■ 78 ■ ここがタイムを縮める最重要ポイントです Ⅱ
「ご苦労さま、シア。さてフェリトリー家へようこそアンナ」
「……何かいきなり連れてこられたんだ、ですけど、何が始まるんでしょう?」
着飾った私を初めて目にしたアンナはプレシアの服と私の服を見比べて、私がプレシアより遥かに格上の貴族だと聡くも覚ったらしい。お母様が用意してくれた私のドレス、現時点では時代遅れだけど安物では決してないからね。
流石に戦々恐々としてしまっているが、プレシアめ。説明すらこっちに丸投げとは、ああいや、アンナに対するちょっとした意趣返しか。
「ああ、無理に敬語を使わなくてもいいわよ。喋りにくいでしょ? 敬意の表現なんて正確な意思の疎通に比べれば大したことないしね」
そうアンナに促すとあからさまにアンナが胸をなで下ろし、プレシアが不満そうにムッと眉根を寄せる。
……そんなにあんた一矢報いたかったんかい。胆力と覚悟で負けてるからって……
「ありがたいけど……アーチェはその、見た目からしてとんでもなく偉い人なのよね?」
「そうでもないわ。シアのちょっと上、まあ貴族としては中堅どころよ。私程度なんて王都にはゴロゴロ転がってるわ」
「へー、中くらいなんだ……いえ、言葉通り受け取らない方が良さそうね」
やっぱり仲がいいのねこの二人。シアの「こんなのがゴロゴロ転がってるわけ無いじゃん!」みたいな表情からアンナは私を要警戒と見做したようだ。
まあ、警戒してもしなくても私が言うことは変わらないからどうでもいいんだけどね。
一先ずアンナをプレシアの部屋に連れ込んでお茶を振る舞ってから、さあ交渉開始のお時間よ。
「単刀直入に言うわね。もう噂になってるだろうけど、前領主を襲った襲撃犯が先日私たちを強襲。これは何とか撃滅して首を挙げたけど、館の文官と使用人に欠員が出てしまったの。その補充をしたいのよ」
「……まさか、それを私にやれって言うの?」
「そんなのできるはずないじゃない。私ただの農家の娘よ?」
「知ってる。でも私たちに必要なのはね、クッソ優秀だけど家を食い荒らすようなシロアリじゃなくて信頼できる人員なの。平たく言っちゃえばシアの味方が欲しいのよ。文官に必要な教育はこちらで施します」
そう言い重ねると、ある程度状況を理解したらしいアンナが私とシアの間で視線を彷徨わせる。
「貴方から見れば雲上の人になったシアでもその実、貴族社会からすればほぼ底辺。吹けば飛ぶような存在でしかないの。だからシアがせめて心おきなく貴族街で働けるように、地元を安定させておきたいのよ」
「その為の選択が私? ザックさんとか、ベリルさんとか、もっと頼りになる人はいっぱいいるけど」
私にはよく分からない名前をアンナが挙げるけど、それに耳を貸す必要はなかろう。
「私とシアで下町を歩いた際に声をかけてきたのは貴方だけ。ならば私が信じられるのは貴方だけだわ」
その場に彼らがいたかどうかはどうでもいい。あの状況でシアに声をかけられたということの方が大事なのだ。
プレシアがどうあれ、私が実経験として信じられるレリカリー市民はこのアンナとシンシアさん以外にはいない。
シンシアさんはこれまで去勢された犬を装ってきたから村人からの信頼が薄いし、シンシアさんを雇ってもほれ見ろ媚びた奴が、としかならない。
領主を馬鹿にする集団に楔を打ち込みつつ、プレシアの味方でいてくれる人を、私はアンナ以外に知らないのだ。
「シアの配下に貴方が欲しい。ただどうしても嫌なら断ってくれても結構。貴族の誘いを断るなんて普通なら論外でしょうけど、フェリトリー家の上位にいる私が許すと言えば男爵閣下も貴方に危害は加えられないわ」
下々の民に選択権を与えるのはまぁ、どう理由付けして理屈こね回しても舐められるだけなのは事実だろう。
とは言え上からの脅迫で買えるのは恐怖だけだ。そして恐怖は、更なる恐怖で容易に上書きできる。
だけど親愛からなる忠誠は恐怖にも拮抗しうる。だからこそ私はそれが欲しい。プレシアの力になってくれる人が何よりも欲しい。
「はぁ、ようやくシアのお守りから解放されたと思ってたんだけど」
「シアのお守りを超えて今度はフェリトリー領のお守りよ。その分の給料は約束するわ。貴方とその家族が飢えないだけの収入は保障します」
「その結果私の一家が非難の槍玉にあげられるわけだ。純粋には喜べないわね」
目端の欲に釣られずその先まで予想できるか、やはり頭はいいわね。でもそこまで頭が働くからこそ私は貴方が欲しいのよ。
それを加味した上で、プレシア・フェリトリーのために働こうって思ってくれれば御の字よ。ま、強制はできないけどね。
「その矛先を散らすため、貴方が推薦してくれた人は優先的に雇うつもりはあるわ」
「でも私が紹介した奴がフェリトリー家を害したら私も纏めて処罰されるのよね?」
「それは仕方ないと思って頂戴。特権には責任が付き纏うものだもの」
権力とは山のような物だからね。
きちんと積んだ盛り土は崩れず、乱雑に砂を重ねただけの山は豪雨や積雪で崩れ去る。
雑な仕事はしてもらっては困る。フェリトリーという山が崩れて困るのはここに暮らすフェリトリーの民であるのだからね。
「今まで散々貧困に苦しめられてきたのでしょう? この館に食い込めば貴方たちは自分たちの環境を是正する立場を担えるのよ。それを放棄して『お上には困ったものだ』って言い続ける方がまあ、楽は楽でしょうけどね。それで満足かしら?」
そう軽く火を焚べてやると、それが挑発と分かってはいるだろうが、言い返さずにはいられない性分なのだろう。
「言ってくれるじゃない、ポッと出の部外者のくせに」
アンナがそうにらみつけてくるが――部外者? とんでもないわ。
「シアは私の配下よ。配下の問題は私の問題。これは私が解決すべき問題であり、私が意思決定者なの」
シアが生家で私に忠誠を誓った瞬間から、私は当事者になっているのだからね。
「そもそも本来、領民と領主は敵対関係ではないの。領主は税を取る代わりに領民を守り、その傘の下で領民は豊かな生活を送る。そういう本来の姿にこのフェリトリーを戻す手伝いをしてほしいのよ」
そう私が熱弁を振るうと、いや、熱弁を振るったからか。アンナが不可解とばかりに軽く首を左右に振るう。
「……分からないわ。アーチェはなんでそこまでこの芋娘に入れ込んでいるわけ? 聖属性とやらが貴重にしても代わりは他にもいるんでしょ」
まあね、聖属性持ちは他にもいるだろうよ。とは言え剣の勇者を生み出せるのはこの世でプレシアただ一人だ。他の選択肢なんて有りはしないんだよ。
とは、まぁ言えないわな。
「分かりやすくいえば、困ってる国民が減ると私の上司の立場が少しずつ良くなっていくの。これはそういうお仕事なのよ」
「変わった仕事ね。貴族ってのは威張り散らして私たちから小麦を奪う連中だとばかり思ってたわ」
ハッとアンナが鼻で笑うけど、あーうん。戦争がないと基本的にそうなっちゃうのよね。そういう構造になってるから。
でも上の連中は戦争が起きないように色々手を回してるのよ。そういう財源にも搾り取ったお金が使われてるの。対処は目立つけど予防は目立たないの。
ま、それを平民に理解しろ、というのは酷だろうけどね。
「貴族が奪った小麦がどう使われるかも文官になれば分かるようになるわ。案外貴族ってのも大変なんだなってね。で、どう?」
「勧誘するなら最後のは黙ってた方が良かったと思うけど……ま、いいわ。お貴族様にここまで語らせて断るとか、何も咎めなしなんて言われても全く信じられないもの」
ニッと笑ったアンナが表情を引き締めて、
「フェリトリー家のため、レリカリーのために働かせて頂きます、アーチェ様、プレシア様」
頭を垂れる。よっしゃ、忠実な配下ゲット。あとはアンナが辞めたいとは思わない職場づくりをするだけね。
パワハラモラハラセクハラ、そういったものは全て駆逐していくよ。
「宜しい、歓迎するわアンナ。じゃあ先ずは貴方の読み書き計算能力の確認から始めましょう」
では、と茶器をメイに片付けさせてルナさんから黒板とチョークを受け取り、アンナの前に突きつけると、
「え、今から? その、準備とか」
豪胆なアンナも流石に動揺するようだが時間がないのだ。時は砂金よりも貴重なのだよ。
「準備は全てこちらでやりますからご心配なく。帰宅が夜遅くになっても大丈夫、護衛をつけるから。さあ始めましょう。まずは四則演算から行くわね」
「地獄へようこそアンナ! これで一蓮托生だよぉ!」
うっせい人を
「しかし、アンナ以外の人員供給ルートもないと拙いわね……他にプレシアに近しい――ああ、騎士団員の家族から文官を雇う替わりに報酬を節約するのも悪くない、一石二鳥だわ。シア、男爵に提案して実現可能性の模索、可能であるなら候補の選定を。さぁ行きなさい」
一先ず思いつきだけどプレシアに仕事をふるとこいつ、表情がまさに天国滑落地獄へようこそである。
「わ、私一人? アーチェ様来てくれないんですかぁ、一人じゃ無理ですよぅ!」
「貴族が交渉を無理とか言わない、身内相手に臆してどうするのよ。ルナさん、男爵に面会の先触れを」
「はいアーチェ様! 行ってまいります!」
そうしてルナさんが行ってしまえばもはや背水の陣、こいつは退路を断たないと働かないからなぁ。自分の実家のことなんだ。せいぜい真面目に考えてこい。
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