■ 57 ■ フェリトリー家からの洗礼 Ⅱ




「あぁー、さっぱりした!」


 形式的な挨拶を終えてようやく客間へと案内され、ダートたちに荷物を運び込んで貰う傍らでメイとケイルが湯を用意する並行作業。

 カーテンなんて客間にはなかったから即席の布で仕切ったバスタブにて簡単な入浴を終えると、ようやく人前に出られる有様になった。いや、ガウン姿で人前には出られないけど。


 ちなみにダートとナンスが荷を運び込む中での入浴はメイ、アイズ、ケイルに難色を示されたけど私は気にしないよ。そういうの時間の無駄だからね。布一枚でちゃんと隔ててるし。

 というわけで空いた湯では現在ケイルにお世話されてアイズが入浴中である。


「何故フェリトリー男爵は男女で部屋を分けなかったのでしょう。あまりに未婚の令嬢を軽んじています」


 メイがあからさまな不満も露わにそう私の髪を梳りながら零すけど、


「男女でなくて家で分けるのが正解だと思ったんでしょ。まだ子供だし姉弟だしいいかなって。こんな辺境じゃそう考えても仕方ないわ。ねぇケイル?」

「だろうな。でも形式ばかりの男爵家になった俺ですらマナーズ先生から教わったぜ? 姉弟とはいえ世襲貴族の男女を同じ部屋にするのは避けるべきだって」


 ケイルがカーテンの向こうからそう答えてくれるけど、あーうん。これシルエットは完全に透けてるのね。ケイルがアイズの頭洗ってる様子が影で一目で分かるわ。

 だから三人とも私にせめて荷運びが終わるまで待てっつったのね。まぁ早くさっぱりしたかったので私は気にしないけどね。


「アーチェ、荷は運び終えたぞ」


 流石に額の汗を拭っているダートが後ろ手に扉を閉めると、ナンスが最後の箱を床へと降ろす。


「悪いわね、重鎮ダート様にまで重労働させちゃって」

「構わん。というかこの家の連中に任せたら一箱ぐらいはちょろまかされてたろうしな」


 手伝いを打診してくる使用人の表情にきな臭さを感じて、ダートたちはそれを丁重にお断りしたらしい。

 余計に心配になって今は厩にも一人貼り付けているそうだ。


「……そういう気配あった?」

「そういう気配しかなかったっす!」


 未開封の箱を部屋の隅に積み上げながら、ナンスが呆れたように縞々虎柄の髪を掻き回す。


「これはあれっすか、主から略奪を命じられてるって事っすか?」

「単純に末端まで管理が行き届いてないだけだろうよ」


 徹底している感じはなかった、とダートが首を横に振ると、哀れダートに忠実なナンスはすっかり混乱してしまっている。


「はぁ? 兄貴、それで長を名乗るバカがどこにいるんすか」

「平和なところにはいるんだよ、そういう間抜けが」


 ダートの近衛とも言えるナンスにはやはり理解できないようね。主の目を盗んで私腹を肥やすような小悪党の存在というものは。


 しきりに首を捻ったままのナンスとダートたちに、先ずは割り振られた隣の部屋で休憩と退室を促す。

 開封は少し休んでからの方がいいだろうしね、彼らだって疲れてるだろうから。


「私も少し甘く見てたかな。使用人の抑止力けんいは弱いし、三バ――三羽烏の騎士連中に小銭払って厩も見張らせといたほうがいいかもね。勝手に逃げたとかぬかして盗まれかねないもの」

「そうですね、フレインと調整して見張りのローテを組みます」

「お願いアイズ……あれ、アイズちょっと怒ってる?」


 仕切りの向こうから聞こえてくるアイズの声音に氷の剃刀を感じて、にわかに不安になってくるのだけど。


「いえ……ああ、姉さんに虚勢張っても仕方ないですね。はい、怒ってます。あれで領主を騙るフェリトリー男爵の厚顔無恥っぷりに」

「というかお嬢様よ、むしろ君が怒らない方が俺たちとしては不思議だぜ?」


 アイズの入浴を終え、アイズにガウンを羽織らせながらのケイルは実に不機嫌そうだ。

 よく見るとメイもどこかしら苛立ちを抱いているようにも見えなくもない。うーむ、そこまで怒ることないと思うんだけどなぁ。


「まぁ、まだ年若いし。あの歳ならあんなもんでしょ。目くじら立てても仕方ないわ」


 二十歳になるかならないかの若造を論っても仕方あるまい、と宥める側に回ろうとして――うん、やっちまった。しくじったわ。

 私の反応、どう考えても通算三十過ぎのオバハンのそれじゃないの。

 アイズにケイル、メイまで呆れたような目で私を注視していて、穴があったら入りたいわ。


 そりゃそうだよ。アイズどころかケイル、メイから見てもベティーズ・フェリトリーは年上で大人なんだ。学園を卒業した以上は立派な紳士になっている筈の存在なんだ。

 やるべき事をちゃんとやれてない大人が椅子の上でふんぞり返ってるんだから普通は腹立てるわよね。どこをどう考えても「まだ若いんだし」なんて寛容さを抱けるはずもない。

 アイズたち若者からすれば、年上ならもっとしっかりしてから威張れよバーカ、って思うのが普通じゃないか。


「姉さんからすればあの程度、ただの若造なんですね……流石というかなんというか」

「常日頃から旦那様とやり取りされているお嬢様では歯牙にもかかりませんか」

「凄ぇな、そういう認識なら怒らねぇのもまぁ分かるがよ」


 わ……私の感性が、あまりに老化しすぎている……あかん、私まだ十三歳だよ。そう常づね意識しておかないとまずいわ、これ。


「ま、まぁあれよ。おかげで家族水入らずでの生活ができるし。私としては悪いことばかりじゃないから許しちゃうっていうアレ」

「今更取って付けられても何ですが――はい、それは嬉しい誤算ですね。もう少し恥じらいは持って欲しいですが」


 まぁアイズもアイズでシルエットだけとは言え、風呂入ってるところ姉に見られるのは恥ずかしいお年頃ってわけだ。

 どこかムスッとしたアイズが「先ずはちゃんとした仕切りを用意しましょう」と訴えるの、へへッ、弟の成長が少し寂しいぜ。

 悪いわね、姉はもう恥じらいなどとっくになくなってる三十越えのオバサンでさ。


 ケイルによって髪の水気を拭われ、ガウンを羽織り終えたアイズに手招きをして、ベッドの上、側に腰を下ろしたアイズとの距離を更に詰める。

 肩に手を回してぐいっとアイズと顔を近づけて密着し、


(で、どう見えた?)


 私とアイズしかその正確なご加護を知らない、アイズの浄眼による判断を問う。


(だ、男爵は差程、むしろ白寄りです。ただ、その侍従は真っ黒でした。父上並です)


 なーる? ほぅほぅなるほど成程よーく分かった。アイズのおかげで推理すら不要だったわ。

 元徴税官の息子であるアイズから見て、さほど黒くもないベティーズ・フェリトリー。そしてお父様並に真っ黒に見える侍従。貧している住民。

 この時点で謎は八割方解けたようなものだ。


「男爵と侍従の年齢差と余裕からしてフェリトリー領の零落はこれ、ほぼ侍従に牛耳られているのが原因と見るのが妥当かしら」

「若い当主を操って私腹を肥やす。定番と言えば定番ですね」


 メイがそう頷くぐらいによくある話だ。年上の後見人や侍従に裏切られる、もしくは操られる若き当主なんてさ。

 謎自体はすぐに解けたけど、しかしこれはこれで問題だ。


「こうなると、ベティーズ・フェリトリーが侍従をどれだけ信頼しているかで今後の対応が変わるわね」


 一番困るのはフェリトリー男爵が若き己を支える侍従に感謝して盲信してしまっている一方で、民は領主を恨んでいるという状況だ。

 最悪でもあの侍従には賊臣止まりでいて欲しいわ。亡国の臣なんて手に負えないもの。


「お父様からは『問題は起こさないように』って釘刺されてるけどこれ、最悪領主ごとポイしないと駄目かもね」

「おや、姉さんのことだから最初からそのつもりだと思ってましたが」

「多少なりとも回る首ならすげ替えずに残しとく方が混乱が少ないものよ」


 ただ既に侍従に陥れられていて、男爵に領民の怨みが集中しているようならもう手遅れだ。


「可能であればまだ侍従を疑い目を覚ませる程度の理性がフェリトリー男爵にあることを祈るしかないわ」

「祈りが通じなかったらどうします?」

「プレシア・フェリトリーに民を愛する良き聖女になって貰って領主も侍従も排除するか、もしくは何もせず帰るしかないでしょうね」


 最悪と分かった場合はどちらもまとめてプレシアに始末させないと侍従の一人勝ちで終わり、フェリトリー領の零落は今後も変わることなく続くだろう。

 私からすればそれで困ることがあるかと言われると別にないんだけどさ。故郷が不安定じゃプレシアだって落ち着いて魔王に挑めないだろうし。


 要するに私は王国を救う前準備としてフェリトリー領、つまりプレシアの家族が平穏に生きられる環境を維持しにここまで来たわけだ。

 ただ、当のプレシアがあまり乗り気でないし、私の憎悪の火もとろ火になっているから、落しどころをどうするかはプレシアと一度話し合った方がいいだろう。


 ……来る前に話し合っとけよ、といわれたらその通りなのだがね。

 私も目先の怒りといった不合理な感情に支配された愚かな人類の一人でしかないってことだよ。情けない話だがね。





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