■ EX16 ■ 閑話:それぞれの思惑 Ⅳ-Ⅰ






「無理を言って済まないね、ウィンティ」


 そう婚約者に笑いかけられたウィンティははて、何と返すべきかと言葉に詰まった。

 ダンスパーティーからの帰り道。本来ならまだ未婚の状態のため別々の馬車で帰る、というかヴィンセントは王城住まいのために馬車に乗る必要はないのであるが。

 ウィンティともう少しだけ一緒にいたい、というヴィンセントの手によって馬車が手配され、今のウィンティは馬車の中、侍従も連れずヴィンセントと二人きりである。


「いえ、私が無様にも感情を抑えきれなかった為なのでしょう?」


 なぜヴィンセントがそうしたのかを看破していたため、ウィンティとしては己の無様さを恥じる心持ちである。

 ヴィンセントが夜会であのアーチェ・アンティマスクとダンスを踊ったとて、それを責める権利はウィンティにはない。


 ヴィンセントは第一王子だ。自身が望むありとあらゆる令嬢と踊る権利がある。

 そもそも夜会とは政治の一環であるのだから、時には敵と直接話をして探りを入れるのは当然のこと。それを責めるなど愚かを通り越して害悪ですらある。


「醜態をさらしてしまい申し訳ありませんでした。ヴィンセント殿下にも、このように気を使わせてしまって……」


 だっていうのにウィンティはそこいらの庶民のように、アーチェと踊るヴィンセントに対して不満を露わにしてしまった。令嬢として最低レベルの失態だ。

 そんなウィンティを気遣ってわざわざ一緒にいる時間を延ばしてくれたのだと思うと、自分の至らなさにこのまま消えてしまいたいほどだ。


「それもあるけど、私がもう少しウィンティと一緒にいたかったからね」


 第一王子ヴィンセントはウィンティに甘い。第二王子ルイセントもミスティに甘いと聞いているし、王も王妃には甘いと聞いている。

 どうやらそういう血筋なのだろうが、ウィンティはまだ内心では素直にヴィンセントの言葉を受け止められないでいる。


 国内最大貴族と謳われるオウラン家の娘だから王子は自分を婚約者に選んだのではないかと、その思考だけはどうやっても拭いがたくて。


「ただ、一つだけ確認なんだけど、ウィンティ」

「なんでしょうか」

「王家はなるべく公明正大な視点で王国二百諸侯を束ねなければならない。君が仮に王妃になった時、エミネンシア侯爵婦人を公平に扱えるかい?」


 質問こそ軽い口調ではあったが、成程。

 王子がもう少し自分と一緒にいたいと言った理由はそういうことか、とウィンティは理解した。


「私とルイは純粋に能力を競い合う仲であって、私にルイを憎む気持ちも嫌う思考もない。だから君にもそういう感情を王位争いの中に持ち込んで貰いたくないんだ」


 今日の自分の失態に鑑みれば、ヴィンセントがそれを尋ねておきたくなるのも致し方ないと言える。

 仮にここで是と答えられなかった場合、ウィンティはヴィンセントからの信頼を失うことになる。だからとて心にもない追従などを口にしてはそれこそ失礼に当たるだろう。


 僅かにウィンティは考え込んで――


「はい、ヴィンセント様。今はまだ心の整理が出来ていませんが、王妃となるまでには必ずや」


 自分の能力と成長に照らし合せて問題はないとウィンティは判断した。

 これまで王妃として后教育を耐えきってきた自負がウィンティにはある。厳しい指導に歯を食いしばって耐えてこれた。

 これもその一環と思えばアーチェを好ましくは思えなくても、表面的なやり取りはできるだろう。


 それにいつまでもルジェに甘えていられた立場ではないことくらいはウィンティ自身も理解してはいるのだ。

 アーチェの横やりにより巣立ちが多少早まってしまっただけのこと。本来は目くじら立てて怒る権利などないのだと自分に言い聞かせる。


「君が私に対して正直で真摯でいてくれるのは嬉しいね」


 ヴィンセントが返してくれる笑顔にホッとウィンティは胸をなで下ろし、


「やはり君が私の婚約者でよかったと、そう自分を騙す・・ことができるから」


 次いで紡がれた一言に、心が金縛りのように硬直する。

 そう自分を騙すことができる? それは言葉通りに受け取るならば――ウィンティはヴィンセントにとって望ましくない婚約者だということではないか。


「それは――その、どういう」

「君の将来に関わることだからね。だから私も包み隠さず、今日ウィンティに私の胸の内を全て告げようと思う。私も、君をこれ以上欺くのは耐えられないから」


 凍り付いた微笑でどういう意味か、と問うた一方で、冷静にウィンティは王子の言葉を当然のことと受け止めていた。

 やはり王子は自分が最大貴族オウラン家の娘だから自分を選んだのだと、そういう予想が的中しただけの話に過ぎないのだから。


「計算ずくで考えるならば、君ほど王妃となってはいけない令嬢はいない。なぜだか分るかい?」

「……分かりません。私はこれまで、王妃に相応しい教育を受けてきており、教師たちからも不足なし、とお墨付きを頂いております」


 なけなしの自負を振り絞ってそう反論するも、ヴィンセントの笑みにはどこか憐憫の色が見え隠れしていて、それを隠すそぶりもない。


「君の努力は関係ないんだ。君がファスティアス・オウランの娘である以上、君ほど王妃になってはいけない人はいないんだよ」

「――は?」


 いよいよウィンティはヴィンセントが何を言いたいのかを完全に見失ってしまった。

 オウランの娘だから相応しい、ではなくてオウランの娘だから相応しくない? それは完全にウィンティの予想と真逆の答えだったからだ。

 ヴィンセントの言っている意味が分からない。オウランの娘ほど、王座を得るにもっとも好都合な令嬢などいないだろうに。


「手を、握らせて貰ってもいいかな」


 そう王子に断わられて、初めてウィンティは己の手が震えていることに気がついた。


「は、はい。勿論です」

「いつも完璧なウィンティにしては珍しい、いや、それだけ私に赤心を見せてくれているのだと自惚れておこうか」


 そうヴィンセントの両手に右手をそっと包まれると、拒絶されている最中であってもスッと心が落ち着いてくる。

 その温もりに心が癒やされているのを感じ、そして拒絶の言葉に想像以上に打ちのめされている自分をウィンティは嫌でも自覚せざるを得なかった。


 そう。ウィンティ・オウランは疑いなく、ヴィンセント・ウォーリエル・アルヴィオス個人を愛している。

 それこそ、自分がその立場から王子に見初められたのだと頭では理解しているというのに。


「先に君に問うたように、王になるならば公明正大な視点で王国二百諸侯を束ねなければならない。だけどウィンティ、君のお父上は権力志向が極めて強い御方だ。私が王位に――いや、君が王妃になった暁には、オウラン公は公明正大に振る舞ってくれるかな?」


 それは難しい、とウィンティは瞬時に思ってしまった。

 娘の自分から見ても、父親は権力闘争を何よりも好んでいるようにしか見えない。それを生き甲斐と感じているフシすらある。


 ヴィンセントが次の国王となり、ウィンティがその王妃となったならば、必ずや。

 必ずやファスティアス・オウランはその後ろ盾として絶対的な権力を振るおうとするだろう。


「あ……だから、ですか」


 ウィンティの気配から、ヴィンセントは己の言に異論が無いことを看破したようだった。


「そう。王位を得るため・・・・には君以上に婚約者に相応しい人はいない。だけど王位を得てから・・・・は君ほど王妃として厄介な令嬢はいないんだ」


 ヴィンセントの言はその一言一句に頷けるものであり、だからこそ逆に気になった。


「あの、では何故ヴィンセント様は私を婚約者に選ばれたのでしょう?」






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