■ 48 ■ フェリトリー許すまじ Ⅱ
「……貴族令嬢が……一人暮らし? 侍従は男爵家ならいないとしても、使用人や、調理人は?」
「いません、一人も」
全く想定していなかった回答に、思わず私もまた完璧な貴族面をつい引っ剥がしてしまった。
冗談だろ、とプレシアの顔を凝視するも、どこか諦めたような顔でプレシアが軽く足元の芝を蹴る。
「庶民上がりの娘一人の世話のために人を残す余裕はないと、全員夏の館に戻りました。なので冬の館には私しかいません……あの、アーチェ様、大丈夫ですか?」
「なにが」
「その、爪が、手の平に食い込んで血が出てます、けど……」
え、あ、そう。私そんなに固く拳を握りしめてたんだ。怒りで痛みとか全然覚えないよ。
今現在に限って言えばこの殺意はお父様に向けるそれを完全に越えた。
誇っていいわよベティーズ・フェリトリー。貴様は推しを生かすのが全ての我が最優先事項を瞬間的にとは言え書き換えたのだから。
「……今から言うことは秘密にして欲しいのだけど、良いかしらプレシア」
「え、は、はい?」
大きく息を吸い込んで、深呼吸して、
「この盆暗ァ!! テメェ物の価値も分からぬ暗愚が! ダイヤの原石をドブに棄てるような、人の育て方も分からないクソパワハラ老害が!! 貴様のような無能がふんぞり返って椅子に、座って、いるから! 社会がよくならないんだろうが! お前は私が絶対に否定してやる! せいぜい首を洗ってその日を待っていろ! 絶対に許さないからなぁアアアアッ!!」
天に向かって大声で叫ぶと、はぁ、ようやく脳みそが少しだけ動くようになってきた。
叫びすぎて少し乱れた呼吸を整えるために再び深呼吸。
吸って、吐いて、ふぅ、もう大丈夫。何時ものアーチェ・アンティマスクに戻れた筈だ。
「みっともないところを見せてしまったわね」
ニコリとプレシアに笑いかけると、
「は、はひ……あ、そ、そうだ、手、手治しますね!」
怯えたようにプレシアが再びガクガクと首を縦に振るだけの小動物と化してしまった。
まあいいさ。
「随分と苦労したのね、プレシア。でもここから先は大丈夫。私が貴方を支えるわ、だってお友達なんですものね?」
「ヒャイ! あ、ありがとうございます!?」
「ええ、だから一緒にベティーズ・フェリトリー男爵とかいう物の道理も分からぬ暗愚を蹴落としましょう」
「はい! ……え?」
後半は疑問符付きだったけど前半の勢いが良かったので聞かなかった事にしておこう。
「いい返事よ。そのような暗愚が領主をやっているとなると民が可哀相だもの。立派な貴族になった貴方がその暗愚を追い落として土地と民に平穏と安寧をもたらすのよ。それが貴き者の責務というものです」
貴方もう貴族なんですよ、と指摘してやると、
「あ、いや、私そこまでは考えてなくて、ちょっと聖属性とやらで小銭稼いで、日々の食事に一皿追加できればなぁ……って、ダメ、ですかね」
プレシアが露骨に逃げに走ろうとする。
まあだいたい予想はできてた。こいつがかなりのチキンだってのはこれまでの会話で分かってたからね。
だけど貴族社会でチキンでいてはいけないのだ。逃げるは恥だし役にも立たないのが社交界という修羅場なのだから。
「フェリトリー男爵令嬢?」
そうプレシアの肩を掴んでニッコリ笑うと、
「はい……ダメ、なんですね……」
蛇に睨まれた蛙みたいな顔でプレシアが力無く笑う。
うーん、ここはちゃんと言っておいた方がいいところかな。
「仮にフェリトリー男爵が税収を抑えているが故に貧しているのであれば何も問題はありません。フェリトリー男爵令嬢、貴方の目から見てフェリトリー領の民の生活は平穏でしたか?」
「……いえ、多分皆して日々の食事に一皿追加できればなぁって思ってます」
だろうね。民のために苦しむ貴族なんてのはこのアルヴィオス王国にはおらんよ。
だって皆そういう教育受けてんだもん。貴き我ら貴族こそが羊飼いとして蒙昧な羊を飼わねばならぬ。それが貴族の基本的思考だ。
羊のために羊飼いが苦しむ理由はない。そんなことをするのは行き過ぎた動物愛護主義者ぐらいのものだ。
「ならば既にフェリトリー家の一員である貴方は民から恨まれる存在よ。何かしら手を打たなければ、暴徒と化した民に襲われる可能性すらある」
「そ、そんな……だって私これから貴族として生きろって言われただけの平民なのに……」
そして極限まで飢えれば羊だって羊飼いに襲いかかるさ。飢えた獣に知性を求めるのは馬鹿のやることだ。
「貴方にすべてを捨てる覚悟があればまた話は違ってくるわ。今の身分、家、友人を全て諦め、男爵の追っ手から逃れるために可能なら国外へ。最低限それくらいはやる覚悟がない限りはこのまま貴族として生きていくしかないでしょうね」
「……母さんをフェリトリー領に残して、ですか」
ああ、プレシアはまだ母親は健在なのね。
「残して逃げたほうが成功率は上がるだろうけど、連れて行ってもいいわ。二人ぶんの生活費を賄えるだけの貯えないしは技術が貴方にあるのなら。ね」
「……そんなの、ありません。だって私、そこら辺に転がってる芋でしかないのに……」
「心配しなくても聖属性は引く手数多よ。聖属性は儲かる、それだけはフェリトリー男爵の仰る通りだもの。貴方が稼げるようになるまでは私が支援するから、そう悲観することもないわ」
そう告げると、プレシアが僅かに疑うような視線をこちらに向けてくる。
「あの、アーチェ様はどうして今日会ったばかりの私の手助けをしてくれるんでしょうか?」
それね、そればっかりは気になるわよね。まあ貴方に魔王を倒して欲しいからなんだけど、それ今言ったらこいつ絶対逃げるわ。うん。
……そう考えると私、今からこの子を対魔王戦っていう地獄に叩き落とそうとしてるのよね。
またしても自分のやることに嫌気がさしてくるけど、聖女と聖女に選ばれた剣の勇者なしに魔王を倒せる未来を私は知らない。
アルヴィオス王国の全戦力を動員できれば、あるいは聖女抜きでも魔王を倒せるのだろうか。
分からない。分からないけど……そんな保証なんてどこにもないから、ならば私はこうするしかない。
推しと数多の国民の命を救うために、聖女に棘の道を歩かせるしかない。
聖女の元に、剣の勇者候補たるプレイアブルキャラを集める。その為に私はこの八年間を生きてきたのだから。
「私のお姉様は立場上、多少ではあるけれど学園の治安を維持する責任を担ってるの。だから不審人物への対応は配下である私の仕事ってこと」
露骨に不審人物扱いされたプレシアが引きつった笑みを浮かべるけど、王城の敷地内で貧民の装いは完全に不審人物だからね。
「後はまあ、今後私が大怪我したら聖属性で癒してもらえるかもって打算もあるわね。それくらいは友人に期待してもよいのでしょう?」
そう分かりやすい理由を微笑と共に投げかけると、それなら理解できるとばかりにプレシアも苦笑する。
「それは、はい。助けて貰えるなら傷くらいいくらでも治します!」
「ん、私にとっての理由はその二つね。それをお願いできるならそれ以上は求めません。貴方の自由にするといいわ」
ガチガチの庶民であることは流石に想定していなかったけど、ニコリと微笑んだ聖女の笑みは可愛いかったし。
お姉様との因縁も回避できたみたいだし、まあ何とかなるだろう。
「じゃ、早速行きましょうか」
聖女の手を取って歩き出すと、慌てて小走りで動き出したプレシアが、
「アーチェ様。校舎逆ですよ? あ、もしかして方向音痴ですか?」
物怖じせずのその態度は実に結構、嫌いじゃないわ。私たち上手く付き合っていけそうね。
「馬鹿ね、服を買いに行くに決まってるでしょ? 先ずは外見だけでも不審人物から卒業しないと」
「え……午後の授業は?」
「そんなの後。優先度は最低よ」
そんな不良みたいな事、とばかりにプレシアが驚くけど、まぁ、気持ちは分からんでもない。
私だって小中学生の頃は授業をサボるのは不良のやる事って思ってたもん。重要なのは知識を身につけることであって、授業を欠席しないことじゃないのにね。
でも学則を破るのは学生にしか許されない果実だからね。精々味わっておくべきなんだよ。
だって社会人になって社則を破ると懲罰とか解職だもんね。学生ならノーリスクだ。こんな美味しい話があるかい。
「そもそもそんな装いで貴方、自分から笑われに行くつもり? 自傷行為はオススメしないわよ」
「さっきまでアーチェ様が散々やってたような、じゃなくて! 私、服を買うお金なんて……」
「私が貸します。出世払いでいいわ」
最近はお姉様とルイセントがそこそこ上手くやっているようで、私とルジェには写真代の一部が転がり込んでくる。
おかげでボロ儲けって程じゃないけど私個人の活動費位は捻出できるようになっているのだ。
そんなわけでアーチェ銀行は利子ゼロ%の優良銀行、プレシアも喜ぶがいいと思ったけど――こいつ今頭の中で「奢りじゃないんですか?」って考えたわね。
そして自分の表情が読まれたことを悟ったらしいプレシアが「ヒァ!」と情けない悲鳴を上げる……だったら考えるなよ、そんなこと。
「い、いいです、借金するくらいならこのままでいいですよぉ」
「そしてまた自分を貶してきた誰かに殴りかかるのね」
「……」
フハハ、貴族の自覚もない駆け出しがお父様と散々渡り合ったこの私に勝てるわけがなかろうに。
そんなわけで午後はプレシアを連れて呉服店巡りだよ。男爵家ならオーダーじゃなくてレディメイドでも許されるのが利点だよね。
逆に服装に凝りすぎるとザコの分際で生意気な、って思われるし。はー、格差社会格差社会。
なお、買い物の内容については割愛する。普通乙女のショッピングは重点的に描写するんだろうけど、私の物語にそれは不要だ。
だって私もプレシアも役に立たなくて、だいたいメイの意見で決めただけだからね。
そもそも下着一枚でゲームに明け暮れてた元クソOLとド庶民であるプレシアにセンスとか求めるのは間違いなのだ。
ガンガン積み重なっていく服と肌着と靴、そして消えていく銀貨にプレシアは完全に青ざめていたけど、これが正しい貴族令嬢のあるべき姿である。早く慣れて欲しいものだよ。
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