■ 60 ■ フェリトリー家の内情・後編 Ⅰ
「まずはこのような形での来訪を謝罪したい。だが他に手がなかったのだ。夜這い等では決してない。我が名誉にかけてお約束する」
ダートから解放されたフェリトリー男爵に椅子を勧めると、開口一番に彼は深々と頭を垂れる。
「その割には寝間着姿のようですが」
第一次対応を引き受けてくれたアイズの声はまさに氷の剃刀であり、格上の男爵相手にも全く容赦がない。
まあねぇ、実際男爵は寝間着姿のままで、それで未婚女性の前に現れたらまあ夜這いって可能性は捨てきれないわね。
私が美しいか、女として魅力があるかはこの際関係がない。形式がそうならそう、というのが貴族社会なのだから。
そんなわけで私はメイ、アイズ、ケイルの合意で寝間着の上から学生服のオーバーコートを羽織らされている。
私が寝間着姿のままだと合意の上と客観的には見なされる可能性があるし、だからと言って男爵が部屋の中にいる状況では着替えられないのでこのような形になっているのだ。
私に対して夜這いはねぇよ、って誰もが思ってても、こういうのは慣習だからね。
後々の為に私は合意してない、拒絶してますってのを形で示す必要があるんだよ。面倒くさいね、貴族社会。
なお、私からのお願いでアイズにもオーバーコートは羽織って貰っている。
衆道が無いとは言い切れないからね。私の弟を男爵如きにはくれてやらんよ。当たり前だよなぁ。
「服装に関しては許して欲しい、侍従たちにも内密にするには着替えるわけにもいかなかったのだ」
あー、まあね。メイもそうだけど私たちの貴人の服は侍従が、大貴族になれば侍従配下の使用人たちが管理している。
人を雇う余裕がない男爵家ならそこら辺は全て侍従が一括担当するから、侍従にバレたくなければ服は着替えられないわな。それはその通りだが、
「侍従にまで内緒でいったい何のために此方へ?」
アイズの冷え冷えとした疑問はもっともである。侍従に内緒、は男爵の行動を何一つ補強してくれることはないからね。
むしろ腹心の部下にも明かせないようなことをしようとしています、って言っているようなものだから余計に不信感マシマシだ。
しかし男爵は再び真面目な顔で私の顔を真っ正面から見つめてくる。
「貴族令嬢をどのように扱えばよいのか、聡明なるアンティマスク伯爵令嬢に何卒この私を薫陶頂きたく。私には――その知識が全くないのだ」
……そうきたかよ。まさか男爵が自らの無知を認めて教えを乞いに来るとは。
流石にそれは予想してなかったけど、確かにそれが目的なら人目につきたくないのも分かる? いや分からないぞ。
「股肱たる侍従にも教えられないのですか?」
侍従は時に主人の代役を務めることもある、いわば影であり分身だ。
本来は二人三脚で歩むのが当然、それくらいにこの国では侍従選びは重要なのだ。
私たち令嬢令息なら侍従は親の意向によって選ばれることも多いけど、男爵は既に成人である。自分の望む侍従を自分で選べる筈だ。
「シーバーは陰日向に私を支えてくれるが、伯爵家とは言え未成年に頭を下げて教えを請うなどフェリトリー家の鼎の軽重が問われる、と強硬に反対していてな……」
どこか疲れたように、フェリトリー男爵が視線をテーブルに落として小さく息を吐く。
「だがそう主張するシーバーとて女社会の内情など知っておるわけでもなし、そも体面などを気にしている段階はとうに過ぎ去ったと私は思っている」
なるほど、だいたい読めてきたぞ。
要するにこのフェリトリー家にてもっとも貴族社会に精通しているのが侍従のシーバーってことか。
「シーバー様は先代様からの?」
「左様、父の頃から我が家で侍従をしている古株だ。私などより遙かに前からフェリトリー領の内政に携わっている」
だから男爵としては侍従からシーバーを外すのは論外だけど、それはそれとしてシーバーに盲目的に従っているわけでもないみたいだね。
男爵だって一応学園を卒業してはいるわけだろうし、どこかおかしい、という違和感は抱いているってわけだ。
このフェリトリー男爵、知識はないけど馬鹿ではないのかもしれない。
「総括すると、貴方は侍従以上の知恵袋がいないから無駄に不満を与えていらぬ波風を立てたくない。だけど侍従以外からの意見や知識を得たくもある。それを両立させるために今ここにいる、と?」
アイズの尋問に然りとフェリトリー男爵が頷いた。
「左様、私なりに配慮もしたつもりだ。
ああ、私とアイズを同室に割り振ったの、そういう目論みがあったからなのね。
判断が自己流だけどそれなりに男爵も私たちに気を使ってたんだ。なるほどなー。
と、いうことは晩餐会の前から、こいつは私と話がしたいと考えていたことになるわけだけど、
「姉に薫陶を、と仰いますがその割には晩餐会では随分と挑発的な物言いが多かったように思われますね」
アイズもやはり同じことを思ったようで、以心伝心とばかりに質問してくれるのは流石マイブラザーだわ。
優秀すぎてお姉ちゃん大歓喜よ。相変らず氷の剃刀マシマシなのが難点だけど。
「あ、あれは……格上の家だろうと舐められては貴族として終わりだとシーバーが言うのでな」
あー、うん。この人、俺様ぶるのと威厳を保つのの区別がついてないね。
ということはもしかしてこいつ――
「アイズ、私からも質問よろしいかしら?」
惣領息子であるアイズが話を進めている横から許可なく口を挟むのは非礼なので、様式に則ってアイズへ先ずは質問の許可を取る。
というのもこの男爵の前ではなるべく正しい貴族のやり取りを徹底した方が良さそうだ、と判断したからだ。
さもないと正しい振る舞いを知らないと自覚しているこの男爵、見よう見まねで間違った常識を私たちから
「どうぞ、姉さん」
「ありがとう。フェリトリー男爵はもしかして騎士団に所属していらしたのですか?」
力と立場から相手に服従を強いるのは軍隊的なやり方だ。だからもしやと思って聞いてみたら、
「如何にも、もとより私は所領を持たぬ国家騎士として一生を終えるはずだったのだ。惣領としての教育は一切学園で受けていない。受けぬように兄や父上から指示されていたのでな」
然りとフェリトリー男爵が頷いた。ああ、これで色々と理解できたよ。
「私は三男、予備ですらなかったのだ。だというのに長兄はおろか次兄までが私を残して死んでしまいこの様だ。神々も意地悪をなさる」
「せめて死ぬのが逆であれば良かったものを」なんて皮肉げに笑うフェリトリー男爵の笑みは、主に世界と自分に対して向けられているのだろうね。
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