■ 49 ■ 不屈の聖女 Ⅰ




「と言うわけでしばらくこの子をウチで預かることにしたわ」

「ベ、ベティーズ・フェリトリー男爵の長女、プレシア・フェリトリーです。よろしくお願いします……」


 アンティマスク家冬の館にて使用人を集めてプレシアを紹介すると、使用人たちの視線が瞬時にアイズへと集中する。


「……姉さん、ノリと勢いで拾ってくるのはせめて庶民までにしませんか?」


 そうして使用人たちの期待を一身に浴びたアイズが極めて常識的な意見を述べるけど、


「お父様が選んだ皆を信じて明かすけど、プレシアは貴重な聖属性持ちなのよ。お父様には私から文を送ります」


 そう告げると、貴族社会に聡い上位使用人たちの瞳には納得の色が浮かび始めた。

 うん、アイズに凍らせられた私の脚を治してくれた聖属性医師みたいな伝手はあっても、彼はアンティマスク家のお抱えではない。あくまで金で雇った医師でありアンティマスクに拘束力はない。

 貴重な聖属性持ちをキープできるかもしれない機会とあれば、貴族社会を知る使用人たちならこれが千載一遇と理解できるわけだ。


「フェリトリー家冬の館には今使用人が一人もいないのだそうよ。なので今後の友好のためにもウチで生活を保証するのが妥当と考えました。当主代行、如何でしょうか」


 娘のために使用人の一人も残さない、というフェリトリー家の異様さは流石に下位使用人たちもおかしいと感じたようだ。

 あるものは優しさから、あるものは呆れから、あるものは打算からプレシアをウチに住まわせる理由に理解を示し始める。

 そして私に尋ねられたアイズもまた、


「姉さんの判断は悪くないと思います。ですが彼女の衣食を我が家が保障するのは筋が通りません」


 私に優しいアイズも、当主代行としてそれは譲れないわよね。うんうん、アイズへの好感度と信頼度がどんどん高まっていくわ。

 立派に貴族やれてるじゃない、アイズ。家族だからってそこは安易に流されちゃいけない。安心したわ。


「彼女が稼げるようになるまでは私が全額代理で持ちます。当然、後で返して貰いますよ。安く施して侮られる愚は犯しませんわ、当主代行」


 え、聞いてないよ? みたいな顔をするプレシアの尻をギュムッと捻って黙らせながらアイズに笑いかけると、アイズが小さく苦笑して肩をすくめる。


「であれば、父上からの返答あるまで当主代行として姉さんの判断を酌みましょう。ご随意に」

「当主代行の許可が下りました。皆には負担をかけますが客間の準備をお願いいたしますね」

『はい、お嬢様!』


 使用人たちが己の持ち場へと散っていった後、プレシアがへなへなと玄関ホールに崩れ落ちるのを尻目に、


「ありがとうアイズ、でも当主代行なのだからもう少し厳しくてもいいのよ?」


 そう微笑むと、アイズもまた微苦笑を以て私に応えてくる。


「父上でも聖属性持ちを前にすれば態度を軟化させざるを得ないでしょう。本当に、彼女が?」

「ええ。私が身を以て体感したもの。聖属性持ちであるが故に貴族に買い上げられ、なのに貴族教育を一切施されていないのがこの子なの――貴方も力になってあげて? アイズ」


 同じく力だけを求められてお父様に買い上げられ、しかしキチンと教育を施されたアイズが、


「それは――許し難い話ですね」


 分かっているとばかりに私に微笑んでみせる。

 全くもー、アイズってば優しすぎるわよ。その勢いで聖女をモノにしなさい。姉が許す!

 私の表情から内心を察したらしいアイズがプレシアに歩み寄って、お姉様にしたように、


「お初にお目にかかりますフェリトリー男爵令嬢。アンティマスク伯爵グリシアスが長男、アイズ・アンティマスクと申します。以後お見知りおきを」


 プレシアの手を取って額を付けると、プレシアの顔がポッと上気するのが傍目にも一目瞭然である。

 たりめーだ。うちの弟のツラと性格の良さをなめんじゃねぇぞ! 身内以外にはおっかねぇ氷の剃刀だがな!


「ヒャイ! すみません、アーチェ様に甘えてばっかりの私が、何を言えばいいのか……」

「姉さんの赤心に応える以上はなにも求めませんよ。この館での安全は私、アイズ・アンティマスクが保証します。ですのでどうか姉の一助を担って頂けますでしょうか」

「は、伯爵様の仰るとおりに!」


 いや、アイズはこの館における当主代行だから伯爵じゃないんだけど。そういうのはまた後日の話よね。

 何にせよこの館にプレシアを住まわせ、貴族としての立ち居振る舞いを身に付けさせながらの学園生活が始まったのだけど――




「プレシアの馬鹿は何処へ行ったぁ!」


 プレシアを我がアンティマスク家冬の館に住まわせてから三日目。

 館内を駆けずり回るも、プレシアの姿は影も形もみえず。あの聖女め逃亡しやがったか!


「お嬢、外履きだが巧妙に隠されていただけだった。まだ館内にいるぜ」


 ケイルがプレシアのまだ新しい外履きを手に戻ってきて、となると奴はまだ館内にいるのか?

 流石に庶民とはいえ陽気なサ○エさんじゃないんだ、裸足で駆けてきはしまい。


「……にゃろうめ、小賢しい手を! アイズ、ケイル! 部屋という部屋の全てを捜索しなさい! クローゼットの中も人が入れそうな場所は全てよ! 私とメイは女性使用人の部屋を見て回ります!」

「了解です、姉さん」

「お嬢から逃げようとか、あの子も無駄なことするねぇ」


 あんにゃろう、立ち居振る舞いの訓練が嫌で逃げ出すとか心の底まで庶民だなぁ?

 しかも家の外に逃げたら縁が切れちゃうかもしれないから館内を逃げ回るとか、ビビりな小賢しさが透けて見えるわ。


「クローゼットの中にはいない……かくれんぼではないようね」


 粗方の部屋を見て回るも、プレシアの姿は見あたらず、アイズたちも同様らしい。


「しかし隠れる場所は他にはありませんが」

「とすると絶えず移動をしてるか、もしくは――ああ!」


 ポンと手を打ち鳴らし、改めて食堂、いやその奥にあるキッチンへと向かうとお父様からも信頼厚い料理長が、


「これはお嬢様、どうなさいました?」


 怪訝そうながらも包丁を一旦まな板に戻し、エプロンで手を拭って一礼する。


 料理長は貴族の腹に収まるものを扱う職だから、使用人の中でもかなり上位に所属する。

 彼らの領分に踏み込むのは令嬢たる私でもあまり上品とは言えないのだけど、


「新顔をここに連れてきなさい」


 あの時、プレシアを紹介したときも料理長は下拵えがあるからってその場にいなかったからね。潜むならここだろう。


「新顔、と言われましても……お嬢様からご紹介いただいた芋剥きの小姓ぐらいしか近々では雇い入れておりませんが。あの娘がなにか粗相でも?」

「そいつは小姓じゃないわ、貴族令嬢よ」


 動転して泡を食った料理長以下料理人たちに囲まれて、というかその中に隠れるようにしてやってきたのは、


「お久しぶりねフェリトリー男爵令嬢」

「ヒャイ! お、お久しぶりですアーチェ様……」


 あの時学園で着ていたボロに身を包んでキッチンの隅で芋の皮剥きをしていたという聖女プレシアである。


「それで? 立ち居振る舞いと読み書きの訓練から逃げ出していったい何をやっているのかしら? 貴方の仕事は芋の皮剥きではなくてよ?」

「それは、その、き、気分転換です!」

「外履きを隠して?」

「はぉっ! そ、それはですね、多分犬さんとかが咥えていったんだと思います!」

「……逞しいなぁ、この期に及んでまだ粘るかよ」


 ケイルが感心したように顎をさすってるけど、うん。よくやるわ。


「料理長、貴方の領分を騒がせてすまなかったわね」


 そう謝罪をするも、不審人物をキッチンに入れてしまった料理長は完全に青い顔だ。

 偉い人ってのは責任を取るためにいるからね。そのための長である事をお父様に仕える彼はよく分かっているようだ。


「申し訳御座いませんお嬢様。この娘、いや、この方がお嬢様の紹介だとサインまで提示したもので、疑いもせず……」


 そう料理長が頭を下げるが、そうか。

 万が一使用人にケチ付けられたら困る、と私が「困った時に提示しろ」って渡した直筆の入館証明をプレシアはそう使ったか。

 ……呆れて物も言えないわ。


「であれば私の管理不行き届きですね。料理長、貴方の長年の仕事ぶりとアンティマスク家への忠誠を私も高く評価しております。此度の騒動は全て私の責、貴方以下厨房員への罰などもっての外よ。ですので安心して職務に戻って頂戴」

「……! お嬢様のご厚情に感謝いたします。おい、そこの剥き終わった芋は全部捨てておけ!」


 そう料理長が配下に指示すると、


「そ、そんなもったいないこと! 私の芋、お芋さんをそんな、せめて私に下さい! 料理しますから!」


 プレシアが涙を流して(ガチの男泣きだ。女だけど)懇願し始める。

 こ、この女は……貴族なら、いや人として少しは空気読まんかい。空気読まなくてすむのは島津兵だけだぞ。


「……すまないけどそこの剥き終わった芋は水桶にでも漬けといて。あとで回収します」

「は。全員、念のため器具と残る食材の確認だ! 新入り、じゃなかった令嬢が触れてそうな物は全て熱湯消毒するか処分しろ!」


 いや本当、料理長以下キッチンのみんなの仕事を増やして申し訳なさマシマシよ。


「料理長、今日の食事は簡単で構わないわ。被害総額は計上して私宛で。後で私費から補填します」

「重ね重ねの温情、感謝いたします。さあキリキリ始めろ! これ以上お嬢様の信頼を裏切るなよ!」

『はい!』


 慌ただしく動き出すキッチンにて踵を返し、私、ケイル、アイズ、メイに四方を囲まれたプレシアを伴って談話室へと移動する。

 さて、どこから絞ったものか……頭の痛い案件が多すぎて目眩がしてくるわ。


「プレシア」

「ヒャイ!」

「色々言いたいことはあるけれど、貴族が他家のキッチンに入っては駄目。それをやる第一にして最大の理由が毒殺目的だから。あの状況だと貴方、アイズに斬られて打首獄門されても文句言えないのよ」

「そ、そんなぁ! 私毒なんて持ってないですよぉ!」


 まあ、普通の庶民は持ってないわな、なんて考えるのは甘い。

 庭に生えてる水仙なんてあれ根から葉っぱまで全てが毒だからね。


「それは知ってるし、貴方が毒殺とかする人じゃないこともわかってる。だけど貴方がどうか、じゃなくて周囲がどう主張するか、が貴族社会では重要なの」


 キノコも大半は毒性を示すし、毒なんて物は普通の生活範囲でいくらでも手に入れられるのだ。

 毒を持ってないは何の言い訳にもならない。でも今はそれを言っても意味が無いから割愛だ。


「ケイルも最初は散々だったから、庶民が貴族に行動を矯正されるのが苦痛なのは私にも分かるし、出て行きたければ出て行っても構わないけど。次の家で同じことはしないようにね。本当に殺されるわよ」


 行きたければ行け、と扉を指さすと、流石にプレシアが申し訳なさげに肩をすぼめて小さくなる。


「す、すみません。ただほんの少し息抜きがしたかっただけで……」


 まあ、ここを本気で出て行くつもりはないってことは、厨房というこの家の一部に逃げ込んだことからも分かってるけど。


「……良くして貰ってるし、甘えていることもわかってるんですけど。そんな、こんな大事になるなんて私、知らなくて……」


 ……まあそうだわな。庶民は毒殺の心配なんて先ず念頭に置いて行動しないし。

 アイズやケイルと違って、この子はそういう貴族的思考を身につける教育を一切されてないんだから、ここで怒る方が理不尽なのよね。

 しくじったのは私のほう、か。学園生活に早く馴染めるよう知識より立ち居振る舞いを優先した私の判断ミスだわ。


「そうね、知らないことを怒るのは愚か者のやることだわ。厨房に無断で入ったことは不問とします。次、気をつけてね」

「はい、すみませんでした」


 ペコリとプレシアが頭を下げて粛々と反省の意を示すが――馬鹿め、頭下げれば見えないと思ってるな? 唇が動いているぞ。


「でもまあ立ち居振る舞いの練習から逃げたことは知らないことでは無いからね? 逃げ切れると思わないように」

「ヒャイ!?」


 どうやら上手く収めたと思っていたらしいが笑わせる、貴様の浅知恵など最初からお見通しよ。




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