■ EX16 ■ 閑話:それぞれの思惑 Ⅴ






「今頃兄さんは成人ダンスパーティーの初お披露目か」


 王城の一室。

 第二王子の事務室として宛がわれている一角で第二王子ルイセント・エンズヴィル・アルヴィオスはそっと視線をダンスホールへと向ける。

 無論、第二王子に透視能力などは備わっていないので、どれだけ眺めても自室の壁しか見えないのだが。


 なんにせよ全ての成人貴族家当主がダンスホールに集っている今は社交をする相手が不在。

 誰かがやってくる可能性も低いため、今は談話用のテーブルにお茶を用意させ、侍従を対面に座らせての貴重な休憩時間である。


「それとアーチェ・アンティマスク伯爵令嬢の初お披露目ですね」


 幼き頃からの忠実な侍従、さらには第二王子の護衛も兼ねているウェイジ・ウンブラ侯爵令息がそう付け加える。

 齢十七才、学園生活の三年間以外の時間をルイセントと共に過ごしたウェイジはルイセントの腹心にして無二の親友でもある。


「ああ、アンティマスク伯は流石だね。私が成人する前にさっさと彼女に婚約者を宛がってしまった」


 アーチェを手に入れるのは無理だろうとは思っていたが、想像通りに手を打たれたのはやはり面白いものではなく、ルイセントはハッと溜息を吐く。

 ルイセントは未だ未成年だ。どれだけ側室が欲しかろうとまだ正室と結婚してもいないのに、側室との婚約などできるわけがない。


「彼女を迎え入れられればミスティも安心できたのだろうけどけど……」


 いずれアーチェはミスティの義母となるわけだが、エミネンシア侯爵婦人としてのアーチェの役割はエミネンシア領を富ませることであり、ミスティを支えることではない。

 ルイセントの側室にできればミスティを以後永久に支えさせることもできただろうが――悲しいかな未成年の身ではその手は打てず、アンティマスク伯に先手を打たれてしまった。


 正室を迎えていない状態で側室との婚約など正妻へのこれ以上無い侮辱であり、このアルヴィオス王国では前例がない。

 何をどう盛ろうとも年齢だけは変えようがないので仕方のない話ではあるのだが、だからといって悔しさが慰められるわけではない。


「あの歳にしてアンティマスク伯に比肩する見識の持ち主です。中立派の伯としては両殿下の手に落ちるのは避けたかったのでしょうね」

「……ああ、兄さんがアーチェを側室に迎え入れる可能性もあったわけか。確かにそう考えると来年には兄さんは成人してるし、チャンスは今しかなかったんだね」


 厄介なモノだ、とルイセントは再び溜息を吐く。


「兄さんからしてもオウラン公を封じ込める手立ては欲しいよな。本当に兄さんがあのオウランを押さえ込めるのなら、王座を譲るに吝かではないのだけど」

「殿下」


 幼い頃からの付き合いなのだ。

 間髪入れずに釘を刺してくるウェイジの意図が分からぬルイセントではない。


「分かってるよ。人前じゃ口にしないさ。私に王座を、と尽力してくれている皆に申し訳ないからね」


 そう言いつつもルイセントは前言を撤回はしていないし、するつもりもない。

 本当にあのオウランを押さえ込めるなら、それは王として賞賛するに有り余る資質だ。王位はヴィンセントに決まりでよいだろう。


 ヴィンセント・ウォーリアル・アルヴィオスはルイセントにとって尊敬に値する兄だ。

 競争相手でありながらも兄から不当に遇されたことはないし、城を抜け出して遊んでいた幼い頃、よくよく兄に庇ってもらえたことは生涯の宝だと思っている。


 その敬愛する兄がオウランなどという、俗物の塊のような男の娘を婚約者にしたことには心底落胆したものだった。

 そこまでして王座が欲しいのか、その先にある国のことを考えていないのか、と――


「ウィンティ・オウランは抜きん出て優秀な令嬢だけど――彼女と二人でオウラン公を押さえ込める未来はちゃんと描けてるのかい? 兄さん」


 ウィンティが類い希ない優秀な令嬢であることはすぐにルイセントも理解し、早々に見識は改めた。

 だが二人の力を合わせてもなおオウラン公ファスティアスという壁は強大に過ぎる。


 兄はウィンティ・オウランを婚約者に迎えるべきではなかった。もしそれ以外の家から婚約者を選んでいれば、ルイセントは躊躇うことなく兄に王座を譲っただろうに。

 あの俗物にはこれ以上の権力を与える足掛かりすら与えるべきではない。それが分かっていてなお兄がウィンティを婚約者に選んだからこそ、


「兄さんに王位を渡せば、アルヴィオス王国はオウランに内部から蚕食される。手を抜くつもりはないよ」


 あれは、オウラン公はあまりに危険だ。俗物ではあるが愚鈍ではなく、必要なことは何だってやってのける。

 傲慢ではあるが飴と鞭の使い分けにも長けているし、それでいて彼の頭の中には禁忌という言葉が存在しない。

 血縁であるアルジェと似通った部分があると思えばいいだろう。力があるなら振るって何が悪い? と、そう考えるのがファスティアス・オウランだ。


 ルイセントにとっては大恩ある自慢の兄ではあるが、兄があれの血縁を伴侶に選んでしまった以上は国のため、オウランに連なる者になど王座は譲れない。それができるのは第二王子であるルイセントだけだ。


「しかし、ミスティ様でウィンティ様に相対できると本気でお考えですか? 殿下」


 ミスティは期末試験で百位以内にも入ることができなかった、王妃としては凡庸以下の教養しか持っていない令嬢だ。

 入学直後からずっと五位以内を維持しているウィンティと比べれば月とすっぽんではあるが、


「彼女の成長は目を見張る速度だ。それはお前も分かってるだろう?」

「仰せの通りにございます。しかし精神面では未だあまりに脆く、支え無しには実力を発揮できない御方でしょう」

「……未完成故の脆さがあることは否定できないな。だからアーチェを側室に欲しかったのだけどね」


 ミスティ・エミネンシアはここ数年で驚くほどの成長を見せている。

 それはルイセントの側でミスティを見守り続けてきたウェイジも認めるところであるが――いかんせん后教育の開始が遅すぎたのが悔やまれる。

 とてもウィンティを上回れる人材に仕上がるとはウェイジには思えない。


「ミスティの不足は周囲が補えばいい。俗な後ろ盾がいない点においてはウィンティより優れていると言ってもよいだろう?」

「はぁ、物は言いよう。あばたもえくぼですね」


 後ろ盾はないよりあった方がいいに決まっている。

 要するにミスティの不足分を自分が補うというその覚悟は、単にルイセントがミスティに惚れているが故の欠点でしかないということだ。

 ヴィンセントは色恋で婚約者選びを間違ったが――ぶっちゃけそれはルイセントも同じだとウェイジのみならずルイセント自身も思っている。


 要するに、似たもの兄弟なのだ。


 後ろ盾があるヴィンセントが王位を手にすることは容易いが、後ろ盾を排除できない場合その後の国に暗雲が立ちこめる。

 後ろ盾がないルイセントが王位を手にすることは困難だが、一貴族が権力を恣にする状況は避けられるため国はしばらく安泰だろう。


「我々の勝ち目は、アンティマスク伯爵令嬢が提案してきた策が上手くハマればようやく、と言ったところですか」

「ああ、とんでもない女傑だね彼女は。尋常な頭をしていたらあんなことは考えないよ」


 アルヴィオス王国を悩ませる獣人の流民たちを纏め上げて戦力として整え、ワルトラントの土地を奪う。

 そうやって奪った土地に難民を受け入れさせることで、アルヴィオス王国内の難民を一掃しワルトラントからの口実を潰す。それをルイセントの手柄とする。

 合理的ではあるが、一体どうやってアーチェは獣人たちにその危険へ踏み込む決心をさせたのか。とても凡百の伯爵令嬢にできることではない。


「ですが、盗った州をどうやって維持していくつもりなのでしょう? 現在王国内にいる流民は全て未成年です。とても奪った州を維持できるとは思えません」


 ワルトラントの土地を、州を盗るということはかの国の群雄割拠に首を突っ込むということだ。

 未成年の孤児ばかりの寄せ集めで――まぁやりようによっては国は盗れるだろう。だが国は盗って終わりではなく、そこが始まりである。

 学のない孤児の集団では戦力も政治力も何もかもが不足も不足。とても明るいな未来が築けるとは思えない。


「まったくだ。しかしあのアーチェがそれに気づいてないわけはない。多分まだ我々に秘密の何かがあるんだろうよ」


 あるいは、そうやって奪った州ごと難民たちがワルトラントの群雄たちに滅ぼされるまでもアーチェの描いた未来絵図なのかもしれない。そうもルイセントは考える。

 ある意味それでもアルヴィオス王国における難民問題は解決する。あまりに極悪非道とも言える手段ではあるが……それも政治と言い切ってしまえばそれまでだ。


「……彼女は、本当に我々の味方なのでしょうか」

「違うと思うよ。生半可な覚悟じゃそんなことを企んで実行したりするはずがないからね」


 本質的にはアーチェ・アンティマスクはグリシアス・アンティマスクと同様の存在だとルイセントは思っている。

 この二人は人に対しては絶対に忠誠は誓わない。国に対して忠誠を誓っている貴族であると。


「国、あるいは機構とでも言うべきかな。綺麗に噛み合った歯車が美しく回る様を好む。そういう印象を強く受けるね」


 あるべきものがあるべき姿で正しく回っていることに重きを置いている。あの親子の本質はそういう適材適所に近いものであるようにルイセントには見える。

 もっともあの親子が内に抱く「あるべき姿」は随分とかけ離れているようで、アンティマスク伯グリシアスがどこか娘を持て余しているように見えるのはそのせいなのだろうが。


「仁義を重んじるエストラティと合理を重んじるアンティマスクの間に生まれた娘。東西の平和の象徴ですか」


 王命によって結ばれた、東西を代表する家の血を引く娘だ。そんな彼女を害するのは東西の友好を害するのと同じだと、アーチェの親世代たちは見做している。

 本人とその世代が思っているより、アーチェ・アンティマスクの存在はアルヴィオス王国社交界において重いのだ。


「その平和の象徴が示した案が難民を纏めて元の鞘と戦わせる、なのですから恐ろしいモノですね」

「ま、アーチェが象徴するのはアルヴィオス王国の平和であってワルトラントの平和じゃないからね」


 苦笑した顔を見合わせた二人は一度顔を引き締めると、これから先の未来絵図に思いを馳せる。

 ひとまずアーチェが矛になって色々場を荒らしてくれているため、ルイセントのやることは足場固めがメインである。即ち、社交界において自分の影響力を少しずつ広げていくことだ。


 幸い前期にアーチェがブロマイドでやらかしたおかげで、かなりルイセントの間口は広くなっている。

 地味かつ目立たずしかも神経を使う仕事だが、その間口を利用して社交界にじわじわと浸透していくことがルイセントの直近の役割だ。


 夏期休暇で英気も養ったことだし、真面目にやらねば何事も婚約者陣営頼りの軟弱王子との誹りを免れないだろう。


「はぁ、兄さんがオウラン家以外から婚約者を選んでくれればよかったのに」

「きっとヴィンセント殿下もルイセント殿下に同じ事を思ってますよ」

「まさか。兄さんのことだから一生をフイにした馬鹿な弟だって呆れてると思うよ。無論、私にとっては馬鹿どころか唯一無二の至宝だけどね」

「惚気は私のいないところでやって下さい」


 やれやれ、と肩をすくめたルイセントは茶器を片付けるようウェイジに指示を出して、今日のダンスパーティーに集った参加者一覧に目を通す。


「さて、平穏に終わればいいのだけどね」

「平穏が一番ですからね」

「全くだ」






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