■ 77 ■ リオロンゴ河 Ⅰ
財政再建計画立案の息抜きも兼ねて、プレシアを伴って本来の名目上の目的であった観光へと繰り出す。
と言ってもこれと言ってみるところのない農村である。目的地などたった一つしかないわけで。
「男爵閣下から郊外の森で狩りをする許可も貰いましたし、どうせなら今日は外で諸々済ませてしまいましょう」
この目的のために連れて来たダートたち獣人の大部分を連れ出す名目として、荷物持ちが多く必要な理由をでっち上げての集団移動だ。
当然フレインやお姉様、三バカたちも一緒ね。観光だし、人数は多ければ多いほど楽しいし。
フェリトリー家夏の館を出発、一路南下して南へと向かう。
領都レリカリーを抜け、途中で二つ程の小さな農村を通過したのだけれど、
「ここ、飲料水は井戸水なのね。リオロンゴから引き入れていると思ってたのだけど」
住人たちは井戸から水を汲み上げていて、用水路があるのにそこはただ水が流れるがままで放置されている。
「灌漑用水は運河から引いてますけど、飲料水は領内どこも井戸水です」
大昔にリオロンゴの水質が大幅に悪化して病毒者が多数出たことがあり、その時から飲み水は地下水に頼るようになったそうだ。
はーん、あれかな? ドワーフが派手に製鉄の水をリオロンゴに流した結果、人類が連合組んで攻め込んだ時の名残か。
あとはあれか、リオロンゴは歴史上何度も洪水と氾濫を繰り返してそのたびに流路が変わっていっているらしいからね。
とすると、他の国境小領地も井戸水を生活用水に利用しているって事かな。一度地下に入ればある程度水質は濾過されるし、その方が安心かもね。
まあ、鉱毒とかは農作物にも蓄えられる可能性があるから、灌漑用水をリオロンゴから引いてるなら結局同じなんだけど……
水をガンガン流す水田とそこで育てる稲に比べれば含有率は下がるか。
穀物、基本的には雨頼りだしね。
他の野菜とかはある程度水やりが必要だけど。
やっぱり稲作の手間は異常だよ。その分収穫高も異常だけど。
麦とかは一割税なのに米は四割取っても農民が生きられるんだもんなあ。
日本人がどれだけ狭い土地で収穫高を上げようと苦心したかがよくわかるってもんだね。ここまでいくと執念だよ。
……だから我田引水なんて言葉も生まれるわけだけど。
ま、まあそんな前世の記憶は置いておくとして、だ。
「とりあえず住民の水源が井戸で安心したわ」
うん、これなら一手間はあっても住民が生きる水に困るってことはないだろう。
私なんかが頭を悩ませなくても古来よりそこの住人たちはその土地土地で生きる最適解を導き出せているってことだ。
先人の知恵ってやっぱり馬鹿にならないものね。原始的な社会で生きるノウハウがしっかり詰まってるわけだ。
そうして二つの村を越えて到着したリオロンゴ河ではあるけれど、
「……海と勘違いしそうだわ」
そうならないのは寄せては返す海波の調べが聞こえないからで、というかそれを除けば見た目には殆ど海だ。
対岸が見当たらないし、いや水平線の向こうにうっすらとは見えるんだけど……ワルトラント、平原国なのね。
これが津軽海峡冬景色なら山があるから対岸なんてすぐそこに見えたりするんだけど……
距離的には確か津軽海峡とリオロンゴの幅は同じくらいだった筈よね。
無論、あっちは海でこっちは河だ。水深は十倍位は差があるだろうけど。
「どう、ダート。遠目にとは言え未来の戦場を目にした心持ちは」
アイズとフレインにそれとなく三騎士の相手を任せつつ、荷物持ちに扮したダートに問う。
「対岸が見えるってのは安心だな。凄く気が楽になった。これなら俺たちの中に脅える奴はいないだろうさ」
おおっと、流石は海へと漕ぎ出したこともあるダートだよ。海の怖さに比べれば確かに時化もなく陸がすぐそこにある河なんて怖くもないだろうさ。
まあ、この河は大型ピラニアみたいな魔獣がいるらしいから落ちると危険なんだけどね。もっとも魔獣は殺せても
「つまり、下積みした効果はあったってことね、良かったわ。ただ貴方たちを危険にさらしただけでなくて」
「ああ、こうやって海と河の両方を目にすると改めて実感する。最初は半信半疑だったし、海に出ることに何の意味があるのか納得はしていなかったが――お前の言うことは全て正しかった」
遙か遠く、河の向こう。ワルトラント獣王国を目をすがめて見やったダートが、私の方を見ないまま、
「俺とルナは――俺たちは皆この河を越えてこの国に来た。あの日のことは今でも覚えている。この河を越えれば、危険にまみれた鉄風雷火の日々とはおさらばできるのだと」
そう、滔々と感慨を口にする。
「だが河を越えた先にあったのは俺たちを虫でも見るかのように扱う連中と、盲目の羊として働くだけの毎日だ。希望なんてないし、ずっと濃い霧の中で蠢いているようにしか思えなかった」
そこで言葉を切ったダートが、馬上の私を見上げてフッと表情を和らげた。
「ようやく霧が晴れて、向かうべき先が視界に入ってきた気分だ。お前を信じたのは間違いじゃなかった。ありがとう、アーチェ」
これまでルナさんにしか向けたことのない優しげな笑みに、僅かに心臓が跳ねたような錯覚を覚えて、慌てて顔を逸らす。
お、落ち着け。私にショタ趣味はないぞ。いやダートは小型の獣人種で既に成人済みだと聞いているし、これはこれでありなのか?
こ、こういうときはダチのことを思い出すんだ。ショタチン食む太郎――ブブッ、本当にひでぇHNだな。ヨシ復活した。
「まだお礼を言うのは早いでしょ、霧が晴れても、辿り着いてはいないのだし」
「それに最後は運だしな」
からかうようにダートが付け加えるそれはねー。これは一生ダートにネタにされる案件だろうよ。
ひたすら策を練って、準備を重ねて。しかし最後に試されるのは運だ。
堅実なウィンティあたりが聞いたら思いっきり馬鹿にしてくるだろうよ。
生存戦略に博打の要素を組み込むんじゃあない、分の悪い賭けが嫌いじゃないってのはただの狂人だってさ。
「ただそれが十年後でも、二十年後でも一向に俺は構わない。目指す場所は見えたんだ。ならばあとは臥して機会を待つのみさ。最悪、夢を叶えるのは俺の世代でなくてもいいしな」
実際、仕込みは機会が訪れるまでいつまでも維持されるからね。
それがダートが私の提案に乗った最大の理由だけど、
「えぇえ、兄貴! 俺は俺たちでやりたいっす!」
端で聞いていたナンスはやはりそれでは不満みたいね。
「せっかくここまで準備したんすから大暴れしたいっすよ!」
「それは天に言え。お前に徳があれば天が応えるさ」
えー、天さんに聞いたら力不足なので置いてきたとか言われそうだけど。いや冗談だけどね。
改めてリオロンゴ河を見やると、あまり船の行き来はなく、ただ付近の住人と思しき人影が小さな舟の上で漁を行なっているのみだ。
どちらかというと水辺で潮干狩り(淡水なのでそうは言わないだろうけど)的に貝とかザリガニなどの淡水甲殻類の漁をしている人の方が多い。
「シア、十人以上が乗れる船ってのは一切ないの?」
「一応もう少し東に行くと港があって、そこには多少ありますけどそれぐらいです。河向こうに用がないですし」
プレシア曰く、他領との荷のやり取りに使う大型船もあるにはあるが、大型と言っても三十人乗れればいい方だそうだ。
これだけの大河なのに船がない――つまり水運が殆どと言っていい程発達していないのは、やはり獣人に襲われる可能性を危惧してのことだろうね。
獣人の住まう土地はワルトラントの領地である、っていう言い分の前では領域侵犯とかで非難のしようがないし。
そもそも万が一ガチでワルトラントが群雄割拠を止めて全戦力をアルヴィオスに振り向けてきたら、まあまず勝てないもんなぁ。主に出生率の関係で。
幸い唯一ワルトラント獣王国を統一した狂獣王フィアは他国への侵略に興味がなかったから助かったけど……次の獣王次第では面倒なことになりそうだし。
もっともゲーム知識を当てはめられるなら、エンディングまで獣王は誕生してないから、魔王との決戦までは安心して良さそうだけど。
そんなことを考えていると、
「あれ、どっかで見た顔だと思ったらアーチェじゃない」
ザバザバと、何やら石を括り付けた縄を担いだ女性が水辺から上がってきて私に声をかけてくる。
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