■ 91 ■ アーチェ先生の真っ黒授業 Ⅱ






「いいこと? このアルヴィオス王国は長年戦争こそ起こってないけど、内輪の小競り合いはそこそこ発生しているわ。隣の領主と揉めたりとかでね」


 すんげー当たり前のことだけど、ここからここまでがウチの土地ね、っていうのは土地に物理的な線が引かれてない以上、絶対に揉める。

 互いが「ここまでがウチ」という境界が綺麗にぴったり一致することはなく、だからこそ当たり前のように隣接する領地の長どうしは仲が悪いことが多い。

 ウチみたいに通行税でお金を取ってる領地ならさておき、収穫高が収入に直結する農地だと土地は広ければ広いほどいいからね。


「自分の領地を自分で守るのは基本中の基本だから、王家は余程対立が深刻化しない限りこういう小競り合いに口は出さない。頼れるのは自分の力だけってワケ」


 ただ、同じ国の中での争いということもあって、居住性の破壊だけは徹底して禁じられている。

 平たく言えば他人の領地になるぐらいなら、と魔獣を呼び寄せたりとか、井戸にクソを投げ込んだりとか、土地に塩を撒いたりとか、そういう奴は御法度ってわけね。


 地雷にあたるような道具がこの世界にないのはとても喜ばしいことよ。地雷、核兵器に勝るとも劣らない最低の非人道兵器だからね。

 よくも私のHNに地雷犬マイナードッグなんて名前付けてくれたなぁ食む太郎よぉ、ええ? あ、いや、前世の腐連奴のことはどうでもいいんだ、重要なことじゃない。


「ただ当たり前だけど、兵を動員するのはお金がかかるからね。攻める方も守る方も出費が嵩むのよ」


 戦争ってのは凄まじい金食い虫だからなぁ。まず戦場となる土地からの収穫が途絶える。

 収穫が減ったまま人手を矢継ぎ早に投入するからあっという間に食糧が減っていく。怪我人が出れば治療費、死人が出れば弔慰金。

 武器防具は破損する側から補給をしなければジリ貧だからここも削れない。それでも負けるよりはマシだからどんどんお金を突っ込んでいく。


「で、脱税の話に戻るけど。もし人頭税や一割税を馬鹿正直に王家に支払っていたらどうなると思う?」

「どうなるって……王家の覚えがよくなるんじゃないですか? 真面目な領主だって」


 この会話の流れでそんなふうに考えるなぁー! いや、シアがよくも悪くも善良(なお人に迷惑をかけることと善良さは両立する)であることは分かっているつもりだったが。


「違います。いい? 人頭税や一割税ってのはその土地の人口と収穫高の告白なの。その数値が正確だとね。バレるのよ。自領の余力が、他領に」


 この領地には何人の人がいて、食糧はどれくらい収穫され倉庫に眠っている。

 そういう情報が事前に分かってれば、いざ小競り合いを始めた時に、


「分かる? 相手の余力が正確に分かってれば、どれだけ相手の戦力を削れば音を上げるか、それが計算できるってことなの。それが正確に分かってるなら徹底的にやるでしょ? 誰だって」


 逆にここの数字が不明瞭であればある程、武力衝突は決着が付かないまま終わることが多くなる。

 勝てるという保障のないまま自分側の余力をブッパするのは完全に賭けだからね。


「王家からしたって、特定の領地がワンサイドゲームで勝ってどんどん力を付けていっては困るもの。だから各領地が正確な数値を王家に申告しなくてもある程度は目こぼしするの」


 分からない、ということが抑止力になるなら、多少の脱税は必要経費として受け入れる。

 仲の悪い領地がそれでジリジリと出費を強いられるのなら王家としてもそれはそれで好ましい。王家以外の強大な領地が生まれてしまっては困るのだから。


 それに脱税したところでそうやって小競り合いをやって金が出て行くなら、結果的には国の経済は回り続けることになるわけだしね。


「でも、そうすると脱税すればする程有利じゃないですか?」

「ところがそんなことも無いのよね。だってそうやってお金貯めて何に使うの?」

「何にって……美味しいもの食べたり、綺麗なもの着たり」

「それ、どこから買うの?」

「どこからって、輸入したりとか、他領から……あ」


 ここでようやくプレシアも気がついたようだ。

 ものすごく当たり前のことだけど、ひたすら金貨を積み上げるのが好きって人以外は、金が手元にあれば使いたいという欲求を抑えられないものだ。


 綺麗な服が着たい。美味しいものを食べたい。宝石、貴金属。美味しいお酒を飲みたい。そしてその事実を見せびらかしてマウントを取りたい。消費するために人は金を求めるのだ。

 この世界は投資だの積み立てNISAだの何だのは発達してないから(全く投資が無いわけではないけど)ね。


「税収が明らかに減っているのに消費が拡大する領地を怪しまない馬鹿はいないわ。ダンスパーティーは何のために行なわれるの? 何故私たちは着飾るの? 全ては自分の豊かさを周囲に示すためでしょ?」

「そっか、脱税すればするほど表だって使えるお金が減っていくんだ」


 無論、隠してできる贅沢ってのもあるから絶対ではないけどね。

 しかし傭兵国家も近くにない、無人運用できる兵器もない世の中では、チマチマ脱税でお金貯めるより全体の収入を増やした方が効率がいいんだわ。

 だってあらゆるものがマンパワー主体なんだもん。お金も信用貨幣じゃなくて本位貨幣だしね。無線で金が動く社会と違って偽装は困難なのさ。


「貴族社会は相互監視社会、誰もが水面下で牽制し合っているし、領毎に大幅に気候が異なるわけでもないから無理な脱税は露見しやすい」


 抜け駆けは許さない。他人のズルは認めない。

 ましてや半年は同じ貴族街で生活する関係だ。相互監視の目はそりゃあ厳しくなるよなぁ。


「そうやって炙り出された私腹は全て、周囲が公平性の鑑である王家という名の鉄床に叩き付けて徹底的にすり潰そうとするわ」


 世襲貴族が一年の半分を王都で暮らすことを義務づけられているのは、領主を土地から引き剥がして暗躍の機会を削るためでもあるのだ。

 幾ら目こぼしされているとはいえ脱税は犯罪だからね。それを安心して他人に任せられる人なんてそうそういないし。


「つまり……弁えて脱税しろってことですか」

「そういうこと。重要なのは何事も度を超さないことよ」


 出る杭が打たれるのはどの世界も同じってね。実際、脱税した金で軍備を整えようとしたって、仲の悪い領地には間諜を放つのが普通だ。

 目に見えた軍備増強は絶対に露呈するし、王家に翻意ありなんて噂をばらまかれては危険だから、やはり度を超えるのは危険なのである。


「じゃあ……その皆が隠していることをどうしてアーチェ様は知ろうとしているんですか?」

「そりゃあ知ってて見逃すのと知らずに傍観するのじゃ全く意味合いが違うからよ」


 お姉様はこれから王家の人間になるかもしれないのだ。

 そもそも各貴族たちが程々に改ざんした数値を報告してくるんだぞ。自分で正しい数字を把握してなきゃお貴族どもにいいように転がされて終わりだ。


「正しい情報を持たぬ物が公平性の維持なんてできるわけないでしょ? 自国のことを知る術のない者が王家を名乗るなんてちゃんちゃらおかしいじゃないの」


 公的には改ざんされた数値が入ってくる。それを目にした王家は自分の情報と照らし合せて、時には適切に釘を刺す。

 そこで釘を刺せない王など舐められて終わりだ。一貴族としても最大の領地と最大の収入を誇る王家の力がその程度では、馬鹿にされても仕方が無いだろう。


「……つまり、私たちは独自の情報網を作り上げ、それを元に物事の正誤を判断できるようにならないといけない、ということね」

「はい正解ですお姉様。お姉様がルイセント殿下の言うことを信じるのは当然でしょうが、王子が掴んでいる情報が正しいと思い込むのは危険ですので」


 そもそも情報っていうのは複数のルートから集めて摺り合わせして始めて事実に近い精度になるものだからね。


「アーチェ様は本当にルイセント殿下を信用してませんよねぇ」

「違うわプレシア。こいつの場合自分で確認したことしか信用しないだけよ」


 おぉう、シーラの皮肉が耳に痛いぜ。ま、その通りだから反論のしようもないけどね。


「一つだけ訂正しておくならシーラ、私は私自身もいまいち信用してないわよ」

「でしょうね。それでよく生きていられるもんだわ」


 ハッと息を吐いたシーラだけど、ここで話の腰を折っても仕方ない、と気持ちを切り替えたのだろう。


「なんにせよお姉様が国のことを知っておくべきだというのは私も賛成です。以後はこれらの把握も並行して進めていきましょう」

「わかったわ。シーラとアーチェ、二人の意見が一致するのであればそのように」


 さ、そんなわけでこれからはこの地図をどんどん埋めていくよー。






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