■ 75 ■ 浮かぶ瀬もあれ Ⅰ
「プレシア様治療をお願いします!」
「分かりま、うわ……」
運ばれてきたダートの部下は腹が引き裂かれていて内蔵が溢れかけている。
血と
私もここに来る途中と魔獣の駆除で解体を何度も見たから今は割と大丈夫。
だけどお姉様とアリーは生粋の貴族令嬢だ。この光景と悪臭は中々にキツいわな。光源が月光だけってのがギリギリの救いか。
「大丈夫ですかお姉様。キツければ後ろ向いててもいいですよ」
「……痴れ言は止めてアーチェ、皆が必死で戦っているのにそのような情けないことはできないわ」
青い顔で口元を抑えているお姉様は、こみ上げる吐気を何とか抑えている、といった状態だろう。
「これは私の戦いにお姉様を巻き込んだので、お姉様が逃げても誰も文句は言いませんよ?」
ほぼ屁理屈で私がお姉様を連れてきたわけだからね。
ここでお姉様のトラウマになるよりは少しずつ少しずつ慣れていく方がよっぽど良いと私としては思ったのだけど、
「いいえ、こういう言い方は何だけど、アーチェがせっかく予習の機会を与えてくれたのだもの。ウィンティ様が知らないことを一つでも多く学べなけれは私たちはこの先どん詰まりよ」
いやはやお姉様、始めて会ったときとは別人のように成長しているね。
愛は人を変えるか、素敵だね。私みたいな自己中にとっては夢物語のような美しさだよ。
「御立派でございますお姉様。血と汚物と臓物に塗れるのが戦の習わし。全身を支える筋肉は弛緩し、大も小も垂れ流すが道理。これを識る王妃など殆ど居らぬでしょうね」
「だから簡単に人を戦場に送り出せるのね。知らない方が気が楽で良かったわ」
ダートの部下だけでなく、それ以降アイズにフレイン、アルバート兄貴やキール、ケイルも次々とプレシアの前に運ばれてきては治療を受けて戦場へと戻っていく。
血の道ができてる、と指摘されたため都度少しずつ私たちも位置を変えているけど――目が、合うのだ。ルナさんと。
なんとかダートたちが押し込めてくれているけど、ルナさんは離れた位置にいる私たちを見ている。此方を意識している様子が窺える。
そしてそれをダートたちも気がついていて、強引にルナさんを押し留めているせいで消耗が早まっているように思える。
僅かに立ち位置を移動させたりして確認してみたところ、恐らくだが視線からしてルナさんが狙っているのはプレシアだろう。
回復術師は真っ先に落とす、敵勢力を殲滅するにはそれが一番手っ取り早いしね。
「狂化、っていうけどルナさんの戦況判断は正確っぽいわね」
「そもそも狂化、っていうの、どういう状態なんでしょうか。彼女、少なくとも攻撃と防御はきちんと出来ているみたいですけど」
そんなアリーの呟きに、僅かに虚を突かれる。
「アリー、いい着眼点だわ」
「え? あ、そ、そうなんですか? ありがとうございます」
アリーは私が何に感心しているのか分からなかったみたいだけど、ほら。私はなんとなくゲーム的な狂化バステってイメージしか持ってなかったし。
狂っている、と言われて咄嗟に思い浮かべるのが、私はゲーマーだったから狂暴、バーサーカーみたいな形になる。だけどこれは先入観だ。
狂っていることそれ自体に本来暴力的な意味合いはない、筈だ。であればルナさんの振る舞いも獣だからああしているだけ、なのか?
それともあれを狂っていると判じたのはダートだし、そういう言葉選びをしただけで実際には暴力的になっているのだろうか?
「アーチェ、一つ気がついたのだけど……ううん、偶然かも知れないけど」
お姉様がちょっと自信無さそうにそう切り出してくるけど、
「お姉様、気づいたことは全て言って下さい。間違ったら恥ずかしいとかは今はナシです」
この場では遠慮は害悪だ。気づいたことは全部吐け、と目で命じると、お姉様が真面目な顔で頷いた。
「わかったわ。他の人たちとは二回以上殴り合いしているけどルイ――ニグリオス卿とブランド卿だけはまだルナさん正面から戦ってないの。もしかしたら避けてるのかも」
「ルイとレン?」
え? なんだその組み合わせ。戦闘能力も戦い方も体格も全く共通点がないぞ?
ルイセントはレイピアで光属性だし、レンは手槍で槍神だと言っていた。リーチも戦い方も体格すらも異なって――
いや、一つだけ共通点があった。
背後を見やれば、月光を浴びて煌めく金髪を揺らしたプレシアが、
「あの、アーチェ様、私がどうかしましたか……?」
不安そうに私を見返してきて――そう、そういうこと。
……やってみる価値はあるか。外れても最悪【魂の世界】っていう保険もあるしね。
ま、即死したらどうしようもないけどさ。
「ニグリオス卿、いったん後退を!」
現時点でこの賭けができる条件を完璧に備えているのはプレシア一人だけど、プレシアを【魂の世界】が癒やしてくれるかは――正直怪しいというか十中八九無理でしょ。
この腰が退けてるチキン娘にガッツを期待するのは間違いなので、次善の策としてルイセントに期待するしかない。
「如何致しましたか、アンティマスク伯爵令嬢」
呼び寄せたルイセントが片膝をついて怪訝そうに私を見上げてくる。
「ニグリオス卿の光神のご加護を賜りたいのです。今から私が言うことをお願いできますか?」
私が要望を伝えると、僅かに思案した後に掌で光神のご加護、白い光を弄んでいたルイセントが、
「可能、ではあるようです。しかしそれで一体なにを?」
「アイズたちには内緒ですが、分かりやすく言えばルナさんの狙いをプレシアから私に移すのが目的です」
「……あまりやりたくは無いですね。それが必要であるのは理解できますが」
うん、プレシアがルナさんの標的になってるっぽいのはルイセントたちも承知している動きだし、そもそも治術師の安全確保が大事ってのは馬鹿でも分かる話だ。
だけどフレインとかフレインとか、あとちょっと最近過保護なアイズとかの反応を考えると私を身代わりに仕立て上げるのは御免被りたい、といったところか。
「そういう個人的事情は後回しです。戦場で必要なのは勝つことであり、後腐れなどを考慮できる状況ではないでしょう?」
分かっちゃいるけど渋い顔、か。
「ではアンティマスク伯爵家のアーチェが命令します、やりなさいニグリオス騎士爵」
「は、ご命令とあらば」
立ち上がったルイセントの前に、
「来なさいシア。保険かけるから」
「保険、ですか?」
「失礼、ご命令とは言え淑女の御髪に直に触れるご無礼をお許し下さい」
「許します。ほら、シア」
プレシアと二人並んで立ち、ルイセントが私たちの頭に手を触れて、その手から白い光が溢れると――
「ん、シアの方は問題ないわね」
プレシアの金髪が私のように輝きを失って、地味な灰色へと変化する。
色、っていうのは光の吸収と反射の結果だからね。光属性ならやれるんじゃ無いかと思っていたが、流石はルイセント、剣の勇者候補。
咄嗟の応用力も高いしやっぱりこいつできる男ね。私の要望を完璧に充たしてくれたわ。
「アーチェ様の髪が金色に? え? これが保険なんですか?」
プレシアは不思議そうに自分の髪の毛を弄っているけど、そう。プレシアに対してのこれは保険であり、同時に――
「ええ、そこで大人しくしていなさいシア。いい? 治術師の役目は何を犠牲にしてでも生き延びることなんだからね」
重ねて厳命を残し、私は弓を手に取って走り出す。
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