■ 56 ■ 最初の夏休み Ⅲ




 夕食の準備をしている間に、護衛の一人であるレン・ブランド若輩騎士が私の前へ跪いてブロンド色の頭を垂れる。

 得物である槍を私の前に置いて手の届かない距離まで一度下がり、片膝ではなく両膝をつく最上位の敬意である。


「ア、アンティマスク伯爵令嬢におかれましては昔日の我が粗暴な振る舞い、どうかお許し頂きたく……真、申し訳御座いませんでした! 深くお詫び申し上げます!」


 私と護衛隊以外はさっぱり分からない状況で皆が興味深そうにこっちを見ているのがちょっと恥ずかしい。

 正直さっぱり気にしてないし、この振る舞いからして既に幼稚さはなりをひそめ、いっぱしの騎士になれてるみたいだから許すも何もないんだけど――


「謝罪を受けましょう、許します。もとより戦を生業とする騎士の振る舞いですもの、多少の粗野はむしろ頼もしくもありましょう。粗忽であっては困りますが」

「寛大なお言葉、痛み入ります」


 こういう場合、上からかける言葉としては気にしてないとか言うよりはっきり「許す」って言うほうが言質になるからいいみたいなんだよね。

 気にしてない、だと謝罪を受け止らないとも取られることがあるんだって。言葉から受ける人の印象って複雑だね。


「レン・ブランド卿。アルバート・ストラグル卿、キール・クランツ卿も。お三方の働きには期待しております。この先もよろしくお願いしますね」

「は、ははぁ!」


 ずざぁ、っとレン・ブランドはおろか残りの二人まで膝付いて頭垂れんなや三バカ。せめて一人は周囲を警戒しといてくれないかな、危ないから。

 いや、まあケイルが側に控えているから大丈夫っちゃ大丈夫なんだけどさ。お父様への敬意を警戒より優先されるとちょっと嬉しくないのでね。

 ま、許すと言った直後にまた注意を重ねるのはよくあるまい。あまりそういう態度が目だったらその時改めて注意するとしよう。


 男爵令嬢手ずからの猪鍋シチューに猪肉の串焼きローストという夕食を終え、護衛が順番に夜番をする中を皆して寝袋に潜り込む。

 こればかりは身分の差も無く皆一緒だ。我々貴族とていずれは徴集されての兵役が義務づけられているからね。

 寝袋なんかじゃ寝られないなんて泣言を言うような奴は貴族失格さぁ。


「普通女性は後方支援に回されるから兵舎で寝られると思うのですが……」

「何事も経験よアイズ。私はこういうの嫌いじゃないし」


 そんなわけで地べたに並んでお休みなさいだ。街灯がないから星空が綺麗ね。

 星々が見えるということはやはりこの世界の大地も丸くて、他の天体が宇宙のそこかしこに散らばっているのだろうか。

 あるいは異世界転生って実は異世界の話じゃなくて、地球から遠く離れた別の星に生まれてるだけだったりして。


 そんな下らないことを考えながら、あとは朝まで護衛が迂闊やらかさないことを祈りつつ目蓋を閉ざす。

 ま、仮に彼らがしくじったなら寝てる間に魔獣の餌だし? 痛みや苦しみに怯えることもあるまいよ。




 同じ釜(釜というか鍋だが)の飯を食うってのはやっぱり団結を強めるのに効果的であるようだ。


「成程、魔術の腕を買われて貴族になられたのですね」

「ええ、なので男爵家と言っても元々は庶民なので肩肘張らなくても大丈夫ですよ、えーと」

「キール・クランツ、キール・クランツでございます。フェリトリー男爵令嬢プレシア様」

「あーその、年上の方に頭下げられるのちょっと苦手で……あとできれば名前で呼んで下さい」

「ありがとうございますプレシア様、是非私のこともキールとお呼び捨てに!」


 ましてやこの道程中はずっと同じメンバーで顔を合わせていることもあって、フェリトリー領に入る頃にはすっかり私たちは気の知れた仲になっていた。


「私のときとは随分違う対応ですね? クランツ卿?」


 いや、ちょっと見栄張った。本当に周囲と気の知れた仲になったのはプレシアの方ね。実際料理が趣味っぽいプレシアは男共の胃袋をがっつり掴んだようだ。

 ごく当然のように周囲から食える野草を調達してきて、それによって獣特有の臭みが風味へと昇華される調理の手管には私も感心したし、貴族社会にいる間より輝いているように見えた。

 三バカ騎士もアイズやケイル、フレイン、そして荷番のダートやナンスも直答を許され、僅かながらもプレシアとの距離を詰めているのは僥倖である。


「ハ!? い、いえ、恐れ多くも東の要所を束ねるアンティマスク伯爵家にとってはクランツ家などお目汚しでしかありませんので!」

「まあ、お口も上手になられたのですね、クランツ卿は」

「は、あ……あぁあありがたく存じます!」


 私? アンティマスクの名が邪魔をして三バカからは避けられてるし、純粋貴族である私がダートたちと親しげに会話をするのは不自然なのでね、状況に変化無しだ。

 と言うか私が声をかけると条件反射みたいに三バカが背筋を伸ばしてしまうので、基本的にはプレシアから距離を取っているぐらいの位置づけ、お邪魔虫である。


 ちょっと寂しい気もするけど――そんなことはどうでもいい。

 それ以上に尊みラストスパートの後に尊死してしまいそうな気配すらある!


「プレシア様、キールのアホが鬱陶しかったらいつでも言って下さい。私かレンが黙らせますんで」

「いえ、ちょっと騒がしいぐらいの方が落ち着きますので。ありがとうございます、ストラグル卿」

「おいアル、俺をダシに自分をアピールとは卑怯なやり方だなぁ?」


 推しが! ヒロインと! 親しげに会話してる! 笑顔で! 

 この日をどれだけ待ち望んだことか!


 油断するとつい怪しげな微笑が零れてしまい、ハッと表情を引き締めるという体たらくだ。情けないネ。


 そしてそんな風にプレシアたちを見て微笑んでいる私は何やら不気味な存在に映るようで、ますます彼らからは距離を取られてしまうのは悲しいが全て許そう。

 プレシアがモテるのは実に結構、なんならケイルやフレインも持っていくがいい。そしてそのまま魔王を倒してくれれば私の心労は全て無くなるのだから!


 ……まあ、その前に使えないフェリトリー男爵をぶっ倒す必要があるんだけどね。


 そんなことを考えながら雑木林の中に細く一本穿たれた、獣道の又従兄弟みたいな小路を抜けた先に広がる世界。

 いよいよ夏風に僅かな湿り気と生臭さが乗るようになってきて、それはリオロンゴ河が間近に迫ってきた証で。


「到着、かしらね」

「はい、帰って来ちゃいました……」


 小高い丘の目下に広がるのは、おおよそ三~四百程度の家々が立ち並ぶ、こぢんまりながらも歴史を感じる石造りの集落。

 フェリトリー男爵のお膝元たる領都レリカリー。ここが私たちのバカンス先であり、同時に初めて成人貴族と対峙する決戦の場だ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る