■ EX16 ■ 閑話:それぞれの思惑 Ⅵ-Ⅰ
「お帰りなさい、父上」
「ああ、留守番ご苦労。アイズ」
王城から侯爵家扱いのアーチェより遅れて、グリシアスもまた己の家へと帰還する。
「アーチェは?」
「お疲れのようでしたので、今日のところは早めにお休み頂くよう勧めました」
「疲れていたのか、あれが」
皮肉の色が言葉の端に覗いているのは、やや姉に対し過保護気味のアイズに向けたものか。
それとも全く自然体で大人の社交界をモノともせずに泳ぎ切ったアーチェをその目で見ていたためか。
姉の話題になるとグリシアスが皮肉っぽくなるのは今に始まった話ではないので、アイズも既に慣れたものだ。
「父上、姉上はまだ私と同じ十三歳で、しかも女性です。大人の体力に合わせた夜会を終えれば疲弊もしますよ」
「……そう言えばそうだったな」
どれだけ高い精神年齢と知識を備えていても、身体は十三歳の子供のそれだ。
アイズの言うことはもっともであり、アーチェに対して過剰な認識を抱いていた自分のズレにグリシアスは僅かながら不安を覚えた。
感覚でアーチェの精神年齢が老けていることはなんとなく読み取っていたが、それはそれとして身体が子供であることは間違いない。
こんな人間に相対するのは初めてである以上、グリシアスが想定するアーチェ像と実物のアーチェに差が出てくるのは致し方ないことであるが。
「着替えを終えたら今日の要点について伝える。しばし待て」
「はい、父上」
グリシアスはマメにアイズと一対一での対談を行なう。
養子であろうと何だろうとアイズを惣領息子として認めているのであれば、情報を摺り合わせてアンティマスク家の方針を一致させておくのは当然のことだ。
「ですが父上もお疲れではないですか?」
「いや、今日は疲れるほどの議題は上がらなかった。鬱陶しい話はあったがな」
姉について周囲からいろいろ聞かれたのだろうな、とアイズは洞察し深追いは避けた。
グリシアスが――考え方の正邪はさておき――真面目な性格であることをアイズは理解していたので、アーチェの話題が登る度にグリシアスがアーチェのことについて逐一真面目に考えて勝手に苛立ちを募らせる、という無駄な疲弊を溜めていただろう事は容易に想像できたからだ。
着替えと簡単な入浴を終えたグリシアスはアイズを執務室兼談話室に招くと、すぐさま夜会の内容を共有し始めた。
夜会や茶会はアルヴィオス王国における、欠かすことのできない政治の場である。特に多数の貴族が集まる夜会では重大な案件が貴族家の話し合いで定まることが多い。
貴族院における議題の審議前に、まずは信頼できる味方内の茶会で起案。問題点の修正と合意。
その後に関係各位への根回しも含めて夜会である程度の合意を得てから貴族院に提出されるのだ。
対立集団がどのような議題を勧めようとしているかを把握して、それに対抗する集団を作り上げたり。もしくは懐柔したり、条件を付けて味方に引き入れたり。
そういったやり取りを行なう、言わば貴族院の前段階となる場が夜会なのである。これを疎かにしていいわけがない。
無論、宝石や豪華な衣装を無駄と言い切る淑女嫌いのグリシアスとて例外ではない。
これを退屈だったと言えるのは単なる馬鹿か、全てを恣にできる権力の持ち主か、そのどちらかでしかない。
グリシアスが語る夜会における議題はあっという間に終わってしまい、確かに今日は穏やかだったのだなとアイズは納得した。
あくまで今日は第一王子ヴィンセントのお披露目が優先されたようで、貴族たちも配慮して優等生の仮面を被ったまま魑魅魍魎の本心は伏せていたと見える。
「アンティマスク家の方針としてはこのまま王位継承戦の旗色を定めず現状維持でよろしいのですね」
「ああ。このままで行く」
当初アイズは二人の王子のどちらかに旗色を定めないといけないと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
実際の王位継承戦で大多数となるのは、従来からの体制の支持、つまり勝ったほうに従うという日和見なのだそうだ。
それが許されるのか? 新たに即位した王に睨まれないのか? とアイズとしては不思議だったのだが、
「多少は冷遇されるが、敵に回らなかったものを全て処断などすれば国が回らん。精々冷飯を食わせるのが限界だからな」
要するに美味しい思いができなくてもいいなら、別に旗色を明らかにしてどちらかを支持しなくても生き延びられるということらしい。
そもそも王位継承戦は私利私欲ではなく、より優れた者を王にするために行なわれている。
だからこそ勝者、即ち優れた方に従うというのは自然なことなのだそうだ。
むしろ大した才も無いものを寄ってたかって王位に就けようとすること自体が間違っているため、徹底的に干されるみたいなことは起こらないらしい。
無論、新しく立った王に取り立てて貰うことは諦める必要はあるが。
「アンティマスク領は東回りの要所で、領土は狭く通行税が主な収入源だ。故に港を抑えられると弱いが、エミネンシアにはアーチェを送り込んだのだ。このままで問題なかろう」
見事な手際だ、とアイズとしては感心しきりである。
要するにどっちが勝ってもアンティマスク領にとっては痛くも痒くもない、という段階まで既に下準備ができているのだ。
「ですが父上、このままヴィンセント殿下が勝っても構わないのですか?」
「無論だ。何か問題があるか?」
「いえ、ですが話に聞くオウラン公は感情に従って行動する方のようですし。父上はそういう貴族がお嫌いだと思ってましたが」
「好き嫌いで政治は行えん。お前もそれぐらいは分かっておろうに」
そうグリシアスはアイズを諭したが、アイズはどこか納得していないようにしきりに眼を瞬いている。
いや、納得していないと言うよりは理解が及ばない、とでも言うべきか。
「どうした。何が腑に落ちない」
「……一つ、質問をしても宜しいでしょうか」
「構わん。私と次期当主であるお前の認識に齟齬があっては困るからな」
そうグリシアスが促すと、アイズはやや躊躇った後に、
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
口を開いたが、それは全くグリシアスには予想も付かない問いかけだった。
「……なんだ? それは」
「父上が語られた言葉ではなかったのですね。はい、姉さんの未だ答えの出ない悩みだそうです。父上はこの問いに答えられますか?」
アーチェの言葉、と理解した瞬間にグリシアスは不機嫌になりかけたが、
「成程、一つの問いに全てが詰まっているな」
「はい。私もまた同様にこの問いに対する答えを持ちません。父上はお持ちでしょうか」
難しい、質問だ。とても一言で答えられるようなものでもない。
だが――これはある意味アイズからの己に対する挑戦でもあることをグリシアスは看破した。
答えはまだ無いと言えば、アイズにとってのグリシアスの価値は姉と同格、姉を上回る存在ではないと定義される。
だが答えは――これは己という人間の在り方を問う質問だ。もしこの答えがグリシアスの以後の行動と矛盾すれば、やはりアイズはグリシアスが本心を語っていないと怪しむだろう。
何故アイズはこのような質問をしてきたのか、は問うまでもない。
アイズはオウラン公が噂通りの人間である場合、これを看過するのはグリシアスらしくない、と感じたからであるのだろう。
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