■ 59 ■ フェリトリー家の内情・前編 Ⅱ




「さていよいよ軽減税率についてですが、これは納税者の救済を謳って課せられる物です。これは簡素化した例えですが、麦の代わりに別の物を納めれば麦の二割税を一割八分とか七分に減らす、というものになります」


 ふむふむ、どうやら軽減税率、前世日本のそれとはちょっと意味合いが違うのね。

 どうやら麦の代わりに粟や稗を納めることによって、納める小麦の量を減らして貰うとからしい。


「あとは、技術促進のためにも使われたりします。羊毛をそのまま納めるより、糸車で糸に、機織りして布に、裁縫して服に替えたものを納めた方が税が軽くなるとか、ですね」


 羊毛をそのまま納めるのでは羊の毛を刈って終わりだ。羊を飼えば誰だってできる。

 だけど羊毛より服の方が納めた時に税率が低くなるのであれば、農民はこぞって糸車を用意し、機織り機を用意し、針と糸で服を仕立ててなるべく多くの稼ぎを得ようとする。

 そうやって服ができれば染色や刺繍の技術も発達するかもしれない。そうなれば売値も更に高くなるだろう。


 そのように領主が望む方向の技術を民が身につけるよう仕向けるのにも軽減税率が用いられることがあるのだそうだ。関税みたいな使い方だね。

 私も授業で軽く触れたような気がするけど、言われるまで思い出せなかったわ。やっぱ付け焼き刃より本職よね、アイズ様々よ。


「なるほど、ではどうしてそれが中抜きに繋がるの?」

「軽減税率が固定ではなく、あまりに複雑だからです」


 アイズ曰く、軽減税率が年によって異なったりと全体の数字がとにかく掴みにくくなっていて複雑化しており、一見して何が正しいのかよく分からないのが問題だそうだ。


「ものの物価は年によって上下しますから、それに合わせて軽減税率を弄るのは経済的観念からすれば妥当ですが――後々の見直しが難しいですし、何より納税側が混乱します」

「そりゃそうよね。来年の税率が分かってなければ納税側が節税なんてできないもの」


 農民が食い扶持を多く確保する為に何を育てるかを考えるには、前提として軽減税率が固定でなくてはいけない。

 農作物が育つのには時間がかかるのだから、国の需要によって軽減税率が都度変えられるのではまったく納税側は予定が立てられないじゃないか。


「つまり需要を理由に税率を変えるのは納税側のためではなく徴収側の理由、ってことね」

「ええ、姉さんの言うとおりです。領主には税収の向上を理由に数字を弄る正当性を主張しつつ、実際は中抜きのため計算を複雑化させるのが目的ですね」


 毎年軽減税率が違う、となると後から検算して予定通りに税が納められたかを確認するのが極めて難しくなる。

 要するに――基本的な暗号化だ。暗号化ってのは絶対破られないことが目的じゃなくて、破るのに手間暇時間をかけさせることで解読を諦めさせるのが目的なのだから。


「幾ら抜かれたかの検算は僕とケイルでやっておきますから、姉さんは戦略を練るのに傾注して下さい。この数字は証拠としては使えませんしね」

「ありがとー、助かるわ」

「ゲッ、俺もやるんですかい弟様」

「当たり前だろう我が侍従。姉さんのためにキリキリ働くといいさ」


 ジバンニが一晩でやってくれたとは言え、これは他領の秘密を勝手に盗み見した資料である。

 追求に使うには根拠が必要になるのに、その根拠が不法侵入なんだから正式な証拠には使いづらい。搦め手としては使えるだろうけどね。


「とまあ、ほぼ侍従が徴税官と組んで中抜きしているって分かったわけだけど、シアはどうしたい?」

「どうって……私が決めていいんですか?」


 プレシアがものすごく意外そうに目を見開くけど、


「あー……若干勢いで来ちゃったけど、これ元々は貴方の生活環境改善が一応目的なのよね。だから貴方が今より楽になる未来を望めばいいわ。何も変えたくないというならそのように」


 推しの未来が全てである私としては、フェリトリー領の住民が豊かだろうが貧しようがあまり興味はない。

 無論、そういうのはない方がいいのだけど……横領は役人の宿痾というレベルで根絶が難しいため、完治はほぼ不可能だと思った方がいいくらいであるし。


「現時点では私にも先が読めないわ。農民と領主の間に挟まるどこの時点で中抜きがされているのか。住民と領主の関係は既に壊滅的なのか、改善の余地があるのか。まだ分からないことは沢山あるけど貴方の希望は聞いておきたいの」


 私としてはプレシアが安心できるラインに事を納められればそれで一件落着だ。


「いくら見捨てないと言ったからとて、私とて堂々と貴族のルールは破れないからね。貴方が今の立場を失ってなお貴方を庇護できるかは私にも分からないわ」

「と、いうことは私がフェリトリー家のままなら夏休み前と同じ生活を送れるということですか?」

「まあ、フェリトリー男爵の意向が最優先となるけど、高確率でそうなるんじゃないかと思う」


 他家の子を両家の同意なく養子や伴侶に迎えることは許されない。婚姻と縁組みは王家の承認あってこそだからだ。

 どれだけ家格が異なっても、貴族家に対しては王家がそれを保障する。無論形骸化している部分もあるけど、それでも一種の王命であるこれには大貴族とて手が出しにくいのだ。


「今現在の貴方はフェリトリー男爵が王家に布施を払った結果としてフェリトリー男爵令嬢となっているわね。だからフェリトリー男爵の同意なしには貴方がどこかの家の子になることもないし、無理矢理嫁として攫われる心配もない」


 だからこそ貴族側も養子縁組や婚姻に際し王家に結構な額のお布施を支払うことを受け入れている。

 守ってもらえるからこそ、その分の金を払うのが当然と納得するのである。


「ただ逆に言えばフェリトリー男爵が同意すれば貴方の立場はころっと変わる。しかし今現在フェリトリー男爵は貴方を金蔓と見てるはずだから、フェリトリー家からは出したくないでしょう。だから現状維持になる、と思われる。絶対ではないけど」


 フェリトリー男爵にとってプレシアは運良く領内に生まれてくれた、金の卵を産む雌鶏だ。

 これを大枚を叩いて養子として迎え入れたのだから、殺されたり奪われたりだけは絶対にごめんの筈だ。


「あとはまあ、フェリトリー男爵が何やら不名誉をやらかして爵位を剥奪された場合、大部分は連座だけど養子の場合は元の身分に戻れる可能性もあるわね」

「……平民に、戻れると?」


 プレシアの声に微かな希望みたいなものが感じられて、と、いうことはそれがプレシアにとっての幸福なのかも知れないけど、


「連座――つまり男爵の道連れで縛り首になる可能性は常に念頭に置いておきなさい。それに平民に戻っても貴方が聖属性持ちであると他の貴族が知れば、また同じ事の繰り返しよ。ま、フェリトリー家より裕福な家に買われる可能性は高いけどね」


 聖属性持ちは貴重だからね。そして今のプレシアがフェリトリー男爵令嬢であるように、貴族の命令を平民は断れない。

 今現在は私がやたらに魔術を使うなと指示したから、プレシアが聖属性持ちだって確実に知っているのは第二王子陣営の関係者だけだ。


 ただ聖属性医師免許及び薬剤師免許取得に向けてプレシアの選択授業を組んでいるから、聡い人なら分かるだろう。

 ウィンティのような基本に忠実でしっかりと足場固めをする人なら、プレシアの素性についても調査は始めてるだろう。要するに油断はできないということだ。


「難しく考えなくとも、貴方は貴方の望みを言えばいいわ。それが私の望みと重なるのなら手助けをするし、重ならないなら――まあ、見捨てないと言った以上見守るに留めるか、まあそんなところ」

「アーチェ様の望みと重ならない、というのは?」

「そうね、例えば貴方がこの領をわざと潰して領民を路頭に迷わせたいとか、貴族としての力をふるって特に罪がない人たちを打首獄門にしたいとか、そういう場合」


 あれだ、ひとまず想像上のフェリトリー男爵に対する怒りで先走っちゃったけど、元々私はプレシアの後顧の憂いを絶つ為にここに来たわけだしね。

 最終的には聖女が心置きなく魔王と戦える環境を整える。私のやるべき事はそれだけだ。

 その、筈なのだけど……


「少し――考えさせて貰ってもいいでしょうか」


 肝心のプレシアはどうにも浮かない顔で即答を避けた。

 望みを言えと言った返事がこれということは自分の望みが分からないか、どうやっても実現できないか、道義に悖るか、あるいは――私なんかに教えたくないか、か。


「無論、構わないわ。あるいはなにも決めないのもまた一つの選択肢でしょう」

「……何も決めなくとも、構わないと?」


 少し意外そうにプレシアが問うてくるけど、当然それも選択肢の一つだよ。


「勿論よ。決断というのは時に苦しみを伴うものだから」


 決めるというのはストレスだ。

 何も決めない、何もしないのは楽でいい。

 だから平社員の給料は薄給だし、管理職は高給取りになる。自分で決めたことの責任を負わなくてはいけないからだ。

 ま、その会社が正常に回っているなら、だけどね。責任まで部下に押しつける、承認の意味も分からない上司もいるし。


「だけど自分で決めなかったのなら、決断して生きている他人の行動に文句を言ってもどうしようもないことは理解しておいてね。この世に生きる者たちの大半が皆、自分にとって都合の良い未来を手繰り寄せるために動いているのだから」


 プレシアは一礼して退室していった。

 どうやらプレシアにとってこの故郷に抱く内心は相当に複雑なようだと、それだけで分かる。


 気に入らなければフェリトリー男爵ごと潰せばいい。あの時すれ違った母親を救いたいならそう言えばいい。

 だけどそのどれもプレシアの望みではない、ということなのだろう。


「あの年頃の女の子が考えることはよく分からないわね――ああ、無論冗談よ」

「安心してくれお嬢様、俺たちの誰一人としてそれが冗談とは思ってないからな」


 ケイルにざっくり切って捨てられたのは、まぁ自業自得として受け止めるさ。

 しかしまあ何事もどうとでもなれ、という覚悟はある程度備えている私でもこれどうすんだ? って悩むことはあってね。




 プレシアが回答を胸の内に秘めたまま自室へと戻ったその日の深夜に、


「侵入者だ、アーチェ」


 物音で目を覚ますと、どこから室内に入ったかダートがベッドの側に控えていて、


「別働隊はいない、単独行動みたいだが……とすると夜這いか何かか? 案外モテるんだな、お前」


 そんなダートが両手を背中で押さえつけた上で床に転がしているのは――うん、暗くて全然見えない。

 と思ってたところにメイがキャンドルホルダーを手渡してくれて、その灯火を近づけると、


「だ、誰が夜這いであるか。私とて名誉ある王国貴族だ、そのような下劣な真似はせんぞ……!」


 うん、どう見てもダートに取り押さえられてるの、ベティーズ・フェリトリー男爵その人である。

 ……え、なにこれ。侍従も連れず一人で男爵家当主が私たちの部屋にこっそりとやってくるの? なんで?




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