■ EX16 ■ 閑話:それぞれの思惑 Ⅳ-Ⅱ







「あの、では何故ヴィンセント様は私を婚約者に選ばれたのでしょう?」


 それは純粋な疑問だった。

 そこまで予測できているなら自分を選ぶ理由がどこにもない。形振り構わず王位に就きたかっただけ――という可能性は排除してもよいだろう。


「ヴィンセント様が王位を得た暁には別の方を正妻に迎え入れるのでしょうか」


 これまで語られたヴィンセントの言葉が真なれば、ヴィンセントとルイセントは単純に能力を競っている間柄でしかないという。

 アルヴィオス王家は貴族家と異なり、王位継承権を持つ者の中で真に優秀な者が王座を得る、という決まりがある。


 どちらが王位に相応しいかで争っているならば、どちらが王位を得やすいかという視点で婚約者は選ばないはずだ。

 あるいは、ヴィンセントが王になったあとは己は暗殺でもされるのだろうか、までウィンティは考えるも、


「……困った、まだそれを言わないと分かってもらえない程度にしか意識されていなかったのか」


 ここに来てヴィンセントは恥ずかしそうに頭を掻き回して、一瞬とは言え口ごもった。


「私が君を婚約者に選んだのは単純に君が好きだからだよ、ウィンティ」

「――はい?」


 覚悟を決めて言葉を待っていたウィンティには、そのあまりにも分りやすい言葉の意味がさっぱり理解できなかった。

 キョトンとするウィンティの前で、「え、これでも駄目?」みたいに目を瞬いたヴィンセントがままよ、とばかりに追撃を重ねる。


「君の真面目さ、直向きさ。王妃となるため一途に努力する君の姿が美しかったから、私は君に支えて欲しいと思った。要するに、君という個人が好きなんだ」

「は……えぇ」


 とても自分の口から零れたとも思えぬ情けない声とは裏腹に、ポッと頬に朱が灯るのをウィンティは自覚した。だが、やはりまだ頭は付いてこない。

 そこまで国のことを考えていながら后候補は完全に個人の好き嫌い? なんていうウィンティの純粋な疑問はヴィンセントにも伝わったらしい。


「正直に言えばルイが――流石に君には及ばないとしても王妃に相応しい令嬢を婚約者に選んだら、ルイに王座は譲るつもりでいたんだ」

「え……え!?」

「王位継承権保持者でありながら色恋で婚約者を選んだ私も、そして危険な後ろ盾を保つ君も王座からは遠ざかるべきだと思っていたからね」


 その言葉に狼狽えつつも、どこか納得している自分がいることにウィンティは気がついた。

 第一王子ヴィンセントも第二王子ルイセントも教育がよかったのか、どちらも生真面目で王位に対して真摯な嫡子だ。それはこれまでの会話の内容からも伺うことができた。

 即ち自分が王座に相応しくないと分れば身を引けるほどにまで、彼らは王位というものを重く捉えているということだ。


 彼らは王の責務を誰よりもよく理解している。

 王になりたいから、権力を振るいたいから、なんて理由で王座を求める俗物とは一線を画しているのだ。

 その一方で、


「けど結局ルイは、能力も後ろ盾も未熟な婚約者を好き嫌いで選んだからね」


 ヴィンセントもルイセントもやはり人であるということなのだろう。人間性と感情を捨ててまで王という機構にはなれない、なりたくないということらしい。

 その結果としてヴィンセントはウィンティを選び、ルイセントはミスティを選んだのだ。お互いに、婚約者が王妃として最適かには目を瞑ってしまって。


「どっちも王子として不足なら私がルイに譲る理由はないからね。私は君と共に王座を目指したいんだ」

「わ、私もヴィンセント様をお支えして共に王座を――」


 目指す、と言おうとしたウィンティの唇が、ヴィンセントの人差し指で塞がれた。

 勢いで言葉を紡いでしまった気恥ずかしさに赤くなりながらも、しかし同時に何故かウィンティの背筋がぞくりと凍り付く。


 ヴィンセントが手配してくれた王家の馬車だ。

 暖房も、きちんと効いているはずなのに。


「だけど仮に私が王座についた暁にはファスティアス・オウランは危険だ。彼が弁えない場合、私は彼を力ずくでも排除する」


 そうして、ウィンティは己の背中を凍らせる冷気の源がどこにあるかを知るに至った。

 背後ではなく目の前、愛情という心地よく柔らかな温かさの裏に、王家としての責任感が氷点下の冷徹さで以て屹立しているのだ。


「すまない。君にとっては過酷な道を強いることになるけど――よく考えて欲しい。私とともに歩むということは、高確率で君のお父上を排除する道を歩まねばならないのだと」


 これが、今ここでもっともヴィンセントが伝えたかった内容なのだろう。

 このためにヴィンセントはウィンティと二人きりになれる状況を求めたのだ。


「君を愛してる、ウィンティ。だから君には隠さず全てを打ち明けた。君がお父上を大事に思っているならこのことはオウラン公に全て打ち明けてしまうといい」


 自分は――どうすればいいのか、ウィンティには分からなかった。


「たとえ私が倒れてもまだルイが残っているからね。心配はいらないさ」


 いや、本当は分かってはいる。もっと昔から分かっていたのだ。


 后教育を受ければ受けるほど、自分の父親が王家の後ろ盾として持つべき自制を備えていないことを痛感してしまう日々の繰り返しだった。

 自分が本当に父の言うまま、王子が求めるままに后候補として留まってもよいのかという懊悩。


 それを誰にも相談できず、だからウィンティは己にとって唯一親しい話ができるアルジェに縋った。

 それをアーチェに奪われてアーチェを憎んだ。


「君の嫌うアンティマスク家と手を組む可能性も、当然のように私は視野に入れている。敵の敵としてのみならず、あるいは股肱とまで引き込む事すらね」


 そして今や、自分を薄らと苦しめていたモノが明確な姿形と言葉を伴って自分の目の前に立ちはだかっている。


 ヴィンセントと共に歩くなら、自分は父親を陥れてその強大すぎる権力を削がねばならない。

 しかしそんな扱いをされるなど、あの傲慢な父に耐えられるとは思えない。ファスティアスは娘であるウィンティにも当然のように牙を剥き、父との対立は決定的になるだろう。


 ならばとヴィンセントと共に歩くのを止めれば、これまで必死に耐えてきた后教育の全てが無駄となる。

 何より第一王子の婚約者としての地位を捨てることは父が許さないだろう。


 では王妃となって父と共謀し、ヴィンセントを徹底して傀儡として扱うか?

 立場ではなく、ウィンティという個人のことが好きだから選んでくれたのだという、真面目で真摯な第一王子を繰り人形と化し、国を私有化すると?



 どの道を選んでも、その先にあるのは苦しみだけだ。



 だがそもそもの話として、貴族が織りなす山の頂を目指す歩みが苦しくない筈がないではないか。



 自らの心の内にウィンティは幾度となく一石を投じてみるが、自分の元へと帰ってくる波紋は全て同じ形しかしていない。

 であれば、最早腹をくくるしかないだろう。ここまで語られたヴィンセントの内心が全て嘘だったとしても――ウィンティが選べる、選びたい道は一つしかない。


「私の派閥は、お父様におもねる者たちが殆どです」

「うん、だから今日私はこの場を用意したんだ。ある意味ウィンティが不機嫌でいてくれて助かったよ、丁度いい口実ができたからね」


 そう王子に返されたウィンティとしては苦笑するしかない。

 いくら場を和ますためとは言え、真面目な話をしている時に流石にそれはないだろうに。


「私の未来を全てヴィンセント様に捧げます。共に隣を歩ませて下さい、殿下」

「共に隣を歩いてくれるなら半分でお願いしたいな。私はどうにもいまいち頼りないから君の全ては背負えない、むしろ君に支えて貰いたいんだ」

「はい、ヴィンセント様」


 そうして微笑み合った二人は、改めて表情を引き締める。


「王位に就くまでは、オウラン公とその諛臣も数としては恃めるとして……ウィンティから見て確実に私がルイに遅れをとる場合はどんな状況だと思う?」


 試されているのか、それとも単に意見が聞きたいだけか。

 僅かに思案したウィンティは前々から考えていたことを口にした。


「世が全てことも無ければ、王座は自然とヴィンセント様のものとなるでしょう。しかし仮に世が乱れた場合はルイセント殿下の方が有利かと」

「ああ、やっぱり私と同じ意見になるね。私は戦場で輝くタイプじゃないからなぁ」


 対する弟のルイセントはどちらかといえば武に明るいタイプだ。騎士を率いる指揮官としての才を教師より認められていて、一人の魔術師としても剣士としても並の騎士を軽く上回る。

 仮に世が戦乱の時代になった場合、生き残るのは確実にルイセントの方だ。逆にいえば平穏な世の中の場合、ヴィンセントの方がルイセントより周囲に才覚を示せるということでもある。


 もっとも、平和が数百年続いたアルヴィオス王国において大戦争など起こるはずも無し。

 唯一ルイセントが乱世に勝機を見いだしてそれを引き起こす可能性はゼロではないが、そこまで悪辣な手を取る弟でないことはヴィンセントも承知している。


「オウラン家に関わる要素を全て除けば、私たちの陣営などルイと大差は無いと言っても過言ではない。破れて果てる未来も少なくは無いよ?」

「構いません。お父様の人形として生きるより、私個人を好きだと言って下さった貴方と共に生きたく存じます」

「ありがとう、ウィンティ」


 何にせよ先ずは、オウラン陣営からの人員の選抜だろう。

 オウラン家ではなく、ウィンティとヴィンセントに忠誠を尽す者を増やさねばならない。今ウィンティの周りにいるのは権力に惹かれて集まってきた者たちばかりだ。

 自分たちに鞍替えする奇特な者が本当にいるのかすら怪しいが――やらなければアルヴィオス王国の実質的な王はヴィンセントではなくファスティアスとなるだろう。


「今さら念を押す必要もないと思うけど――二面性は貴族のさがだ。これからは十分に気をつけて、ウィンティ」

「はい、ヴィンセント様」


 そうして、王家の馬車でオウラン家冬の館へと帰還したウィンティは、


「ただ今戻りました、お父様」

「ウィンティ。其方まさか下らぬ癇癪で第一王子から見放されてはおらんだろうな」

「問題ありませんわ。共に王家を支えて欲しい、と仰って下さいましたもの」

「ならばよい。その関係を維持せよ」


 そう己の性能を試すかのように問うだけ問うて踵を返した父の背中に、これまでと変わらぬ視線を向ける。

 変わった己を父に覚られるわけにはいかない。これまで通り表情と感情を消さねばならない。

 されど、




――私の愛する人が生きるために、貴方が邪魔です。お父様。




 この胸の内に燃え広がった炎だけはもう、二度と消すことはできないだろう。






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