■ 49 ■ 不屈の聖女 Ⅱ




 そんなわけでみっちり身振り手振り仕草を指導した後、今日のところは芋の入った桶を持たせてケイルを護衛に三日ぶりにフェリトリー家冬の館へとプレシアを返してやった。

 料理が息抜きになるなら今後も一週間に一回くらいは家に帰してあげるべきかもね。


 その際に護衛としてアイズやケイルをつければ聖女と二人きりになる機会を用意してあげられるし。

 うん、我ながら一石二鳥のよいアイディアだわ。


「強気なんだか弱気なんだかよくわからない令嬢ですね」


 窓の外、芋の桶を大事そうに抱えて夕焼け空に消えていくプレシアを見下ろしながらアイズが苦笑する。

 アイズからすれば久しぶりの庶民的空気が懐かしかったのだろう。どこかしら苦笑にも柔らかさが染みているわね。プレシアとの距離が近いのはいいことだわ。


「庶民が懐かしくなった?」

「多少は。でも僕は今の生活も好きですから。姉さんと一緒の生活は退屈してる暇がありませんし」


 おっと、そう言ってくれるのは嬉しいけどそれでは駄目ね。


「学園は貴族にとって婚約者を探す場所でもあるわ。あまりのんびりしてるとドンドンいい子を周囲に奪われちゃうわよ?」

「僕も婚約者は父上が決めた相手で構いませんよ。どうせ顔もろくに見えませんし」


 あ、そっか。アイズにとっては誰も彼も濃度を除けば外見が同じにしか見えないんだもんね。そりゃ誰でもよくなるわ。


「だから僕は姉さんに感謝してるんです。写真のおかげで他人がどういう顔をしているのか、久しぶりに分かるようになりましたから」


 そう、後で分かったことだけど、写真ならアイズの浄眼も人を人として認識できるらしい。

 なので現像した写真はありったけ渡しているの、アイズはことのほか喜んでくれているらしくて、ありがたい誤算だわ。これは。


 あとでプレシアも撮影してアイズに渡さないとね。そうしないとどうやってもケイル有利になっちゃうだろうし。

 しかしそうするとダートはどうしたものか……あ、これも一石二鳥できるかも。




「そんなわけで、以後このルナーシアさんに貴方の侍従として働いて貰うわ」

「ルナーシア・オーナリィです。ルナとお呼び下さい、フェリトリー男爵令嬢」


 ポカン、と口を開けて間抜け面を晒すプレシアとは対照的に、ルナさんのお辞儀は極めて優雅かつ丁寧なものである。


 ま、ルナさんは実質ルジェの侍従としてここ二年間ずっとリージェンス研で働いていたからね。

 既に男爵家の侍従として必要な技能ならほぼ完全に備わっていると言っても過言ではない。

 しかもプレシアは男爵家当主ではなくその娘だ。ならルナさんの能力はプレシアにとってはある意味過剰とも言える。


 なお、ルナさんにプレシアの侍従として働いて貰うことにはルジェが当然のように難色を示した。


「そんな! なら一体誰が今後ボクの食事とお茶を用意してかつ掃除洗濯ボクをベッドまで運んでくれると言うんだい!?」

「それを無給でやらせてる人にそんなこと言う権限はありません」

「ハッ、金の亡者が言いそうな台詞だね。あーやだやだ。アーチェは賤しいなぁ」


 いーや、どう考えたって献体として運び込んだ患者に賃金なしで身の回りの世話をさせるルジェの方が賤しいからね。

 そんなわけでへそ曲げてるルジェは放置してルナさんと正面から向き合うわけである。


「どうかしらルナさん。ここでずっと引き籠もっているより世界が広がると思うのだけど」

「その分危険度は増すからね。ルナ君、よぉーーーーく考えた方がいいよ。ボクの側にいるのが一番安全さぁ」

「ええ、その事実は否定はしないわ。貴族街も相当に安全な場所だけど、王城の敷地内に比べれば多少のトラブルは起きるから」


 亜鉛欠乏症の献体として運び込まれて以降をずっと王城の敷地内、というか象牙の塔魔術研究室で過ごしてきたルナさんはだから、王国一のセキュリティに守られてきた。

 だけど貴族街へ繰り出すとあれば、そこは破落戸や犯罪者は一人もいなくても権謀術数が渦巻く世界である。王城の敷地並の安全性は期待できない。

 無論、通りで人に襲われる可能性はほぼ皆無に近いぐらいの安全さはあるけどね。


 そう私とルジェの間に立たされ選択を迫られたルナさんだったけれど、


「今後のことを考えると私もお金貯めたいですし……それに我が儘が許されるなら私もアーチェ様の家に行ってみたいです!」

「そ、そんなぁ! ルナくぅーん、考え直したまえよぉ!」


 どうやら好奇心を持て余していたようで、軍配は私のほうに上がったようだった。

 まあ、ワルトラントから避難して鉱山、スラム、象牙の塔魔術研究室と長らく自由を奪われてきたルナさんだ。

 広い世界に、目の前に広がる大海に漕ぎ出したいという願望は当然のようにあったって事だろうね。


「ほら、ちゃんと定期的に私とメイで掃除は続けますから。ね? ルジェ」

「絶対だからね! 頼むよ助手一号二号。あぁ……ボクの快適な研究生活が」

「文句言うならルナさんに給料払いましょうよ」

「ヤダ! ボクのお金は設備費と資材費に全部使うんだい!」

「……清々しいほどのダメ大人ね」


 ブー垂れるルジェを宥め賺して、改めてルナさんにはプレシアの侍従となって貰った次第である。

 よーしよしよし、これでプレシアとダートにも縁ができたし、ダートからもプレシアに攻勢コナかけられるわ!




 という顛末で現在に至るのである。


「……あの、アーチェ様? ルナーシアさん、どう見ても子供なんですが」

「心配せずともルナさんは今の貴方よりよっぽど優秀です」

「はうっ!」


 実際、外見的に八~九歳ぐらいにしか見えないルナさんの実年齢は十八だ。

 ルジェの元で働いていたこともあって難しい論文ももう読めるし、ルジェを手本にした読み書き、メイを手本にした礼儀作法、それらも本職には及ばねどかなり練り上げられている。


 要するに、見た目子供のルナさんの方が立ち居振る舞いや礼儀作法においてプレシアよりよっぽど上なのだ。

 くくく、どう見ても年下の子供の方が自分より先を行っているプレッシャーを精々味わうがいいわ。


「ルナさん、これから貴方は彼女の侍従となるのだからフェリトリー男爵令嬢ではなく名前で呼んで構わないわよ」

「はい! 共に切磋琢磨していければと思います、よろしくお願いしますね、プレシア様!」

「は、はい、宜しくお願いします……」


 純粋に己を慕う笑顔って眩しすぎて時に身を焼くわよね。うん、分かるわ。分かっても容赦はしないけどね。


「令嬢ともなれば一人で着られない服の一つや二つ出てくるものよ。今のうちから着付けされることに慣れておきなさい。いいわね?」

「ふぁい……」


 というわけでルナさんにはプレシアの侍従として動いて貰うことにするよ。

 男爵家の令嬢であるプレシアは別に侍従がいなくても馬鹿にはされないけど、侍従を付けちゃいけないわけじゃないからね。

 逆に侍従を付けると「生意気な!」と思われる可能性があるけど、ルナさんの外見年齢が「知り合いの子に学習機会を与えてるだけ」って思わせてくれるので問題ない。


 さぁ自分より年下の侍従の前で敵前逃亡するか? お?

 そんな自分を情けないと思わないのは流石に恥ずかしいよなぁ!? と、私は目論んだわけだけど――




 後日、


「というわけで、この子も『不審人物』として十分だと思うんです!」

「あ、あの……礼儀作法の不足を補って貰えるというの、本当でしょうか……?」


 ……考えたわねプレシア。クソどうでもいいことには頭回るのね貴方。

 こいつ、このクソ聖女。

 自分が教育から逃げられないと見るや、私の注意を分散すべく、避雷針の数を増やす方向に即座に舵を切りやがった!

 要するに、自分と同等程度の令嬢なんて他にいますし、私が特別駄目な奴じゃないんです。だから私が厳しい指導を受ける道理はないんですってわけよね。なんて奴!


「不審人物の数を減らすのもアーチェ様の仕事なんですよね? ね?」


 ハッ、まるで鬼の首を獲ったかのようねプレシアァ。

 いまいち半信半疑な学生――服装からして男爵家かしらね? を傍らに伴って笑うプレシアを前に――OK、いいだろう。私もまた全力を投じる覚悟を決めた。


「……メイ、マナーズ先生とティーチ先生に勧誘のお手紙を。当人が忙しいようであれば代理の紹介もお願いして」

「はい、すぐに」


 以心伝心のメイが皆まで語らずとも私の意を酌んで行動に移してくれる。

 舐めるなよプレシア。私が写真で貯めた貯金を使い果たしてでも貴様の思い通りにはさせんよ。


「ええ、ええ。他にも基礎知識や立ち居振る舞いに自信が無い子がいればいくらでも連れてきてくれて結構よ? このアンティマスクが全て面倒みますとも」


 まだ名も知らぬ学生の背後で「ヤベ、しくじった?」なんて顔を歪めるプレシアよ、愚かな娘よ。

 私の指導などまだ生ぬるかったのだと、あの剣の勇者候補ケイルにすら悲鳴を上げさせたマナーズ先生の元で大いに反省するがいい。


「この先五人だろうと、十人だろうと。いくらでも連れてくるがいいわ……!」


 それらが盾になると思っているなら、そんなのは計算違いと知らしめるだけよ!

 私と、マナーズ先生と、ティーチ先生のデルタアタックで全て叩き潰してやるのだから!


「あ、あの、アーチェ様? 流石のアーチェ様でも複数名を完璧に指導するのは難しいんじゃないかなー、なんて、アハハ……」

「足りない人手は金で補うだけの事よ……プレシア」

「ヒャイ!」

「この私の執念を甘く見たこと……精々後悔するのね」

「ヒィエェエエエエエエエッ!?」


 数は力だと。それをこっちだって運用できるのだと。そう理解したプレシアが今更ながらに悲鳴を上げるけど私は気にしないよ。

 貴様の浅知恵如きで、お父様相手に無駄に鍛えられてる私を出し抜けるとは思わないことね。


 敗北を悟ったプレシアの口から魂が抜けかかっているけど、それも私の知ったことではないわ。

 精々全力で抗いなさいな。その全てを叩き潰して貴方を立派な男爵令嬢へ仕立て上げてみせるから!




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