■ 50 ■ drill instructor Ⅱ




 まあ、それはそれとして?


「フェリトリー男爵令嬢? 皆を集めた貴方自身がその様では恥ずかしいと思わなくて?」

「だ、だって……歴史とか学んで何の役に立つんですか? 意味わかんないです……」


 あー、うん、学生の時の私も同じようなこと思ったけどさ。

 いざ某大国が戦争ふっかけた有様を見てると「歴史から何を学んだんだよ!」ってキレたくなりもしたしなぁ。

 人は歴史を学ばないと、過去の愚かさを再生産するんだよ。どれだけ科学が進歩しても原始時代と同じ馬鹿を繰り返すんだ。


 ってあれ? 前世に鑑みると結局のところ愚かな戦争を始めた時点で、学習と知識は人の欲望に勝り得ないって結論に達しちゃわない?

 ……いや、違う。あーいうのは歪んだ教育を受けたからそういう思考になってるだけだ。やっぱりキチンとした教育は必要だよ。


「歴史を学ぶということは、先人の失敗を糧に自らの思考を膨らませるという事よ。プレシア、貴方。自分が歴代で最も優れた男爵令嬢だと思って?」

「そ、そんなことは考えたこともないです! はい!」

「なら過去の賢人知人たちですらどのような失敗を重ねたか。それを学んで糧としなさい。フェリトリー領を富ませるのが貴方の仕事でしょうに」

「そ、それは、そうなんですが……近道とか、ないですかね」

「無いわ」


 なおも言い募ろうとするプレシアを瞳で制する。そんな近道があるなら――ああ、聖属性で稼げればそれでいいだろうって言いたいわけね。

 それを期待されて無理矢理貴族にさせられたんだからプレシアがそれ以外はしたくない、ってのはまぁ、分からんでもないが……そうもいかんのよ。


「フェリトリー男爵令嬢、貴方の子供が貴方と同じ才能を引き継ぐ可能性はなくてよ? なら貴方は自分の子供に一体どういう教育をする御心算かしら?」

「え、子孫のこととかまで考えても仕方ないヒャア!」


 プレシアをただ男爵令嬢としてしか見ていないティーチ先生はこの物言いにはカチンときたみたいで、珍しく机にダンと手をついてプレシアを睨み付ける。


「それが世襲貴族の言うことですか。貴方は領民の命と未来を背負っているのだといい加減分かりなさい! フェリトリー男爵令嬢!」

「ヒャイ!」


 これは本当にティーチ先生の言うとおりだよ。ぶっちゃけ今のプレシアはフェリトリー男爵領で生きているであろう母親の未来も背負っているわけで。

 それらを踏まえればプレシアが疎かにしていい教育なんてものは義務教育の範囲内では一切無いんだよ。


 あるとすれば三角関数ぐらいかな。アレはこの文化レベルの下位貴族には必要ない。歴史的にはむっちゃ重要だけどね。

 無論、こっちの世界での貴族教育に三角関数はないよ。そういうのはまだ象牙の塔魔術研究室のお仕事さぁ。


「飢えた自領の民にピッチフォークで串刺しにされたく無ければ学びなさい。古今東西、背中から刺された貴族の数は決して少なくなくてよ?」

「で、ですよね……」


 今まさに私の尻でもピッチフォークでつつければなぁとか考えてそうなプレシアに一睨み効かせると、プレシアがヒッと息を呑んで書面へと視線を落とす。

 そうそう、大人しく学びましょうね。




 なお、日が暮れる前に他の令嬢たちが帰宅しても、プレシアの訓練は続く。


「歴史のお勉強はわかりました。算数も必要だし読み書きできると便利なのは知ってます。でも礼儀作法がなんで必要なんですか」


 夕食の時すらマナーズ先生に後ろに張り付かれ都度指摘を受けているプレシアが唯一くつろげるのが、お風呂と就寝の時間である。

 入浴後、ルナさんに髪を拭って貰いながらプレシアがブー垂れるのは……半分くらいは本当に文句じゃなくて理由が分からないのだろう。


「仮に貴方が今後ポーションを作れるようになったとして、よ? それは高級治療薬だし。ボロボロの服着た粗末な娘が持ってきた薬を誰が買うの?」

「……私とか」

「お金持ってないでしょ、貴方」

「……」


 流石にそろそろプレシアも分かってきたようである。厨房に見知らぬものが入り込むだけで毒殺を疑うのが貴族社会なのだ。

 であれば服用が必要なポーションを渡してくる相手に信用がなければ、誰もそれを飲もうとなんてしない。ましてや購入など。


「貴方がれっきとした貴族であり、貴族として聖属性の力を振るい、試験を経て聖属性医師、ないしは聖属性薬剤師としての権利を得て初めて貴方は聖属性で収入を得ることができるのよ。その過程を経なければ精々闇医者がいいところね」


 無論闇医者でも闇医者なりに稼ぐことはできるけど、その場合の顧客はほぼ庶民になる。

 貴族相手の商売と庶民相手の商売、どっちが儲かるかは言わずもがなってやつよ。


「ましてや商売をするなら相手の文化や思考を尊重するのは当然のこと。この世に貴方一人しか聖属性医師がいないなら貴方がどれだけ横柄で無礼でも問題ないけれど、ね」


 聖属性医師は確かに希少だが、プレシア一人しかいないわけではない。

 であればどれだけ腕がよくてもボロの服着て態度が庶民な小娘より、立派な身形で物腰がしっかりしている者の方を信頼する。

 聖属性は儲かるからこそ、よい身形をしていないものは実力を疑われるのだ。儲かってない=腕が悪いという見立てになってしまうから。


「ということをフェリトリー男爵閣下にも理解しておいて欲しかったのだけどね」

「……あの、もしかしてフェリトリー男爵って馬鹿なんでしょうか」


 自分が一流の礼儀作法と教育を毎日浴びせられているせいだろう。

 プレシアも少しずつ貴族にとっての普通、というラインが見え始めてきたようだった。


「その質問に正直に答えることは差し控えさせて貰うわ。ただ別に悪天候に見舞われてもいないのにフェリトリー男爵がそうも貧している辺りからお察しね」

「そう言えばあいつ、他の家もだいたいこんなものとか言ってたけど。こんな苦労してるの私一人だし……そっか、あいつ馬鹿だったんだ……」


 プレシアからあいつ呼ばわりされてるフェリトリー男爵は――うん、多分貴族としては相当に質が悪いと思う。

 下手したらアイズの二人目の父であるイナードヴァン男爵と同程度には使えない奴なんじゃないかな。


「だからってフェリトリー男爵に見下した態度とか取っちゃ駄目よ? 馬鹿だって馬鹿って言われれば怒る程度の知恵はあるんだから。ちゃんとお父様と呼びなさいな」

「え? でも馬鹿には誰かが馬鹿って言ってあげなきゃずっと馬鹿なままじゃないですか。今の私みたいに」


 ……あ、そう考えるの。とにもかくにもこの子、純朴で正直かつ素直なのね。

 やりたくないことから全力で逃げるのもそのせいか。自分の欲望にも素直で嘘吐かないんだわ。


「ものにも言い方というものがあるでしょ? お姉様に事実を指摘されて殴りかかった貴方がそれを言う?」

「うっ……」


 あの時、言葉の選び方は最悪だったけどお姉様は状況からして的外れなことは言ってなかったからね。

 グゥの音も出ないようでプレシアが黙り込むと、プレシアの髪の毛を乾かし終えて褒めて欲しがっているっぽいルナさんと目があった。


「ルナさんも侍従業お疲れ様。よくできてるわ。生活のほうはどう? 今の環境を楽しんで貰えているかしら」

「はい! いろいろなことを学べますし、皆さん色とりどりの服を着てるのは見てて楽しいです。ルジェ様はいっつも同じ服しか着ませんし」


 あの頭モズの巣着た切り雀はどうしようもあるまい。

 しかしあれでも貴重な金の卵を産むガチョウでもあるのだ、大事にせねばなるまい。困った人だけどね。


 そして学ぶのが楽しいとルナさんに言われたプレシアが引きつってるけど、うんうん。まだ多少のプライドはあるようで結構。

 であれば貴方も幼子(十八歳)に負けないようにキチンと頑張りなさい。




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