■ 58 ■ 晩餐会 Ⅱ




「なるほど、当領地へは観光にいらっしゃったと」


 フェリトリー男爵が鷹揚に頷くのに合わせて、


「左様でございます。幼少期よりお父様の方針で教育一辺倒、入学まで領地と王都以外を訪れる機会を持てなかったので」


 私もまたカトラリーを動かす手はそのままニコリと微笑んでみせる。

 地味に高等技術だよ、下を見ないで正確に音を立てずフォークとナイフを動かすの。


 さて、男爵に招かれた晩餐会だけど料理自体は悪くないね。おもてなし自体には男爵は一切手を抜いていないのは雰囲気からも料理からも見てとれる。調味料の種類は少ないっぽいけど、今が夏ということもあって新鮮な素材そのものの旨みがある。

 キャロットスープに羊肉のチョップ、クリームポテト添えときて今現在は鳩のザリガニ風味バターソースだ。海老とは違った出汁が利いてるね。


「一度大河リオロンゴをこの目で見てみたいと思っていたところ、幸いにもプレシア様と知己を得ることができまして。此度有り難くもお誘いに甘えさせて頂いた次第です」


 「いやそっちが強制してきたんじゃん、私帰りたくなかったよ」とでも言わんばかりに顔を歪めたプレシアに微笑みを向けると、慌ててプレシアも、


「は、はい、学園生活のほぼ全てで丸々お世話になっているので多少なりともお礼になればと」


 慌てて話を合わせてくる。プレシアは男爵側に座ってるからフェリトリー男爵にも侍従シーバーにも表情は読みづらい筈だけど、油断するなと言ったそばからこれだ。

 まあまだプレシアは貴族生活半年目だから仕方ないけどね。


 もっとも私たちの此度の来訪、家格的に私がごり押ししたことは男爵側もわかってるだろうけど。

 というかわかってもらえないとプレシアが「ウチより上位の貴族なんか呼ぶな馬鹿者!」って責められることになるしそれは哀れなので、多少はあからさまで問題ない。


 なおこの国における晩餐会のマナーだけど、口にものを入れていない間なら普通に喋って大丈夫だ。

 身分差による発言の禁止や序列とかも免除。席についている者は言葉を被せて遮る以外は自由に喋っていい。

 相手に食事をゆっくり味わう余裕を与えつつ会話も楽しむ。そういう心配りができるかは試されるけどね。


「なるほど、アンティマスク伯爵領は内地ですからな」


 口元に付いたバターソースをナプキンで拭いながらフェリトリー男爵が然りと頷く。


「しかし驚きました。アンティマスク伯爵令嬢がレティセント侯爵令息と惣領であるアンティマスク伯爵令息を従えておられるとは。流石に思いもしませんでしたよ」


 さてこちらは一切隠しもしないあからさまな物言いか。

 これは褒めているようでいて実際には「女の癖に横紙破りな」と言いたいのだろうけど、


「男爵閣下、アーチェ様は私の命の恩人であり、苦しめる者を見て見ぬ振りができぬ広大無辺な慈悲のお心をお持ちでいらっしゃいます。忠誠を尽くすのにこのお方以外は考えられません」


 ……ここにきてフレインめ、成人貴族相手にも私の配下ですアピール始めやがるとは油断も隙もないな。いよいよ外堀を埋めにかかったか。

 機と見るや一気呵成に攻めかかるその目は流石と言いたいが、外堀埋められてるのは私なので褒め称えたくはないぜコンチクショー!

 そしてアイズの方はと言えば、


「失礼ながらフェリトリー男爵閣下が仰せの通り、私がアンティマスク伯爵家の惣領でございますれば、姉の命令に唯々諾々と従ったことなど一度としてございません。私は姉の笛に合わせて踊る人形ではございませんので」


 毅然とした態度で男爵の言を否定する。すごいぞ、格好いいぞアイズ!

 そうよ貴方がアンティマスク伯爵家の後継ぎなんだからそこの阿呆に中位貴族家の貫禄を見せつけてやりなさいな! もっと言ったれ!

 とまあ、真面目な顔で男爵の言を否定したアイズではあったがその後に相好を崩して、作り物とは思えない満面の笑みを浮かべて――


「ですが姉上は惣領娘の座を負われる身でありながらも養子である私に惜しみない愛情を注ぎ、私が惣領に相応しい令息であれるよう今も陰日向に支えて下さっております。であれば私が家族として偉大な姉を心から愛し敬し奉るのもまた当然のことではありませんか」


 あ、あのー、アイズ? そんなドヤ顔で姉自慢とかしなくていいのよ?

 ガチで男爵と、あとプレシアも若干引いてるから予想外の一撃にはなったみたいだけど。


 これはあれか? ことあるごとに立派な弟ですって私が言うのめっちゃ恥ずかしいから、たまにはこっちだって仕返ししてやるっていうあれか、私へのささやかな反撃か?

 最近アイズも姉離れっぽい態度を覗かせてるしなぁ。へっ、可愛い弟も立派になっちまったもんだぜ。


「な、成程。アンティマスク伯爵令嬢は慈愛の心を強くお持ちであられるようだ。これは我が娘もすぐに籠絡されてしまうやもしれませんな」


 何とか話題を予定の筋へと戻したフェリトリー男爵だけど、浮かべる笑みには努力のあとが伺えて……何だろう。

 アイズにペースを崩されたから、とか以上に表情の不自然さが拭えない。貴族との会話に不慣れだから、感情表現が下手ってことだろうか。


 ……正直、私もフェリトリー男爵に対してどう対処すべきか、まだ具体的な方針が練れていないのよね。

 そもそも相手の狙いがイマイチ分かっていないのよ。今現在の予想として最も確度が高いのが、

「せっかく手に入れた金の卵を生む雌鶏があっという間に金持ちに目を付けられて打つ手がない。けど何とかして追い払いたい」なんだけど……


 いや、打つ手がないなどと決めつけるのは危険だ。何らかの起死回生の手段ぐらい持っていると考えておかないといきなり脇腹を刺されるやもしれん。

 ここは堅実に常道で攻めるのが安心だ。堅忍不抜なウィンティを見習って私も手堅く、着実に、基本に忠実でいこうじゃないか。


「私がお声掛けしなければ、あのままではいずれプレシア様は神々の園へと旅立たれていたでしょう」


 私が切り込んできたことに男爵と侍従は気がついたらしい。にわかに表情が引き締まって視線を私のみに向けてくる。


「ほう。と、言われますと?」

「男爵閣下、社交界における女性の争いというのは男性と遜色――いえ圧倒する程に苛烈にして熾烈なのです」


 そこでいったん口を閉ざしたのは全員空になった鳩肉料理の皿が下げられ、代わりに男爵家の使用人及びメイやケイルたちによって、メインディッシュであるトリュフのタルトレットを添えたヤマシギのローストが運ばれてきたからだ。

 既にメイによって私の口サイズに切り分けられたローストをタルトレットに乗せ、ソースを搦めて口に運ぶと、内臓の臭みがトリュフの芳香で上書きされた旨みだけが口いっぱいに広がってくる。

 咀嚼して、嚥下。絶品に対する賛辞を並べた後に薄めた赤ワインで口腔内を洗い、再び話題をプレシアの未来へと戻す。


「貴族令嬢にとって身だしなみは自らの身を守り敵に切りかかる剣にございます。即ち装いの華やかさは切れ味、振る舞いは硬度。自信は統率力にして美的感覚は突撃の機を読むが如し。であれば何の備えもなく着の身着のまま一人放り出されたプレシア様の行く末はご想像頂けるかと」


 嘘は言わんよ。あのままではプレシアはいずれ周囲に暴力を振るって退学になっていただろう。

 そして学園を退学になったプレシアに行く先はない。ここに戻ってきてもどうせお前たちは学園へ帰れと突っぱねたろう。であれば行き着く先は死あるのみ、だ。


「他者への攻撃を以て自らの力を誇示するのは生物にとっての生存戦略、基本中の基本。であれば貴族としての証をその名以外何一つ身につけていない令嬢になど、周囲が手加減する理由がありません。人もまた生物という括りから脱却してはおりませんし」


 男のイジメは尊厳を粉々に叩き壊すが、女のイジメは尊厳を徹底的に踏みにじる。

 どっちが悪辣かは私には分からないが、その熾烈さは男女どちらも同じだ。


「親の庇護を受けられない雛鳥は育つより先に羽をむしられ食らい付くされ果てるが道理。これはご納得頂けると思います」


 何もしなかったお前のせいじゃん? と伝えると、僅かに男爵が言葉を選ぶように黙りこんだ。

 ヤマシギのローストを口に運び、咀嚼して嚥下する間が私たちの持ち時間であり、次の一手を選ぶ為の限られた猶予だ。


「しかし、プレシアには聖属性がある。最初からポーションを作れずとも、先ずは傷や病を癒やして元手を得る道もあったでしょう」


 まあね、やり方によってはストリートドクターやって金を得るみたいな事もできなくもないだろう。

 免許がなくても闇では動ける。密輸、密造酒、そういったものは巷にあふれかえっている。聖属性だけがそれをやれないという理由はない。

 だけど、


「現時点で回収できる金銭など庶民の域を超えません。それを超えれば悪目立ちしてどこかの貴族家に吸収されますし、何より放課後にそんなことをしていてはプレシア様は学園の勉強ができません。使用人のいない彼女は家事もこなさねばならないのですから」


 そりゃーストリートドクターだってやりゃあできたろうよ。でもさフェリトリー男爵よぉ、人一人が一日に使える時間には限度があるんだぜ?

 いかな賦活を司る聖属性といえども一日を一.五日に伸ばすことはできない。放課後に医者の真似事なんかやって街を練り歩いていたら夜のとばりなんてすぐに落ちる。


「聖属性医師や薬剤師の資格を目指す者それ自体が希少。その単位取得に学友を頼みにするのは難しく、独学でそれを成し得ねばならないというのにプレシア様の時間は圧倒的に足りないのです」


 そして貧乏男爵家の娘であるプレシアは、日が落ちたらもう本を読むこともできない。ましてや学園の授業の復習などもってのほか

 明るいウチに勉強して夜に闇医者家業なんてやるのは自殺行為だ。


「それ以前に貧民の装いしか持たぬプレシア様が聖属性を隠したまま、どうして学園で友人を作れましょう。家族も、使用人も、友達もいない。一騎で千に当たれとばかりにプレシア様には感じられたのではないでしょうか」


 闇に紛れて一人活動する暴力手段を持たない少女の末路なんて――三文ホラー小説のモブ死体以下。ありとあらゆるR18タグを付けられて最後にはドブの中だ。

 男爵閣下の言うことは机上では問題なかろうよ。ただ実行はできないというだけで。


「つまり、私の判断が間違っていたと?」

「いいえ、私がどれだけ背伸びをしても男性の世界が見えぬように、女性にしか見えない世界もまたございます。その垣根を跳び越えるのは極めて難しいものと」


 貴族の面子を正面から叩き潰したらもう全面戦争しか残らないから、ここはとにかく反論しにくい言葉を選び続けるしかない。

 それが事実かは二の次三の次さ。


「男爵閣下は未だ独身でいらっしゃいますし、女性の社交については知識としてはご存じでも流石に詳細の把握は困難でありましょう。その隙間を埋めることで閣下とプレシア様の相互理解が深まるのではと愚考し、この度僭越ながら大言壮語を騙った次第です」

「……」


 何一つ嘘は言っていないが、相手の面子を潰しても厄介だから責め言葉はどうしてもヌルくなる。だが、それは仕方のないことだ。


「私は婦女の視点で殿方には気が付きにくいことを申し上げたつもりです。ですから男爵閣下がもし僅かながらでも無知を論われている、と感じておられましたらそれは間違いであると、その一点だけはご理解頂きたいのです。娘のために衣装を選び、身だしなみの手本を見せ、立ち居振る舞いを身につけさせる。本来これは母方が担うべき役割であり、父方である男爵閣下が背負うべき責務ではなかった筈なのですから」


 はい論破、では貴族社会は回らないのだ。そんなのただ敵を作るだけだよ。

 前世では実力行使は如何な理由があれ悪だったけど、この世界ではそうじゃないしね。




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