■ 48 ■ フェリトリー許すまじ Ⅰ
もう十分お姉様たちがいる中庭から距離を取っただろうというところで、エアプレーンスピン。
プレシアを背中に担いだままぐるぐると大回転して平衡感覚を失わせた後に、
「どっせい!」
背中から倒れるようにしてプレシアを芝生の上に叩き付けてダウンを奪う。
そのままもがくプレシアの上に馬乗りになって、
「ざあ、お話をじまじょうが」
ニコリと貴族的微笑を浮かべると、どうやらようやく己が貴族令嬢でありながら暴力行為に走ったという事実に思い当たったらしい。
下のプレシアが涙を零しながらガクガクと首を上下に振ってみせたのでいったんマウントを解いて立ち上がるとうん? なんか息苦しいぞ。
あ、鼻が詰まってるのね。格闘技漫画よろしく片手で片鼻を押さえてフンッと鼻から息を吐くと、固まりかけた血塊が鼻から飛び出して芝生を赤く染める。
それを目にした起き上がりかけのプレシアが、
「ヒッ!」
ちょっと間の抜けた悲鳴を上げて立ち上がりもせず逆四つん這いのまま背後へと逃げようとする。逃げんなこらぁ!
「何よ、人を化物でも見るような目で見て。庶民の生活なんてこんなもんでしょ?」
「お嬢様は庶民を蛮族か何かと勘違いしてはおりませんか? この方はお嬢様のその御尊顔に怯えているのですよ」
プレシアという荷物もないので余裕で私に追従してこれたメイがハンカチで私の顔を拭うと、おおう。ハンカチが真っ赤に染まっている。
そっかー、私さっきまで鼻から下が真っ赤に染まったまま話してたのかー。そりゃあ怖い? のか? でも聖女なら怪我の治療で血なんて見慣れてるんじゃないの?
ま、いっか。先ずはプレシアと話をするのが先決だ。
しかしこうまで怯えてしまっているのはどうしたものか、うーん、古典的だがあの手を使うか。
怯え竦むプレシアの一歩前に歩み出て膝を折って屈み、
「お初にお目にかかります。アンティマスク伯爵グリシアスが長女、アーチェ・アンティマスクと申します。以後お見知りおきを、
片膝を芝生についてプレシアの手を取り、その手の甲にそっと口付ける。
若干血のキスマークが残ったりしないか不安ではあったけど、どうやらメイが綺麗に拭いてくれたおかげで事なきを得たようだ。
「あ、えっと、プレシア――じゃなくってフェリトリー……あいつ男爵だっけ? ベティーズの長女、プレシア・フェリトリー、です」
そして唇に、じゃなくてもキスはある程度パニックを抑える役目を果たしてくれたようだ。流石は古今東西の切り札ね。
古典的と言われるのは効果があって多用されるから。これ常識ね。
そしてベティーズ・フェリトリー男爵か、覚えたぞその名前。確かフェリトリー男爵領は王国南東、ワルトラントの国境近くにある小領地だったな。
テメーは私の血祭りリストに載せておいてやる。プレシアが剣の勇者の選定を拒んで国が滅びたら私の手でぶっ潰してやるからなコノヤロー。
何にせよ再び立ち上がってプレシアの手を両手で包み、しおらしくまずはごめんなさいだ。
「我が主の非礼な発言をどうかお許し下さいフェリトリー男爵令嬢。主はその、典型的な貴族令嬢で、服装や仕草から相手の身分を推し量ってしまいがちで。決してフェリトリー男爵令嬢を貶めるつもりはなかったのです」
「あ、いえ、私もその、カッとなってアーチェさ、じゃなくってアン、アンテ――?」
「アンティマスク」
「そうそれ! じゃないよ! アンティマスクさん、様をぶんなぐっ……拳を振るっちゃ……ってしまい、ごめんなさい許して下さい!」
ガバッと頭を下げたプレシアが次いで私が握っていない方の手を私の鼻先へと伸ばすと、そこから銀色の光があふれ出して疼いていた鼻の鈍痛があっという間に消え去った。
疑いようのない聖属性の発露、やっぱりこの子が聖女プレシアだ。
「それでは痛み分け、ということで許して頂けますか?」
「許して頂くもなにも殴っちゃったのはこっちで……あの、今治したから打首だけは許して欲しいな、なんて……アハハ」
……うん、この子、自分が貴族だって自覚無いわね。全身からお貴族様に暴力振るっちゃったヤッベェエエエって雰囲気と脂汗が漏れ出してるもん。
愛想笑いから何とかして貴族のご機嫌を伺おうという媚びへつらいが見え透いてて、いっそ哀れにすら思えてくる。
「勿論、フェリトリー男爵令嬢がよろしければそのように。ただ袖振り合うも多生の縁、私としてはフェリトリー男爵令嬢と友誼を結べればと考えているのですが。プレシア様、とお呼びしても?」
「ヒャイ! よいです、いや結構です! じゃなくてはぉっ、お好きに呼んで下さい、でもお貴族様とゆうぎ、ゆうぎって何ですか!?」
「お友達になりたいなー」
「ヒャイ!? 結構です! いやいいです、駄目です、お貴族様とお友達なんて命が幾つあっても足らないと言うか死ぬ! 私まだ死にたくないよぉ!」
……うん、この子、自分が貴族だって自覚本っ当に無いわね。全身からお貴族様とお近づきとかヤダァアアアって雰囲気と脂汗が漏れ出してるもん。
しゃあねえ、ここは一つ貴族的なプレッシャーかけて力押しでいくか。
「では私のことも是非今後はアーチェと。プレシア様」
「ヒャイ!」
声と共にプレシアの手を握る両手にぎゅっと力を込めると、目に見えてプレシアがピンと背筋を伸ばし直す。
「プレシア様がこの先にも今のような応対を他の貴い方々に続けていると、近い未来に貴方は必ず市中引き回しの上打首獄門に処せられるでしょう」
「う、うちくびはわかるけど、ごくもん?」
「切り取った首を市中に晒すってことです」
「イヤァアアアア!」
おおう、忍者も真っ青の雄叫びですな。流石ガチ庶民。恥も外聞もあったものじゃないわね。アイエェエエエ!
「そこでの私です。私は伯爵家という中位貴族で上位貴族にも下位貴族にも対応できる高度な柔軟性を維持しております。私が間に入ることでプレシア様は上位下位全ての貴族と良好――は、私も派閥に属する身ですので難しいですが――無難な対応が可能となるでしょう。如何です?」
「えっと、ちょっと何言ってるか分かんないです」
「アッハイ。私と友達になって下されば今後面倒な連中の相手は私がやります」
「本当ですか!?」
パァッとプレシアが顔を輝かせるけど……おい、こいつ大丈夫か? フィッシング詐欺にさくっと引っかかるタイプだぞこれ。
フェリトリー男爵よぉ、お前本当になに考えてんだよ。下手すりゃこいつ、私ん家に引き抜くことすら可能だぞ? まあお父様の手駒が増えるだけだからやらないけどさ。
「ただし条件はございます。一つに貴族令嬢としての教育を受けて頂くこと、二つに聖属性魔術を無闇に使用しないことの二つが守られるならば、ですが」
後の世で聖女と謳われるプレシアである。前半はともかく、後半は同意して貰えないかと思いきや、
「ぜ、是非お願いします! 私、その、何がなんだか分かんなくて、どうすればいいか誰も何も教えてくれなくて……」
この聖女、尻尾が生えてたなら私に振ってみせるであろうレベルの従順さである。
ここでさ、この子の軽率さと迂闊さを責めて終われるなら話は簡単なんだけどさ。そういう単純な話じゃないのよね。
私もパワハラ上司から一つだけ学んだ事があるんだけどさ、世の中の人間ってのは『自分が受けた教育を他人も受けている』って前提でものを考えがちなのよね。
つまり自分の常識で世界を見定めている、ということだ。
だからここでこの子を迂闊だって笑うのほうがむしろ迂闊。馬鹿って言う方が馬鹿という世界の真理。
貴族に逆らうな、という常識の中で生きてきた子供が嘘と策略と嘲笑に満ち満ちた貴族社会に順応できる訳がない。
というかこの素直さからして早めに私が身柄を確保できて良かったわホント。
「お父上は? ああ、貴族としての父親であるフェリトリー男爵は貴方に何と言ってこの学園に入学させたのかしら」
「あ、はい、ええと。聖属性は金になるから稼いで家に金を入れろと」
うん、ここら辺はゲームの設定とほぼ同じだけど……
「他には? 例えば、ポーションの卸し先として誰を頼れとか、どこの派閥に入れとか」
「ポーション? はばつ、ってさっきも聞きましたが……それ、何ですか?」
「は?」
思わずぽかんと口を開けてしまったけど……は?
いや待て、どこの派閥に属するか指示してないのはまだいい。
しかしポーションを知らない? なんで? 聖属性で稼ぐっつったらポーション作って売りさばくのが基本だろ?
それなのにプレシアはポーションについての知識がない?
「お父上は……ポーションについて何も教えてくれてないの?」
「え、は、はい。稼いでフェリトリー家にお金を入れろとしか……」
「具体的な稼ぎ方の指示は?」
「……ないです」
あれ? 何だろうこれ、歯が痛い。急に奥歯が痛くなってきた。虫歯かな、これ。
「……あの、アーチェ様、大丈夫ですか?」
「なにが」
「歯、今すごい音立てて軋んでましたけど……」
……ああ、これ歯軋りの痛みだったのか。気が付かなかったわ。頭沸騰しててそれどころじゃなかったし。
殴りたい。今無性に私はベティーズ・フェリトリー男爵とやらの犬にも劣る畜生の首根っこを掴んで顔面に拳を叩き込みたくなってる。
「……服は、なら聖属性でお金稼いで自分で買えと言われたのね」
「は、はい。聖属性ならすぐに大金が稼げるようになるから、それまでは制服で凌げって。だから授業でお金の稼ぎ方教えてくれるのかと思ったら、そんなこともなくて。今日は、制服洗濯したから、羽織るものがなくて……」
それで今日は悪目立ちしちゃったと。
入学に際して買い与えたのは制服のオーバーコート一着だけ?
ふざけるなよ。庶民を養子に取ったなら寄ってたかって貴族に仕立て上げるのが周囲の大人の仕事だろ。ウチのクソお父様ですらアイズの教育に散々金かけたんだぞ。
「館の使用人は? その服装で登校する事に何も言わなかったの?」
「いません」
「はい?」
「私、一人暮らしですから」
「…………は?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます