることもできない獣人という種族そのものを最初から低く見ているのだ。連中にそんな知恵があるとは微塵も思ってはいない。


 種族として強靱で数が多いから脅威だとは認識している。圧倒的暴力としては警戒している。

 だけど彼らが斥候を難民に潜ませ情報を収集、兵站を破壊し理知的に相手を壊滅させる可能性なんて思いつくことすらできない。蛮族にそれをやる知恵などないと思い込んでる。


 人、これを偏見と言う。






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