■ 60 ■ フェリトリー家の内情・後編 Ⅲ
「この計算ですと領の純収益は、そうですね。年に金貨換算で千五百枚は普通なら確保できることになりますが――実際はどうでしょう?」
そう指摘すると、流石に二度目なので男爵もそこまで派手に驚くことはないようだ。
「うむ、アンティマスク伯爵令嬢の仰せの通りだが、実際はもう少し少なく金貨千二百枚といったところだ。民が貧している故に税を少し軽減するようシーバーが言うのでな」
うん、知ってる。アイズとケイルが検算してくれたからね。期待値に対して実際の税収がちょっと少ないのだ。
でも男爵、そこで具体的な数字は身内じゃない私に言わない方がいいと思うよ。ま、そういう話はまた後日だけど。
「なるほど。ですがここ数年の天候は安定しており、他の領地で税収が落ち込んでいるという話は聞きません。この事実を男爵閣下はどう思われます?」
「我が領の農民は質が低い――いや、我が領は農耕技術が遅れているということか」
如何にも苦々しげな男爵がそう言うけど、まあ最初に思いつくのはそれだよな。
それが羊飼いの思考、青い血が流れる貴族の常識ってやつだ。
「私どもの目には、ここに来る途中に見たフェリトリー領の民や地質が他と比べて劣っているようには窺えませんでした。むしろ税を徴収する袋に穴が空いているため、男爵のお手元に届く前に零れ落ちているのではないかと」
「袋に穴……?」
何を言われたのか分からない、とばかりにきょとんとした男爵だけど、まばたきのあとに息を呑んで私へ鋭い視線を向けて――
「アンティマスク伯爵令嬢、その非礼だけは看過できな」「席から立つな。アーチェに触れようとしたら攻撃と見做し迎撃する」
スッと背後に回り込んだダートに背後から肩を掴まれて抑え込まれる。ありがたいけどちょっと困っちゃうなー。公式な立場、私より男爵の方が上だし。
まあそういうの気にするダートじゃないし安全を守って貰ってるのこっちだから文句言うのはお門違いなんだけどさ。
男爵が呼吸を整え、思考を整え、改めて私へと向き直った目にはしかし――怒りの色を消し切れてはいないようだ。
「……アンティマスク伯爵令嬢、貴方が賢いお方であることはこの短い間で私も痛感している。しかし賢いが故にその視線は穿ちすぎてはいないだろうか」
「穿ち、突き抜けて裏の裏まで探るのが社交界の常識ですよフェリトリー男爵。なにせ詐欺師は何もかも嘘を語るわけではありません。無数の親切の中にたった一つの欺瞞を仕込むのが詐欺の常套手段なのですから」
そもそも、騙す人間に最初から敵対心剥き出しで寄ってくる相手がいるかっての。騙す人はみな親切で優しいんだよ。当たり前じゃないか。
「六邪とされる害悪な配下のうち、ただそこにいるだけの具臣を除く五邪の全てが耳に心地よい言葉を囁き忠臣のふりをします。悪人は親身で優しく振る舞うのですよ、閣下」
「それは、そうかもしれないが……しかしそれでは誰も信じられないではないか。貴方は私に一人で悩んで一人で決めろと言うのか? アンティマスク伯爵令嬢」
「はい、それが領主というものです」
そう言い切ると、フェリトリー男爵が裏切られたかのような憂い顔を浮かべてしまうが、これは譲れないのだ。
組織のトップに立つということはそういうことなのだから。
「フェリトリー男爵閣下。領主は何も物を作りませんし売りません。民を守るために剣もとりません。では領主の仕事とは何か。それは領地を富ませられる者を選抜して役職を与え働かせ、領地を害するものをいち早く排除することです」
人を動かすのが領主の仕事なんだから、その人がきちんと働いているか逐一チェックすることも領主の仕事だ。
男爵領程度の範囲なら憲兵を組織しなくても領主の目は行き届く筈だし。ならば人を見て取捨選択するのは男爵本人がやるべきことだろう。
「閣下、閣下が慈悲故に税収を抑えていらっしゃるというのに領民が豊かにならない、ということは配下の誰かが領民から収益、ないしは気力、あるいはその両方を奪っているのです。それが故意にせよ無能であるにせよ、領を富ませない者をその職に就けていてはいけません」
「し、しかし……」
部下を罰せよ、と言われた男爵が逃げ道を――見つけたつもりなのだろうね。
でもごめん、それは想定内の行き止まりなんだ。
「しかし貴方の言うのは全て机上での話だろう。実際に農民たちが無能なだけという可能性もあるではないか」
「仰る通りです。閣下はまず部外者である私が閣下とその配下の間に離間工作を企んでいないか、それを真っ先に疑う必要があります」
当たり前の質問に当たり前の回答をすると、フェリトリー男爵は豆鉄砲を食らったハトみたいな顔になってしまう。
「それが組織の長の仕事です。笑顔の裏に悪意が潜んでいないか疑い、人からの親切をも疑い、何が正しいのか判断して適切に飴を施し鞭を振るう。楽な仕事ではありません。真面目にやればこれほど苦しい仕事はありません」
組織ってのは上に立てば立つ程に間違いが許されなくなっていく。一つの間違いが多くの人を不幸にする。
だから組織の長には可能な限りの高給を与え、有能な人を据え置くのだ。椅子にふんぞり返っているだけの無能がいていい地位じゃないんだよ。
「他人の悪意を好意と誤認して飴を与え続ければ人心は離れ、それを指摘する良臣直臣を鞭打ち追い払えば悪漢がはびこる無法地帯になる。どんな甘い言葉も厳しい言葉も淡々と一情報として処理し、自分が正しいと思う判断を下すのが長の仕事です」
「そんな、であれば私は何を信じればよいのだ」
私を信じろ、というのは簡単だけどね。それでは何も解決しない。
私はフェリトリー領の長ではないから、フェリトリー領の未来に責任は負えない。心理的にも負いたくない。
「それも閣下が決めることですが、あえて言うなら一度ご自身で収穫直後の田畑を見回ってみては如何でしょう。もっともその時を迎えられたら、という前提になりますが」
次の収穫を迎えられないという意味がよく分かってなかったらしい男爵が、遅れてゴクリと唾を呑んで私を見やる。
「……私の命が狙われる可能性もあると?」
「主の目を欺いての横領には死罪が妥当です。気づかれたならやられる前にやろうと考える者もいるやもしれません。私の言う通り、本当に配下が横領していたら、ですけど」
私にも侍従シーバーを含む家臣団の狙いは未だ分からないからね。男爵が侍従に反旗を翻したらどう動くかの予想ができない。
プレシアをこっちが握っているから、初手で男爵を殺害に走る可能性は低かろうけど、皆無ではないしね。
「あとはそうですね、民と話をしてみるのもよいでしょう。閣下が民に慕われているならこれまでの閣下の行いに不備はなかった証になります。逆に誰もが閣下を悪し様に罵るなら、閣下の統治には改善せねばならない面があるということですから」
「……シーバーのみならず、騎士団でも民は甘やかすとつけあがるから意見を求めるべきではない、と言われているが、アンティマスク伯爵令嬢はそうではないと?」
うーん、流石に青い血の人たちは言うこと違うよなあ。この世界ではそれが常識だし。
「いいえ、私も同意見です。人は施しを受ければこちらの苦労もしらず、すぐにそれが当然だと考え増長を始める。故に男爵閣下が民の要望全てを叶える必要はありません。ですが男爵閣下、当たり前のことながら貴族より騎士より平民の方が数が多いのです。彼らが一斉に不満を爆発させ領民九千人が怒濤となって押し寄せたらこの館はどうなります?」
領民がピッチフォークや鍬を手に人垣となって押し寄せる様を想像したのだろう。男爵の顔が一瞬にして曇る。
その光景は旅行者の私より男爵の方が容易に、よりリアルに思い描けるに違いない。
「押しつぶされるな……そうならないように民の不満を多少は解決しろ、ということか」
「仰せの通りにございます。盲目なる羊の言うことなど一々聞いてられるか、というのは無論その通りでしょうが、羊の健康も守れぬものが羊飼いを自認するのもおかしな話でしょう」
領主を排除するにはそれだけの理由が必要だけど、シーバー以下の家臣がそれぐらいの切り札を持ってないと言い切れる根拠もない。
領民を煽ってフェリトリー男爵を農民に排除させるぐらいはやるかもしれないしね。
「いずれにせよ、私はフェリトリー領の税収がどこかに消えていると主張し、男爵の配下はそれを否定するでしょう。であればどちらかが嘘をついているのは必然。男爵閣下は今現在、領地の安寧の為にどちらかを排除する必要に迫られております。どうか納得がゆくまでお考えになられますように。今日私が言えるのはここまでです」
「アンティマスク伯爵令嬢は――己を信じろとは言わないのか?」
フェリトリー男爵が何か異様な生き物でも見るかのように目を瞬くけど、
「私がそう言うと閣下の中で私への好感度が上がるのですか?」
そんなこと言っても意味がないし、そもそも私はフェリトリー男爵が私を信じても信じなくてもどうでもいいのだ。
私は私とプレシアを生還させられるだけの戦力を揃えてここに来ている。であれば好きにすればいい。
「繰り返しますが配下の忠誠にも私の赤心にも、その全てに重みなど見出さぬように。閣下は自分なりにフェリトリー領を富ます為に最善と信じる判断をなさって下さい。その結果としてフェリトリー九千の民が生きるも死ぬも、全て閣下の選択次第です。閣下こそがこの土地の支配者、頂点。王国よりこの地を与えられし栄光あるフェリトリー男爵その人なのですから」
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