■ 75 ■ 浮かぶ瀬もあれ Ⅱ




「え、アーチェ!?」

「アーチェ様、お戻り下さい!」

「あ、アイズ様ケイル様ぁ! アーチェ様がご乱心です! 皆さん何とかしてアーチェ様を止めてぇ!」


 背後でお姉様たちが狼狽えているのが分かるが、悪いわね騙しちゃって。でも止まりませーん。

 ルイセントの魔術が成功した以上、これをやるのはお姉様やアリーでも出来ただろうけど――私が危険に晒していいのは私の命だけだからね。私が試すしかない。


 メイが整えてくれている髪の、ポニーテールに結わえているリボンを取り払い。

 今や月光の下で輝く金色の髪を殊更印象づけるようにルナさん目指して一直線に駆け抜けながら弓に矢をつがえ、


「悪いわねちょっとそこ空けて頂戴!」


 私とルナさんの間に割って入ろうとしたダートの影に矢を放つ。


「!? 身体が――アーチェ馬鹿止めろ死にたいのか!」


 あまり多くはない私の魔力をしっかり込めた【影縫い】が何とか僅かながらダートの身体をその場に縫い付けて、そして。

 その脇を抜けるようにルナさんが此方へと突撃してくる。


 その口元、その手脚。鋭い爪牙は今宵幾度となく皆の骨肉を抉って体毛と同じ真紅に塗れていて。

 でも、ああ。

 その目だけは人の時と同じく、金色に輝いたまま私を見据えて――その瞳に私の顔が映る程にまで肉薄して、


「姉さん!」

「お嬢! なんて馬鹿な!」

「お逃げ下さいアーチェ様!」


 肩、というか右上半身にルナさんの牙が食い込んで、そのまま勢いを止められずルナさんと一塊になってすっ飛んでいく。

 おお痛ぇ。流石に体長四メートル近い獣の口で噛みつかれるとこの小柄な身体じゃ手も足も出ないわね。

 ボキリ、と鎖骨だか肩甲骨だかが折れる音が聞こえるの、ちょっとしたホラーだし。何より思わず涙が滲むほど痛いけど――気合い入れろ私!


「乙女の底力を――なぁめるなぁあああッ!!」


 右腕はもう全く動かないから、だから弓を握っていた左手を開いて。

 ルナさんの喉元を撫でると、ザッと左手を走らせれば――


「グルルルルルルゥ……」


  ルナさんの巨躯が疾走を止めて、その場に蹲って気持ちよさそうに目を細める。

 よーしよしよし、止まったか。イチバチの賭けだったけど上手くいったわね。


 しかしあれだ、噛みついていた顎が離れるや否やべろんと顔を舐められるのはあれだよ。

 体長四メートル以上の舌だから私の顔面ほぼ唾液塗れよ。うん、まあいいけどさ。


「と……止まった……?」


 遠くで呆然とダートが、まるで幻でも見ているみたいな顔で立ちすくんでいる。

 いや、ダートだけじゃない。アイズやケイル、フレインに三バカ、ダートの部下たちも同様ね。

 まるで三メートルの宇宙人フラッドウッズモンスターにでも出くわしたみたいな顔で呆然とこっちを眺めてるの、なんか少しだけおかしくなってくるわ。


「なにをしたんだ、アーチェ……」


 まだ驚愕から抜け出せていないのだろう。張りのない声でダートが問うてくるけどなんてことは無い。


「何って、ただ撫でてあげただけよ」


 喉元をさするとルナさんがどこか気持ちよさげにグルルと喉を鳴らして、私の上にのしかかり体重を預けてくる。

 あーうん、それは少し遠慮して欲しーなー。体格差すごくて私潰れちゃうから膝に乗られるとあっあっ、脚、折れちゃう。大腿骨ミシミシ言ってる。


「狂っていてもルナさんはルナさんでしょ? いえ、むしろ狂っているからこそ戦闘中だろうとあっさり思考を投げ出せたのか。まぁそんなところよ」

「そんなところって……そんな説明だけで納得できるか! 俺が過去に懐柔を試さなかったとでも思ってるのか!?」


 ああ、ダートも一応は挑戦したことあるのね。そんで何やっても無理で朝まで抑え込む、って結論に達したのか。

 うーむ、哀れなり。でも狂ってる相手に理知的な反応を求めるのがそもそも間違いと言えなくもないわけで。


「それはほら、私が今金髪で女だから」

「だからなんなんだ」

「だから、ルナさんも母親が恋しくなる時があるって話じゃない?」


 一瞬、ダートが呆気にとられた後、どこか納得したように右手で軽く己の両目を覆って俯いてしまった。

 そう、ルイセント、レン、プレシアの三者に共通しているのはルナさん同様、髪が金色ということだ。


「狂っているからこそ、自分の欲望に素直になれる。母親に会いたい、撫でて貰いたい、安心したいって。そういうのを求めているんじゃないかってね」


 ルイセントとレンとの交戦を避け、しかしプレシアに狙いを定めていた理由を考えたらそういう結論に辿り着いた。

 ここ最近のルナさん、フェリトリー家の使用人からの風当たりも良くないって言ってたし、内心では寂しさから愛情に飢えていたんだと思う。


 だから同じ髪の色を持ち、同性の年上に母性を求めた。

 狂化がそれに拍車をかけてこの結果がある。そういうことだと思うよ。


「貴方はよくやっていると思うし、だからルナさんは貴方のことを信頼しているのは間違いない。でも母親同族がいなくて寂しい、って思ってしまうことは――まだ幼いのだもの。仕方の無いことでしょう」

「そう……だな」


 何とか私の膝に乗ろうとして、しかし前脚一本すらはみ出てしまう様に、いい加減ルナさんもどうしていいか分からなくなってきたようだ。

 地面に全身を投げ出し頭だけを私の膝上に乗せて、おおう、これは膝枕という奴では? しかし頭だけでも重い、角がゴツゴツして痛い、脚がしびれる! 全身の重みでつぶれかかっていたさっきよりはマシだけど!


「アーチェ! 無事なの!?」


 安全が確保された、とルイセントも判断したのだろう。

 お姉様たちが慌てて私のほうへと駆けつけてくる。


「あー、膝が重い以外ははなんとか。【魂の世界】のおかげで甘噛みの傷も癒えましたし」

「あ、甘噛みだったんですねあれ……甘噛みでそれですか」


 今も私の服に残っている、上半身を食い千切らんばかりの歯形を見てプレシアが引きつった笑みを浮かべる。

 甘噛みだよ。だって本気出せば人の首飛ばせるほどの筋力だよ? 咬合力だって並外れてて当然。ルナさんがその気なら私はとっくに食い千切られて胃の中さぁ。


 要するに、だ。今宵のルナさんはお母さんの前で自分にできることを披露してさ、それを褒めて欲しかったんだろうよ。だからずっとダートやアイズたちを一蹴してはプレシアの方を見てたんだ。さながら鼠を咥えて親に見せつけてるのが今宵のルナさんの行いだったってことさ。


 だからそんなルナさんを労ってあげられれば、この私たちにとっての死闘、ルナさんにとっての遊びはこれで終わり、ってわけ。

 要するに小学校の運動会だったと思えば全ては丸く収まるってワケだ。


「シア、貴方は他に怪我が残ってる人がいないか確認を。アリー、悪いけど適当に服を持ってきてくれる?」

「はい」「分かりました」


 そんなこんなでルナさんの首元を撫でつつ、ほぼダニの心配もないわけだから猫吸いなんぞもやってみたりしながら(ルナさんの匂いしかしなかったけど)時間を潰して。


「お待たせしましたアーチェ様、此方お着替えです」

「ありがとうアリー。ではお姉様、ルナさんに【闇の帳】、その後に【暗闇の雲】をお願いできますか」

「や、闇魔術を他人に使うの初めてだから失敗しても笑わないでね」

「そんなビクビクせんと、練習だと思って気楽にやりましょうよ、ほら」

「そ、そうね。ではいきます」


 お姉様に先ずは眠気を誘う【闇の帳】でルナさんを眠らせて貰い、続けて目晦まし兼封魔効果のある【暗闇の雲】をかけて貰うと、【獣化】と【狂化】、そして【魂の世界】も消え始めたのだろう。

 赤毛が金毛に戻り、さらにはぐんぐんとルナさんが縮んでいって、最終的に人間のルナさんへと戻っていった。

 ふぅ、ようやく腿が楽になったよ。


「あ……すみません、アーチェ様のお着替えではなかったのですね」


 どうやらアリーは穴あき血塗れ、あと失禁で股が濡れてる(噛みつかれた時漏れたんだよ、仕方ないじゃん!)私の着替えを持ってきてくれたらしい。

 そういやルナさんの着替え、とは言ってなかったか私。


「あー、説明雑で悪かったわね。まぁ部屋に戻るまでの間だから」


 アリーに手伝って貰って手早くルナさんにだぶだぶの私の服を着せれば、やれやれ。

 ようやくこれでクソ長かったフェリトリー家の混乱も一件落着だよ。一先ず着替えて今日はもうとにかく寝たいわ。疲労困憊でヘロヘロだもん。




 そんなこんなで皆でフェリトリー宅へ戻り順番に湯浴みを済ませた側からベッドイン。

 男爵に甘えて昼まで泥のように眠り、遅い朝食を済ませたところで、


「さて姉さん、僕は危険なことはなさらないようにと言いましたよね?」


 椅子に座らされアイズ、メイ、ケイル、ダート、フレイン、お姉様、プレシアの順に説教を受けることになったのは非道い話だと思う。

 なおルナさんは狂化している間のことは覚えていないらしく、何故私が説教されているのかが全然分かってなくてキョトンとしていたけど。


「アリー、私の味方は貴方だけだわ」

「いえ、私もアーチェ様にはもう少し御自身を大切になさって欲しいと思っているのですが」


 やぶ蛇だったわ、私の味方は一人もいなかった。

 説教終わったらおやつの時間だったから私二時間近くも説教食らってた計算になるのよ。馬鹿じゃないの?




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