■ 91 ■ アーチェ先生の真っ黒授業 Ⅰ
さて、冬の社交界開始を告げるダンスパーティも終えて、ここから大人は本格的な社交シーズンに突入する。
もっとも学生の私はバナールに呼ばれない限りは大人の社交に参加する必要はないので、少し遅れ気味の学生教育に力を入れていくわけである。
「遅れ気味……?」
「遅れてるでしょ。一年の終わりまでには三年生前期までの授業は終えておきたいもの」
そこからお姉様が王妃として必要な情報を取捨選択して、何とかウィンティに対抗できるようにしておく必要があるんだし。
礼儀作法とか一般教養は王子がお姉様に
「あとは、国の現状を抑えるのも平行して進めないと」
そんなわけで、いつものミスティ陣営及び侍従を含めた八人でいつものお茶会である。
なおルナさんは最近、フェリトリー家冬の館の手が回らないらしくプレシアと別行動をしていることが多い。まだ四人しかいないからね、今の館の使用人兼文官は。
さて、机サイズもある白紙のアルヴィオス王国地図をプレシアとアリーに幾枚も用意させて、これをエミネンシア家茶会室の机の上に重ねる。
「地図を作ります。先ずは皆でこの地図の空白を埋めていきましょう」
欲しいのは各領地が育てている農作物と収穫高、道路、標高、年収と税収。最低でもこれだけはなるべく正確な数字が欲しい。
「そうは言うけどアーチェ、それらは各領地ともにある程度伏せている情報よ。そう簡単に正確な数字は出てこないわ」
そう、シーラの言うとおり正確な地図というのは基本的に秘匿されるものである。
なぜか? 当然、それらは全て戦争をする上で最も大切な情報だからだ。
人工衛星なんてものができて秘匿しようがなくなった前世とは違うのである。
今目の前にある道がどこに繋がっているかを知っている人、というのはこのアルヴィオス王国では一握りしか存在しない。
例えばケイルみたいな優れた風属性は空を飛べるけど、他人の領地を空から観測なんかしていたら基本、撃ち落としても構わないとされるぐらいだ。スパイと同じ扱いなのだよ。
前世日本だってシーボルトが地図を持ち出そうとして関係者多数処刑、なんていうくらいに地図は重要な情報として扱われていたくらいだし。
「アーチェ様、王家はそういうの知ってるんじゃないですか? ルイセント殿下に聞けば一発だと思うんですけど」
「王子は知ってても言わないわ」
「何でです? だって私たち殿下のために働いているんですよね?」
その通りなのだが、それが政治というものでね。
「王家は公平かつ公正でなくてはならないからよ」
貴族院という政治形態が存在しているように、アルヴィオス王国は絶対君主制ではない。
広く豊かな直轄地を持ち、貴族としてみても莫大な富を持ってはいるが、それでも王の意向が政治の全てに反映されるわけではない。
「結婚や養子縁組の際に貴族は王家にお布施をして認可を取るでしょう? この認可がどうして効力を発揮するかと言えば、王家がその公平性を保障するからなのよ」
「逆に言えば王家がその公平性を失った場合、王家は王家たり得ず大貴族と差が無くなってしまうというわけね」
補足ありがとシーラ。
そう、王家は公正であるからこそ王家たり得る。それが王家を支える最大の柱である。
王権神授説、なんてものはこのアルヴィオス王国には存在しないのだ。
「分かりやすく言えば、国を運営する上で公平かつ力を持つ誰かが存在する方が都合がいいからアルヴィオス王家は今も貴族たちに存在を許されている、ということよ」
「言葉にするとこれ程不敬な話はないわね。とても外部には聞かせられないわ」
お姉様が嘆息するけど、内心では大貴族たちは私が言ったそのままの考えをそっくり抱いていると思うよ。
そして王家側もそれをキチンと了解している。公平性こそが自分たちの存在を繋いでいると分かって王家をやっているのだ。
「あのー、じゃあ何で私たちは第一王子派と争ってるんです?」
「無論、絶対的な公平公正なんて存在しないからよ」
王家が幾らその公平性によってその存在を求められていると言っても、所詮は人のやることだ。
肉親を多少は贔屓したり、甘やかすぐらいは許されるし、だからこそオウラン公はウィンティを王妃にしようとあれこれ尽力しているのだ。
「ちなみに過去には完全に肉親との情を切り捨てて可能な限り公平に振る舞おうとした王がいたらしいけど、その王位は長くは続かなかったそうよ」
「何故ですか? それはよいことのように思えますが」
ふむ、質問してきたアリーとプレシアは当然として、お姉様もこれは理由が分からないか。
シーラはどうだろうね。分かっているようにも見えるし自分の答えに自信がないようにも見えるけど。
「そこには人の情がないから、ということね。人間性が感じられない相手には、誰も親近感を覚えない。要するに誰からも好かれないからよ」
『王は人の心が分からない。王は優しさが存在しない冷酷な人だ』
そういうふうに全方向から非難されながら、ただ作業として孤独に王をやれる人はいない。
正義のヒーローだって守っている群衆から嫌われ疎まれ非難された上でヒーローを続けられる奴はまぁいないわ。できる奴がいたらそいつはもう心が壊れてるか人をやめてるかよ。
「でも、王には公平性が求められているんですよね?」
「建前としてはね。でも私たちは人の世界で生きているのであって、神の世界で生きているわけではないわ」
分かりやすく言えば、王に神を求めている人はどこにもいない、ということでもある。
いや、王と接することがない下々の民なら王に神を求めるものも沢山いるだろうけど。
だけどしばしば機械に管理される社会がディストピアとして前世では描かれたように、人間性のない社会を人はおぞましいと感じるのだ。
アリストテレスの時代には人間性とは獣とは違う、自らを厳しく律する機械的な在り方を示していたはずなのにね。
獣しかいない世界では人間らしさとは機械じみた自律であり、機械が現れた世界では人間らしさとは獣性に由来する愛情を示す。
笑っちゃうよね。人間らしさ、なんてものは所詮他者との比較でしか存在し得ない概念だということなんだから。
「そうね、シーバーにフェリトリー男爵をやらせるところを想像してご覧なさい。理由は分からないけどなんか嫌だなって思うでしょ。そのなんか嫌だな、が絶対公平を目指す王様を嫌う理由よ」
「あ、何か分かる……」
「理屈では全く理解できてないのに、確かに分かっちゃいますね」
「領主としての知識や実力はシーバーの方が高いのでしょうけど……確かにベティーズ閣下の方が好ましく感じるわ。不思議なものね」
プレシア、アリー、お姉様が相次いで納得したように頷き始める。
シーラはシーバーをよく知らないから空気を共有できず、少しだけ寂しそうだけど。
「私たちは暖かみのない相手を上司に掲げたくない。立派な人、という概念の中には配慮や優しさが含まれないといけないんです。優しさというものは公平性を破綻させるものですけど、私たちはそれを求め、その歪みを認めているんですよ」
我々被支配階級は支配者に常に理解を求めている。
我々を理解できないものは我々の指導者に相応しくないと考えている。
だけど支配者に理解を求めているのは下々のみならず、支配階級の上澄みもまた同じ。
そして理解を求められた支配者は自分の身近にいる存在に対してまず理解を示すから、その考え方は下々と全く異なっていく。
「結果として、公平であることを謳いながら公平でない存在が王として求められる。王は周囲が認める範囲で公平であるように振る舞わねばならない。理解できたかしら? シア」
「せーじが建前と方便の山積みでできてるってことは理解できました」
「結構。だから王子は王家のみが知る情報を私たちには教えられないってこと」
あぁ、もう少し簡潔に説明できる知恵が欲しいわ。どうしても話が長くなっちゃう。
「あとついでに王家が持っているデータが正しいと思い込むのは間違いよシア。当たり前のようにほぼ全ての領主が脱税しているから」
「はい?」
いやいやそんな馬鹿な、とプレシアが手をヒラヒラ振るけど、そんな馬鹿ななのだよ。
「当然のようにウチも、エミネンシア侯も、フロックス男爵もやってるわよ」
やらないはずが無いんだよなぁ。
だって、それを精密にやっていいことなんて何一つ無いんだから。
「……何で誰もが脱税している状態で誰も何も言わないんですか?」
「さっきシーラが言ったとおり、正確な数字を誰もが隠したがるからよ」
「…………王家はそれ知ってるんですか? 知ってるなら何でそれを是正しないんですか?」
「是正すると国が割れるからよ」
すっかりクエスチョンマークを浮かべてしまっているシアに、あとお姉様たちの確認の意味も含めてこれも一から説明しておくか。
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