■ 53 ■ 乙女の暗躍 Ⅰ
そんなわけである日の放課後、
「失礼、クルーシャル侯爵令息スニフティ様でいらっしゃいますでしょうか?」
学園三階の主に三年生が往来している廊下にてそう成年間近の男子学生に声をかけると、
「そうだが……一年生か? 何の用だ?」
露骨に不審こそ露わにはしないものの、警戒した表情で、しかし足を止めて話は聞いてくれるようである。
マナーズ先生仕込みのカーテシーに合わせて、
「アンティマスク伯爵グリシアスが長女、アーチェ・アンティマスクと申します。非礼は承知の上ながら御身の貴重な時間を僅かながらお借りしたく」
そう名乗ると、あからさまにクルーシャル侯爵令息が警戒を強めて面倒そうに手をヒラヒラと振る。
「切れ者と名高いアンティマスク伯にも王位継承争いにも関わりたくはないな。いくら見目麗しき御令嬢からのお誘いと言えどもね」
……行く先々の男子にアンティマスクって名乗ると渋い顔されるの、だいたいお父様の騎士団での声名のせいだよね。お父様、徹底して厳しいことで有名だから。
規律を守れない軍隊なんて野盗の又従兄弟だから、そこはお父様を責める気は無いんだけど。
でも長らく戦が起こっていない昨今のアルヴィオス王国である。
クソ真面目に規律の徹底遵守と機敏にして迅速正確な命令系統を遵守させる人は嫌われるのよね。
前世風に分かりやすく言えば、視界内に車どころか他人が一切いない田舎道で歩行者に赤信号停止を徹底して守らせる人、みたいな。
「いえ、そのどちらとも関係ございません。あえて言うなら獅子に憧れる花についてのお話ですわ」
貴族的言い回しで貴方に恋い焦がれる少女がいるよ、と伝えると、僅かながらクルーシャル侯爵令息の瞳に興味の色が灯る。
ふむ。かなりいい外見だから令嬢なんてよりどりみどりかと思ったけど、一応乗ってはくるのか。
……わかんね。私にこの年頃の男女の恋愛観はさっぱりだよ。腐女子OLにとって最も縁遠い作業じゃあないか、
「それは、貴方が?」
「いえ、私は花弁を運ぶ風にございますれば。花より預かりし花弁の置き場所を求めたく、何卒」
ちょっとお話ししませんか、と再度話を振ると、
「……まぁいいか。分かった、付き合おう」
どうやらクルーシャル侯爵令息は堅物ではないようで、ひとまず話は聞いてくれるらしい。
やれやれ、話をするところ見られるだけでミスティ陣営と思われるからヤダ、みたいな断り方されなくてよかったよ。
ただ、一年生女子が三年生男子に声をかけてともに歩いている時点でちょっと目立っちゃうのは仕方が無いね。
人目を惹きつつも第二食堂にてお茶を囲み、軽く紅茶で唇を湿らせケーキの脂肪分で舌を滑らせてから、
「それで、どちらの野に咲く花の話なんだ?」
ふむ、案外乗り気なのかなクルーシャル侯爵令息は。僅かに身を乗り出して興味津々という態度を隠しもしない。
いや、相手は侯爵家だし、これが演出という可能性も否定してはいけないね。後ろ手にナイフを握ってニコニコするのが貴族のやり方だし。
「まだ根を張る土地について明かすことが難しく。なにぶん脆くて柔い恋の花に御座いますれば、大事に大事に扱う必要が御座いまして。ご容赦願います」
一応ナビリティ子爵令嬢には素性を明かさないで、と言われているからね。
そう告げると、若干警戒したようにクルーシャル侯爵令息が眉をひそめる。
「時間を割いてやったのにそれでは話にならん。何が目的だ?」
そう言えば男子学生と一対一ってこれも危険か? と不安を覚え周囲を確認したら、何故か少し離れた席にフレインがいた。何故いる。どこから湧いて出た。
これで安心な筈なのに不安ばっか増していくこの感情をどう処理すればいい? い、いや、今は目の前の相手に集中しよう。フレインはあれだ、背景だ。そう思え。
「御身の写真を撮らせて頂きたい、というのがこの場を用意頂いた理由になります」
気を引き締めてそう詳らかにすると、いまいちピンときていなそうなこの学生はまだ写真を知らないみたいだね。
茶卓の上にメイがスッと私たちの家族写真を提出すると、クルーシャル侯爵令息の侍従がそれを軽く確認してから主の手へと渡す。
「これは?」
「現在の姿をそのまま写し取る技術がこの写真に御座います。御身に憧れる花は己の色に信無く到底御身のお側に寄り添うこと難しいと考え、せめて御身のお姿だけでも賜りたいと私に打診を」
「ふむ……」
色に信無く、で僅かに興が削がれたっぽいけど、ただ写真に対してはクルーシャル侯爵令息は割と真剣に見つめている。
どうやら写真自体には興味があるみたいだね。
「面白い技術ではあるが……それに付き合うことに対する私の利は? 結局花の色も香も土地も明かされぬのでは利点がないように思えるが」
「そうですね。先ずは撮影した御身の姿をこのようにお譲りできます。思い出として多少の記念にはなりましょう? 無論、元手は頂きません」
「……」
それだけか? と問うてくる瞳はさて、何を提示すれば彼は利と思ってくれるかな。
ひとまず思いつくだけ並べてみるか。
「あとはまあ、武勇伝の一つにもなりましょう。至らぬ身ながらも責めてお姿だけは、と望むいたいけな少女に施してやったのだと。これは紛れもない事実ですので」
「まあ、ちょっとした自慢にはなるな」
チラ、と興味深そうに視線を茶卓上に落とす様は、どうやら天秤が結構私側に揺れていると思って良さそうね。
俺ってモテるんだぜ! っていうマウント取りはパリピの話題としては丁度よい面もあるだろうし。
「確証もなく言いふらしては空想と笑われましょうが、その写真を手に語れば信憑性も増します。そう語る根拠が手元にあるわけですので」
「実際、さっきの廊下でも目立っていたしな。出鱈目と疑われることはないか」
「左様に御座います」
商品価値ってのは希少であればある程上がるからね。言い換えれば、誰も欲しがらないものの値は上がりようがない。
逆に言えば欲しがっている人が多ければ多い程値をつり上げることができる。自分がモテる、というのを実際に喧伝するのはそういう意図があるからだ。
クジャクの羽、コオロギの歌さ。容姿と声音のみならず、人は知性をも異性へのアピール手段とした。ただそれだけの、あくまで動物的所行だ。
「本当に、王位継承争いには関係が無いんだな?」
「アンティマスクの名にかけてお誓い申し上げます。無論、写真を撮影しただけで第一王子派が無理矢理な難癖を付けてくる可能性は御座いますが――私が派閥としても個人としてもクルーシャル侯爵令息に一切何も求めないことは重ねてお約束いたします。必要であれば念書も書いてお渡し致しますが」
念書なんてものはぶっちゃけなんの役にも立たないんだけどね。
生き延びるために騙す奴は騙す、裏切る奴は裏切る、嘘着く奴は嘘吐くのは当たり前だ。知性を生き延びる価値に組み込んだ人類なら、当然のようにそれを為す。
だけど念書を書いた上でそれを反故にしたら、少なくとも貴族社会で其奴は約束を守る気が無い奴、と周囲から見做される。
無論、力があれば他人との約束を守る必要なんてないわけだけど、伯爵家程度ではそうはいかないからきちんと鎖として機能する。少なくとも、私に対しては。
「……この姿を撮る以外は、何も求めないと?」
「はい。種子は花の方より回収できますので」
私としては小銭稼ぎが目的ですよ、と俗な理由を告げると、クルーシャル侯爵令息は僅かに苦笑したようだった。
「まあいい、確かに記念にはなるしな。いいだろう、付き合ってやる」
「御身のご厚情に御礼申し上げます」
「なに、姿勢はこっちで決めてもいいんだろう? 椅子に座ってなんて面白くないからな!」
……いや、思ったよりノリノリだったわクルーシャル侯爵令息。そっかー、写真撮りたかったかー。
まあ、現在学園三年生の十五歳、少年と成年の中間に位置する美味しい年頃だもんね。カッコイイ自分の姿残したいよね。
「構いませんが、絵画程ではないにせよ焼き付けのために少々のお時間その姿勢、表情を堅持して頂く必要があります。椅子に腰掛ける方が楽ですよ?」
「ははっ、アンティマスク伯爵令嬢よ、クルーシャル家を侮るでないぞ。そんなやわな鍛え方はしていないからな!」
左様で御座いますか。なら私としてはかまいませんけどね。
しんどいのそっちで私じゃないし。
なんにせよ、ひとまず上手く纏まったか。未だ肖像権なんてない世界だ、肖像画を描かせるってのがステータスでもあるからこそ成立する話だろうね。
クルーシャル侯爵令息の写真はこれで撮影ができるし、あとはナビリティ子爵令嬢からガラス乾板代プラスαの代金を頂くだけだわ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます