■ 50 ■ drill instructor Ⅰ
「お辞儀の角度が深すぎます、それに背筋が曲がっていますよ」
「す、すみません」
「エクト騎士爵令嬢、なんですかその表情は。平民のように感情を露わにするのは恥ずべき事ですよ」
「ご、ごめんなさい!」
「レスト男爵令嬢は衣装の質が今一つですね。それでは騎士爵家未満の装いです。お父上に直訴すべきでしょう」
「で、でもこの服見た目に可愛いしお気に入りで……!」
「でしたらより上質な素材で同じものを作らせなさい。男爵家令嬢としての素養が疑われますよ」
「うぐっ、お、オーダーメイドするだけのお金、お父様出してくれるかな……」
阿鼻叫喚とはこのことである。
あれからプレシアが連れてきた避雷針一号ことゼイニ男爵令嬢とプレシアをまとめて叩き潰したところ、当然のようにプレシアは更なる避雷針の確保に躍起になった。
が、プレシアが十名程になる避雷針を集め終わる頃には、
「では、我々二人をアーチェお嬢様が雇用すると言うことでよろしいですね?」
「ええ、マナーズ先生。ティーチ先生も。男爵家、騎士爵家、商家と入り交じってますが、生徒たちの家格に合った教育をお願いします。お二人にならば安心して任せられますわ」
「個人でガヴァネスを二人も雇える程の収入が既にあるとは、流石はアーチェお嬢様ですね。誠心誠意働かせて頂きますよ」
私の要望に応えてマナーズ先生とティーチ先生が雇用に応じてくれたのでこっちの迎撃態勢も完璧である。
何せこの二人は実績でしかものを評価しないお父様が私に付けたガヴァネスなのだ。無能である筈があるまいよ。
あっという間にプレシアが用意した十人十色の避雷針達の家と名前と顔を覚えて、彼女らの家格に見合った個別教育を並列して進めるわけである。
はー、すげー。これは私には無理だわって本当に感心しちゃう。やっぱ本職だけあって手際の良さが際立ってるわ。
どんな職だろうと、一流の仕事って端で見てると本当に美しいっていう手本よね。
私が生徒の間はそんなこと考えている余裕はなかったけど。
そんなこんなでアンティマスク家冬の館は何故か新人貴族令嬢の育成所へと姿を変えてしまっている。
お父様が夏の館にいるこの半年間で仕上げないと絶対に怒られるから手加減している余裕はない。まぁ、プレシア以外はだいたい下地があるから大丈夫そうだけど。
ガチで一切貴族教育を受けてないのはプレシア一人ってのは教える方としてはありがたいよ。
こんなのが二人三人といたら本当に手が足りないもん。
「ダンスの練習はお相手がいないと難しいですね。アイズ様、ケイル。お二方のステップが鈍ってないことを祈りますわ」
「……これまで披露する機会が無かったので多少のさび付きはご了承願います」
「アイズ様に同じくイデェ!」
「ケイル、その軽薄な面を引き締めろと何度言ったら分かるのでしょうね? まだ鞭が足りませんか?」
「足りてます! ご容赦を!」
うん、アイズもケイルもやはり恩師であるマナーズ先生には頭が上がらないか。実際私もそうだしね。
私ら庶民組(
そんなわけでダンスレッスンのパートナー役はアイズとケイルに任せてるんだけど……この授業だけ皆滅茶苦茶気合い入ってる。気合いの入れ方が違う。
アイズもケイルも顔がいいからね。美少女が嫌いな男なんていないように、美少年が嫌いな女もいねぇ。ま、当たり前だぁね。
そして十人ほどを半々に割ったもう一方、
「どうですかティーチ先生」
「フロックス男爵令嬢とフェリトリー男爵令嬢は教育する意味がありません。当人に学ぶ意思がありませんので。その他の子らは真面目ですね、教え甲斐がありますわ」
ティーチ先生は学習意欲が無い奴に教えるのは無駄ってスタイルだからなぁ。
こいつらの意欲を引き出すのは私の役目か。先生には三人への補講を続けて貰って、二人と向かい合う。
「フロックス男爵令嬢、フェリトリー男爵令嬢」
「……はい」
「ヒャイ!」
「フロックス男爵令嬢はフェリトリー男爵令嬢に無理矢理連れてこられたなら帰っていいわ。学園を落第するも卒業するも貴方の自由だもの。ただし今以上の学習環境を自力で用意するのは難しい、とだけは忠告させて貰うわよ。フェリトリー男爵令嬢もね」
まあ、私からすれば避雷針の進路まで一々面倒は見られないからね。
当人に学ぶ意欲がないなら帰って貰って一向に構わない、というかその方がありがたいぐらいなんだけど。
「……すみません、まだ、私、字が下手で」
それがどうした? とティーチ先生は小首を傾げているけれど――悔しいかな、私はなんとなく分かってしまった。
肩を震わせての必死の訴え。それはパワハラで死にかけた前世の私によく似ていたから、彼女の言いたいことが理解できてしまう。
「女のくせに下手な字だな」ってパワハラ上司からの物言いは一度死んだ今でもなお思い出せるわ。
下手な字だけでも腹立つのに
……っていかんいかん、前世の怒りはここでは不要だ。0円スマイルを保たないと。
「大丈夫、板書が下手でも馬鹿にする人はここにはいないわ。手紙じゃないんだもの。書いた人にだけ分かればいいのよ」
そう手を取って微笑んでみせると、多分字が下手なことを上位貴族たちにさんざん笑われたのだろう。
フロックス男爵令嬢がぽろぽろと涙を零す。
実際、パソコンもプリンターもないこの世界では字の上手さは下手すると顔の良さより重視される要素だ。
汚い文字しか書けない人は当然のように見下される。だけどインクだって騎士爵男爵家ではホイホイ買えないからね。下位貴族はこういうところが辛いわよね。
「入学したての一年生ですもの。字の優美さなんてまだまだ気にしなくていいわ。そういうことを言う輩は何でもいいから他人に難癖付けて優位に立ちたいだけ。無視していいのよ、フロックス男爵令嬢」
「あ、ありがとう……ございます。アンティマスク伯爵令嬢」
どこの世界にも下手くそを笑ってさらし者にする人たちはいるからね。
そういう連中のせいで硬直して何もできなくなってしまうのは可哀相だから、呪縛は解いてあげないと。
「ただ、貴族である以上直筆のお手紙を書く機会は今後出てくるでしょうし、文字の書き取りもおいおい練習していきましょう?」
「……はい! 努力いたします」
なるべくきつくならないように、とにかく柔らかい語調でそう告げるとフロックス男爵令嬢はやる気になってくれたようだ。結構結構。
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