■ 57 ■ フェリトリー家からの洗礼 Ⅰ




 さて、フェリトリー領都レリカリーである。

 微妙に家名と都名が似ているのは古い町あるあるで、もっと伝統がある都市は家名と都名が同じというのもザラである。

 だた伝統がある=歴史の深みがあるというわけでもなく、レリカリーは控えめに言って少しだけ大きいだけのしなびた農村だ。


 実際、フェリトリー家夏の館はレリカリーの外れ、小高い丘の上にあって、町と一体化しているとはお世辞にも言いがたい。

 要塞として機能しているかと言えばそういうこともなく、なんだろな、偉い人の家だから高いところに作ったみたいな雰囲気が拭えない。


「どこか活気に欠けた町ね」


 私がそう素朴に抱いた感想を口にすると、


「他者を歓待する、という考えがない町ですから。余所者は不穏分子の又従兄弟、そういう認識です」


 プレシアが、唾棄とまでは言わないにせよ投げやりな口調でそう言い捨てる。


「領都なんて言ってもただ少し大きいだけの農村です。ここで育った私には、ここと王都が同じ国の街とは全く思えませんでしたし」


 時折見かける村人から向けられる視線は――当然、私たち貴族に面と向かって相対できるわけないからすぐに家に閉じこもるかその場に平伏するわけだけど。

 その間の一瞬の間でもわかる。その視線にこもる感情は大部分が不満と軽蔑に類されるものだろう。

 元より他の領地でもあまりないけど多少はある、貴族に対する畏敬的な視線というものがここでは一切感じられない。


 まあ、それも仕方ないかな。どう見てもここの住人、肥えている人がいないし着ている物も粗末で、子供に至っては貫頭衣に近いレベルだもの。

 うーん、この領地経営だと冬の館に残す人員が足りないっての、嘘じゃなくてマジだったのかとちょっと呆れてしまう。


「……このまま、プレシアの家――いえ、領主の館を訪れても問題ないかしら?」


 一応プレシアと私、双方から来訪と滞在の旨をフェリトリー男爵には文で打診してある。事前通知は貴族の大前提だからね。

 内容としては友達の故郷を見に来ましたをお貴族的に書いたもので、了承の返事もちゃんと受け取っている。


 ただそれはそれとして、いや先触れを送っているからこそ、到着時の挨拶は礼を失することなく行なわねばならない。

 通常の貴族家ならば先触れがあった以上は町の入口に領主の意を受けた使用人を配備しておき、その者に挨拶までの一連の流れを任せるわけだが――


「このまま領主の館へ行って大丈夫だと思います。ただ、アーチェ様が貴族の一般常識そのままに振る舞うなら、最終的には血が流れると思います」


 プレシアの一言はあまりに物騒で誰もが目を剥いたものの、当のプレシアはゲンナリとしかいいようがない顔で肩をすくめてみせる。


「多分あいつはちゃんとやれてるつもりでアーチェ様を歓待すると思いますが、それがどういう振る舞いになるかはもうアーチェ様なら予想できますよね」

「あー、うん。今現在も体感してるし」


 思わずアイズ、そしてその後ろに控えているケイルと憔悴した顔を見合わせてしまう。多分私の背後にいるメイも同じ顔してる。

 学園入学当初のプレシアを頭に思い描ける者たちなら、それがどういう振る舞いになるかは火を見るより明らかだからだ。


 貴族としての常識があるなら、あんな状態のプレシアを貴族街に放置はしない。つまりフェリトリー男爵には貴族としての常識がない、というのはもはや前提なのだ。

 プレシアと付き合いの浅いフレインと、そして護衛組荷車組ははて? と首を傾げてしまっているけどね。


「フレイン様、お願いがあります」

「如何致しましたか? アーチェ様」


 私が声をかけようと思った瞬間には既に微笑になってるこいつはなんだ、エスパーか何かか。


「忍耐を強いてすみませんが、御身にも向けられるであろうあらゆる非礼に一切の反応を示さずにいて欲しいのです。どうかご理解頂けないでしょうか」

「承りました。全ては我らが首魁たるルイセント殿下のために、ですね」


 いや、本当にフレインは優秀だわ。

 護衛組に違和感を与えないよう私の要求を聞き入れるよ、って返答をくれるの、咄嗟の言葉選びからして完璧すぎる。超人かよ。


「国家騎士団の皆様にもご了承頂けますか? 先手を打ってこちらからフェリトリー男爵家の面子を潰したくないのです」

「はっ!」「アンティマスク伯爵令嬢の仰せのままに」「御下命に従います」


 そしてこっちもアンティマスク伯の権威に従ってくれるようで、その点だけはありがたいかな。


 そのまま大通り、と言うのもちょっとアレな、ごく自然に家畜の糞が転がったメインストリートを進んでいく最中に、


――あれ?


 妙な既視感を覚えて咄嗟に視線を巡らすと、家屋の影。

 半身を隠すようにしてこちらを見ている一人の女性に視線が留まって、そして留まった理由が即座に理解できた。


「……母さん」


 私の斜め後ろから聞こえてきた声は蚊が鳴く程にか細くて、多分私とルナさん以外には聞こえなかっただろう。

 プレシアと同じ、しかし洗う頻度が少ないからだろう。本来は明るい金髪もくすみ、しかし未だ昔日の美しさを留めた二十代後半と思しき女性が静かに頭を垂れて私たちから視線を外す。

 まるで、貴族たる私たちの興味から逃れるかのように。


「いったん止まる?」


 愛馬シバルバーの腹を踵で叩いて速度を落とし、プレシアと轡を並べてそう問うも、


「いえ。道草してたなんて知ったらフェリトリー男爵が難癖付けてくるかもしれませんし」


 そう皮肉げに言い捨てたプレシアの心がどこに向いているかは、まだ付き合いの浅い私にはよく分からなかった。




 そんなこんなで駒を進めて、小高い丘の上にあるフェリトリー男爵家夏の館へと到着。

 プレシアが帰宅を告げると、使用人の案内で着替えもなくそのまま面会の間へと通される。


 ……ちなみにこの時点で既に貴族の一般的な通例をガン無視だ。

 まず馬丁を連れてこい。最低でもウチの人足と馬を厩に連れてってくれ。

 馬で訪れるのは伝えてあったよな。正門前に馬糞積み重ねて欲しいのかよコラ。


 仕方なくプレシアに案内して貰って厩に移動し、


(盗難に気をつけて)

(ああ)


 ダートに小声で注意を促してからも試練は続く。


「領主様がお待ちで御座います」

「あの、このまま謁見でしょうか?」

「はい。領主様がお待ちで御座いますので」


 来訪客のためのまともな旅籠がない土地の場合、来客にはまず一室を貸し与えて謁見のための身なりを整える時間と設備の使用許可を与えるのが通例なのだ。

 ホラ、だって旅ってのはアレだよ。一泊する旅籠もないような僻地なら日々の水浴びすら満足に出来ないのが当たり前だからね。


 謁見の前に入浴、最低でも行水。最悪中の最悪でも濡れ手拭いで身体を拭う時間とそのための部屋を貸し与えるのは、はるばる自領へやってきた貴族に対する最も基本的な配慮なのだ。

 来客に汚れたままの姿を強いても許されるのは、配慮が出来ない程にのっぴきならない状況へ追い詰められた時ぐらいのもの。


 そうじゃなくたって貴族ってのは見栄っ張りで、着飾った姿しか見せないのが普通なのに。

 戦時中でもないこの現状で、私たちに身を清める暇を与えないのは――「お前たちにはそんな様がお似合いだ」という私たちに対する侮辱でしかないのだが……

 うん、多分わかってないんだろうね。というかこのフェリトリー領、客なんて来たことがないのかもしれない。


「フェリトリー男爵は怖いもの知らずかよ」

「客の体面丸潰しじゃんか……」

「相手は侯爵家と伯爵家だぞ。正気か?」


 三バカですらそれは分かっていて、私、アイズ、フレインの顔を順繰りに見やっては不安そうに小声で呟いている体たらくだ。

 今更ながら来るんじゃなかった、みたいな顔で彼らが恐々としているのも今回ばかりは許さざるを得ないわ。


 謁見の間(ない家もあるからちゃんとあることに少しだけビックリした)に通されて、私たちは爵位無しなので当然のように頭を垂れて領主の入室を待つ。

 はてさて、足音を響かせこの場に現れ椅子へと腰をおろし、


「遠路はるばるようこそいらっしゃった。レティセント侯爵令息」


 上座から頭上に声をかけられて判断に迷う。

 あらかじめ来訪の打診を送っていたのは私なので、ここはまず家格によらず代表たる私に声をかけるのがこの国における正しい作法なのだが――


「ご歓待に感謝致します、フェリトリー男爵閣下」


 私のほんの僅かな沈黙から全てを察し挨拶を引き受けてくれたフレインの優秀さに今は感謝だ。


「レティセント侯爵ウィリアが長男、フレイン・レティセントが一同を代表してフェリトリー男爵閣下にご挨拶申し上げます」


 フレインが応えて皆が一斉に面を上げると、ああ、うん。理解した。

 なんていうか、これまで想像上のベティーズ・フェリトリーを燃料に燃え上がっていた殺意の炎があっという間にとろ火になっていくのを自覚する。


「ベティーズ・フェリトリーの名において諸君らの安全を保障しよう。何もない田舎領地だがゆっくりしていってくれ給え」


 赤毛を短く切りそろえた、どこか余裕の無さそうな男の緊張した表情はその年齢に反して――いや、ここは年齢通りと言うべきか。自信のなさがそこかしこから窺えて。

 むしろ背後に控えている壮年の侍従の方が余程落ち着いてこの場に適応しているぐらいで。


 そう、私たちを歓待したベティーズ・フェリトリーはようやく二十歳になるかならないかぐらいの若年貴族だったのだ。




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