■ 61 ■ 正しさについての問答 Ⅰ
男爵が力無く私たちの部屋を去ると、念のため光源を窓からの月明りのみに頼っていた室内で誰もが息を吐いたのが伝わってきた。
「ありがとう、ダート。こんな深夜にまで私たちに気を配っていてくれて。人足の給金ではとても足りないわね」
流石にマスターキーを持つ男爵が解錠して入ってくることまでは予想してなかったからね。
夜這いや暗殺が目的ではなかったとはいえ、侵入者に気づいてそれを取り押さえてくれたダートにはキチンとお礼をいわねばならないだろう。
……隣の使用人部屋にいたハズのダートがどうして反応できたかは置いておくとして。あれだ、獣の嗅覚か?
「構わん。そもお前に死なれては俺たちの雲行きが怪しくなるからな。可能な限り護衛するさ」
暗くてよく分からないけど、あれだ。若干ダートの声が柔らかく聞こえるのは気のせいかな? ま、月明かりのみで顔色うかがうのは難しいからなんとも言えないけどね。
少しばかり言いたいことがあるのか、私とアイズが腰掛けている対面、男爵が座っていた椅子にダートが腰を下ろして足を組む。
「しかし、よくあの程度の弱卒を頭に据えて領地が回っているな。知恵も覚悟も力も足りん。ワルトラントならこんな土地、即奪われてるぞ」
スン、と小馬鹿にするように鼻を鳴らすダートの言うことは全くその通りで、器を計れるというわけわからない獣人式支配ではフェリトリー男爵はあっという間に鬼籍に入っていたに違いない。
「これこそアルヴィオス王国が長年をかけて作り上げてきた堅牢なる貴族支配と統治の仕組みよ。貴族の権限を強化し、民が反乱を起こさないよう実力差と恐怖を植え付けて、ね」
私たち人間には獣人と違って器が分かるなんて才能はない。
だから環境が人を育て、教育する。環境が人を作るのだ。
「貴族に逆らえば死あるのみ。それを長年に渡り徹底してきたから、長が優柔不断でも実力不足でもそうそう反乱は起こりえないのよ」
「いまいちよく分からんな。無能を頭に据えてでも現状の環境を維持したいのか?」
ダートからすればそれは非合理的と映るのは仕方ないだろう。獣人と人の社会は根本的な在り方が異なる。
「多産多生の獣人と違ってね、人間はひとたび人口が激減すると社会が元に戻るまで長い時間を必要とするのよ。だから戦を可能な限り避けようとするの」
「……ああ、一度に一人しか生まれない社会ではそうなるんだな」
そう。人間社会において戦争は労働力の喪失、ひいては社会の存続を危ぶむものであるからこれを忌避しようとする。
「じゃあ人間社会では無能が上を牛耳ってもそれを解決する手段がないってことだよな」
ダートの指摘はもっともすぎて、だから私は咄嗟に返す言葉が思い浮かばない。
まさしくもその通り。貴族がどれだけ腐敗しても、現状の支配体制では平民が世を覆すには致命的な貴族の失態が必要になる。
だけどフェリトリー男爵のような例外を除けば、そんな致命的な失敗が起こりえないよう学園が貴族を指導するから、貴族支配はそうそう覆ることはない。
生まれによって既に生き方が定められている世界は前世では徹底して否定されるべきものであったし、それが平等というものだったはずだけど。
「なん、だかなぁ……咄嗟には答えが出せないわ」
生まれによって既に生き方が定められている世界は不平等を肯定する世界だ。あまり肯定したい世界とは言えない。
だが、ならば。
その世界を壊して平等な世界を目指すために、人はいったいどれほどまでの犠牲を許容しうるのだろうか?
前世におけるフランス革命は酷いものだったらしい。でもそれが二十一世紀的な平等的観念へ至る革命の嚆矢でもあったそうで。
「現状の社会が間違っているとして、ならダート。貴方ならそれを是正するためにどこまでの犠牲を許容できる? ナンスやジョイス、ルナさんの屍を越えてなお貴方はそれを求められるのかしら」
「……ッ、難しい、話だな。咄嗟には答えられん」
「そうよね。社会が間違っているとして、私たちはそれを正すのに必要な棺桶は幾つまでなら許すのか。流れる血が千人分なら犠牲が少ないと喝采し、数十万人なら嘆くのか」
人死にには少ない方がいいに決まっている。
だけどそれを最小に抑え続けてきた結果として、ゲーム世界ではお父様がやらかした。
上のポストが牛耳られている状況に一石を投じて、実力で評価される環境がゲーム内では構築された。無数の死者と引き替えに、お父様は自らの才能に相応しい地位を得た。
「戦争は社会を再構築する強力な手段として作用する。非常識が常識になる環境は新たな社会を作る足掛かりとして機能するから、既存の厄介な決まり事や慣習を一掃できる可能性が高い」
同じ盤面で勝負しているなら世の中は大きく変わらない。盤面ごと投げ捨てて初めてゲームチェンジとルールの変更が可能となる。
ただしその場合、盤面の上にある駒は全て破棄される。
駒なら砕いて終わりだけど、社会ならおびただしい血が流れることになる。
「長く続いた社会では既得権益を得ている者たちがそれを奪われないように徹底してルールを縛り、これを遵守しろと強制してくる。法の有利は既得権益が握っているから、法に触れない行動ではこれを現実的にはほぼ覆せない。だから打ち壊すには止めようのない圧倒的暴力しかなくなる」
そういう一部の人間のみが甘い汁を啜る歪んだ社会を壊すには暴力による略奪しかないから、この略奪は革命という美しい化粧をされて正当化される。しなければ搾取されるだけだからだ、と。
「歪んだ社会でも維持できれば血は流れない。壊せば血は流れるけど、平等性を再設定できる。この際、流れる血の量がどの程度までなら人はそれを正しいと見做すのか。ケイル、貴方ならどう考える?」
アイズの背後に控えていた、というかアイズの椅子の背もたれに頬杖ついていたケイルは自分に話が飛んでくるとは思ってなかったのだろう。苦笑しながら肩を回して筋肉をほぐしつつ姿勢を正す。
「難しいことを聞くな、お嬢様はよぉ。普段からそんな事ばかり考えてるのか」
「まさか、こんなことばかり考えてたら生きていけないわ、時々よ。で?」
私に畳み掛けられたケイルが、しばし真面目な顔で考えこんで、やがて顔を上げて私を見やる。
「俺は
ケイルはエルフ社会に不満を持っていたけど、それを覆すまでには至らなかったと。それは、
「何故壊さなかったの? 貴方の魔力なら上手くやればそれもできたと思うけど」
「……あの時の俺はまだガキだったからな。そこまで考えられなかったけど、じゃあ今やるかと言われても……やらねぇな。お嬢様と同じだよ、死体の煉瓦を血の漆喰で固めた上で生きるのはあまり楽しくなさそうだ」
「そう、優しいのね、貴方は」
「臆病なだけさ」
肩をすくめるケイルから、その前に座すアイズへと視線を移して、
「ではアイズはどう?」
「理不尽は力で覆すしかないとは思いますが――僕も個人レベルでしか考えたことはなかったですね」
多分自分に話が飛んでくることは予想していたのだろう。アイズは淀みなく答えたけど、
「ならこのフェリトリー領レベルではどう? 仮にフェリトリー男爵の部下は全て汚職に手を染めているとして、証拠は闇に葬られている。この場合に暴力でこれを覆すのは――いえ、フェリトリー領は所詮他人ごとね。ならアンティマスク領がそうだったらアイズはどうする?」
その質問は流石にアイズも平然としてはいられなかったようだ。
アイズには人の黒さが見えている。アンティマスク家の誰もが黒いことをアイズは最初から知っているのだ。
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