■ EX11 ■ 閑話:アイズ・アンティマスク Ⅳ




 父親であるグリシアスから与えられた課題である、領属騎士団による次夏のアンティマスク伯領巡回計画を立て終えたアイズは、


「終わった、けど、これでいいんだろうか」


 自室のデスクにて、背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。

 特に理由もなく弛緩して天井の縞などをぼーっと眺めていると、


「さて、少なくとも出兵に必要な費用は問題ないと思うがね」


 ヒョイと視線の間に不埒な赤い瞳が飛び込んでくる。

 姉が己に付けた侍従であるケイル・ブリガンドは元々行商隊にいたというだけあって、馬での移動に必要なコストの計算には信頼が置ける。

 口は軽薄だが――恐らくはアーチェに軽蔑されたくないからだろう――仕事ぶりは真面目でアイズにも忠実なケイルがそう太鼓判を押すなら、そこに嘘はないのだろう。


「分かってるさ。そこはお前を信用してる。信用できないのは僕の想定した予算と、それで運用できる戦力で問題ないかの方だよ」


 去年や一昨年の、父グリシアスと領属騎士団長が実施した出兵及び出納記録は受け取っているし、巡回先が変わるとはいえそれを参考にして立てた計画だ。

 見本があるのだから問題ないとは思うのだが……素直にあの父が模倣をするだけですむ課題を出してくるとも思えない。


「多分、僕は何かに気付かなきゃいけないんだと思うが……それがなんなのかが分からない」

「思い込みじゃないのか? 弟君おとうとくんだってこれまで真面目に勉強はしてきただろうよ」


 ケイルの言う通り、グリシアスが付けた家庭教師ガヴァネスの受業は真面目に受けているし、師範と剣技や魔術の鍛錬も欠かしていない。

 指示された通りやることはやっているし、最初の茶会こそ姉を失望させてしまったものの、以降の冬の社交界ではそれ以上のボロは出しておらず、ある程度は上手くやれているはずだ。


 ただ相手の顔が見えないアイズなので、若干褒め言葉や会話に気を使う必要がある。

 もっともアイズは絵の教育も受けさせられているため、あとでケイルに特徴を聞いて似顔絵モンタージュを描くなど、素顔は見えないなりに容姿の把握には努めている。


 要するに、最近のアイズは失敗らしい失敗をしていないのである。だからこそグリシアスがそろそろ釘を刺したい頃だろうと思っているが、どんな釘かが分からない。あくまで釘を刺されるだけなので、刺して貰っても問題ないのだが――そこはアイズも男の子だ。「僕だってできるんですよ」みたいな格好付けたさはやはり胸中に存在するものだ。




 そんなふうに悩んでいるのが――やはり姉には一発で分かってしまうのだろう。


「浮かない顔ねアイズ、凛々しい顔が台無しよ?」


 夕食時、姉にあっさり見抜かれてしかし、姉に隠すべき言葉など二つしかアイズは持ってはいない。

 一つは視覚以外の五感で人を強く意識できている時は、人が人として見えるということ。そしてもう一つは――姉弟であるが故に伝える意味のないことだ。


「すみません姉さん、父上から頂いた課題の暫定解答が合っているか、いまいち自信がなかったもので」


 そう笑ってみせると、アーチェは安堵したようだった。多分、家の外の問題じゃないと分かってホッとしたのだろう。


「よかったら私にもどんな課題か教えてくれる? 男の子がどんな教育受けてるのかちょっと興味あるし」

「姉さんに隠し事はしたくないですが――僕が父上に出された課題ですし、姉さんに助言を貰っては拙いのでは?」

「お父様はこれはしちゃ駄目ってことは事前に必ずアイズに言っているわよ。逆に言えば言われてないことなら、それをアイズがやっても怒ったり失望したりする人では無いわ」


 そう姉に断言されると、確かにそれもそうかとアイズも思う。グリシアス・アンティマスクは理不尽な理由でアイズを打擲はおろか、罵詈雑言を投げることもない人格者だ。

 疑いなくアイズは庶民の出であるのに、アイズがこの家に来てから理不尽だと思ったことなど、最初の侍従ですったもんだした時ぐらいしかない。


「今春から今夏にかけての領属騎士団によるアンティマスク領の巡回です。自分なりに計画を立ててみろ、と」

「ああ、それは領主として大事なお役目ね。真っ当な課題で安心したわ」


 ただ、姉は実父のことをなんだと思ってるのか、時折胡散臭げに疑っているのがアイズには少し気にかかるが。


 夕食を終え、せっかく姉との語らいの機会でもあるので姉の部屋を訪れ、自分の立てた出兵計画を姉に提出したアイズではあったが、


――あ、駄目っぽいな。


 姉の表情は分からないが気配が変わったのに目敏く、いや肌敏くアイズは気がつけてしまった。

 相手の善悪しか目では見えないアイズではあるが、その分だけ肌感覚には磨きがかかってる。


「やはり問題がありますか? 姉さん」

「あー、アイズも問題あることは分かってるのね」


 どこかしらホッとしたような声音なのは、アイズの面子を潰さなくてすむ、とアーチェが考えたからだろう。

 実際のところアイズはグリシアスの性格を逆読みして、このままじゃ駄目なんだろう、と判断したのみだ。正直どこが駄目かはよく分かっていないのだが。


「アイズが分かっているなら安心だけど……あ、いやでも落とし穴は一つじゃないしなぁ」


 そう指摘されて思わずアイズの背筋がピンと伸びる。どうやら姉視点ではこのアイズの計画、二つ以上の穴が見えているということらしい。


「……助言を頂いてもよろしいですか?」


 迷わずアイズはそう口にした。姉に張る虚勢など、アイズは持ち合わせていない。

 それにアーチェは分からないところを隠すより明かす相手を信頼するタイプだ。故にここで躊躇う理由などアイズには無い。


「アイズ、貴方のそういう人の話を聞くことを恥だと思わない性格は立派だと思うわ。そのままの貴方でいてね」


 そして予想通り隠さず問うたアイズのその態度をアーチェは誉め称えた後、


「まず予算が足りないわ。これ、騎士団に被害が出ないこと前提で予算が組まれてるでしょ。要するに治療費や弔慰金が発生した場合、この試算額では火を噴くわ」


 姉が放った一言に、アイズは凍り付いた。己が傲慢を徹底的に指摘された心持ちである。

 そうだ、去年も一昨年も騎士団の巡回では戦闘らしい戦闘が起こらなかったから、治療費や弔慰金は不要だった。グリシアスから渡されたのは計画書ではなく出納記録だったから、そこに思い至れなかった。


 そして姉がそれを指摘してきたから、アイズはもう一つの見落としについて朧気ながら理解した。

 要するに、アイズの計画を一目見てアーチェは被害が出た時のことを考えた。つまりアイズの計画した兵力だと姉視点では死傷者が出る、と想定されたのだ。

 だが、何故姉はそう考えたのだろう、というアイズの疑問は問う前に姉に伝わったらしい。


「今夏、ウチの領地に隣接しているヒンダー子爵領で魔獣の異常増殖が観測された件は聞いている? ヒンダー子爵家は自領の魔獣は・・・・・・あらかた討伐したって社交界では自慢げに言っているけど」


 ヒンダー子爵家が上京に際し伴った護衛の領属騎士団数と、あとヒンダー子爵家のこの冬の社交界における出費が控えめであることから、どうやらかなりの痛手を被ったらしい、とアーチェは分析結果を口にする。


「これね、討伐した、というよりは何とか自領から追い払ったって感じらしいのよ。だからお父様は来春の巡回路を毎年恒例から変更したってわけ。最悪、この冬で繁殖した魔獣の群れとウチの領属騎士団が戦闘になるわ」


 アイズはようやく理解した。なるほど、社交界というのはこういうものなのかと。

 たとえ隣領に迷惑をかけることになっても、その事実を正直には話さない。自分の恥になるようなことは直接的には表現しない。

 だけど全く触れないでいれば自分たちが不義理と見捨てられるから、覚ってもらえるように情報を開示する。しかし面と向かっての失敗だけは断じて認めない。


 そういう世襲貴族たちの機微を、アイズはまだ読み取ることができなかった。

 だからこれまで通りの出兵計画を組んでしまった。そしてその計画は例年と同じだから、騎士の被害を想定していない。だからそのままだと弔慰金が必要になる可能性が高い。


 いずれ領主になるアイズは隣接する領地の貴族と茶会を交え、こういう話を引き出し、そこに込められている意図を理解せねばならなかった。

 しかしアイズはその事実を知らず、だからこれまで通りの出兵計画を組んでしまった。

 果たしてアイズに足りなかったのはアンテナの感度か、それとも茶会をこなした数か。はたまたその両方か。


「姉さんは、そういう情報をどこから……?」

「ん? 普通にヒンダー子爵家からよ――ああ、アイズ。別段親しくもない貴族がいきなり茶会を申し込んできたら、これは何かあると思って受けておきなさい。少なくとも隣接領地のお誘いはね。だいたいこういうことが隠れてるから」


 アイズは続けて理解した。グリシアスが指摘したかったのはそういう、茶会の席に自発的に参席して情報を集めようとしないアイズの後ろ向きさなのだろう。

 貴族になったら、好きとか嫌いとかは関係なく他家と関わりを持ち情報を集めなくてはならないということ。それがグリシアスの刺したかった釘なのだ。


 アイズに足りなかったのはどうやらアンテナの感度というより茶会の回数だったようだ。

 初回で姉を貶されたせいでアイズは不要と思われる茶会の誘いは断っていたが、そのせいで今回の情報を把握するに至れなかった。


 ヒンダー子爵家は面と向かっては言わないが、暗に事実をアンティマスク家へ伝える義務を怠るような愚は犯さなかった。

 だからヒンダー子爵家の招待を受けたグリシアスとアーチェは把握していて、茶会を断ったアイズだけがそれを知れなかったのだ。


「アイズは今冬が初の社交界だから、お父様もこのことでアイズを叱ったりはしない筈よ。ただ実例を明示して、だから茶会をおろそかにしては駄目、って印象づけたかったんだと思う。体感しないとこういうの、身につかないからね」


 要するにアイズはグリシアスに怪我しないよう転ぶことを望まれていた、ということだ。転んで初めて、転ばぬ先の杖のありがたみが理解できるのだから。

 姉が労るようにアイズの両手を手に取って、そっと己の手で包んでくれば、そのアイズにとっては太陽よりも眩しい姉の笑顔がアイズにも把握できるようになる。


「アイズは真面目だから失敗したって落ち込むかもしれないけど、何一つ知りもしないことを最初から完璧にできる人はいないわ。不用意に自分を責めないこと。いいわね?」


 父も姉も、己の味方をしてくれている。それが分かるから、アイズは大変でも弱音など吐く気は更々ない。


「元々平民だったアイズには分からないこと、学ぶことも多くて大変だろうけど――頑張ってね」

「――ありがとうございます姉さん。はい、努力します」


 姉の笑顔に嬉しさと、若干の照れくささを覚えて、アイズは少しだけ目を掏らす。

 アイズ・アンティマスクという存在を父も姉も求めてくれていると、それが実感できている自分は、幸せなのだろう。そう思いたいのに――




 改めてアイズの方からヒンダー子爵家嫡子に茶会を申し入れてその武勇伝を聞き、魔獣の規模を確認して動員数を三倍に増員、かつ医療費まで盛り込んで修正した巡回計画は、


「……問題はなさそうだな」


 グリシアスの目から見ても特に問題はなしと判断されたようだ。アイズはホッと胸を撫で下ろす。


「今回は姉に助けられたようだが、次期当主はお前で、アーチェはいずれ他家に嫁ぎこの家からいなくなる。それは忘れないようにしておけ」


 ただ、家の中で話していたことでもあるので、姉の力を借りたことに関しては釘を刺されてしまったが、これは仕方ないだろう。


「父上は、姉上を当主にしたいと思ったことはありませんか?」

「次期当主はお前だと言ったはずだが、アイズ・アンティマスク」


 そう静かに口にしたグリシアスだったが、


「はい、僕を救ってくれた父上を失望させないよう努力はしているつもりです。ですが父上、僕が知略で姉上を上回れるとはどうしても思えないのです。父上に感謝しているからこそ――嘘偽りは言いたくない」


 アイズが本気で悩んでいることを察したのだろう。ジェンドに珈琲を求めて計画書をアイズへと返す。


「あれは頭は良いが情に絆されすぎる。当主たるもの、時に嫌でも救う民と見捨てる民を定めねばならんが、あれにそれができるかどうか。あれはな、アイズ。貴族にしては不要なほどに優しすぎるのだ」


 そう言われればアイズも心当たりはある。姉は獣人の未来すら心配するほどのお人好しだ。

 見捨てるべきを見捨てることができるかは――仮にできても姉は大いに傷付くのだろう。


「アーチェの言葉を参考にするのはよいが鵜呑みにはするな。優しさで世が良くなるなら誰だって優しくなるはずだ。なぜお前の家族が殺されたのか、それを忘れるなアイズ」


 分かっている。アイズの家族は理不尽に奪われたのだ。アイズは優しくなかったから、だから家族を奪った連中を皆殺しにした。

 その冷酷さをグリシアスはアーチェの頭脳より買ったから、アイズを次期当主として据えたのだ。幾ら頭がよくても必要な行動ができぬなら無意味だ、と。


「理不尽には抗い、時に武力を以て処断せねばならん。次期当主であるお前はアンティマスク領の、私を除いた全ての住人を犠牲にして生きる権利がある――否、踏みつけにしてでも生き延びる義務があるのだ。それだけの金をかけて、お前を当主たるべく育てているのだからな。分かるな?」

「はい、姉上からも他人を殺してでも生きろ、と言われておりますし」

「……あれもその程度は弁えていたか」


 少し安堵したようにグリシアスは息を吐き、運ばれてきた珈琲に口をつける。


「そうだ。当主なき民など烏合の衆に過ぎん。民を適切に生かす知恵を持つ者は、民より優先して生き延びねばならん。それを忘れるなアイズ。お前はもう庶民より賢く、民を導かねばならない立場であるのだとな」

「はい、父上」

「宜しい、努力しろアイズ・アンティマスク。お前の判断が未来のアンティマスク領民を生かし、そして殺すのだからな」


 珈琲を頂いてからグリシアスの執務室を辞し、自室に戻ったアイズはベッドに身体を投げ出して大きく深呼吸をした。


「貴族ってのも楽じゃない、って言うのは贅沢なんだろうな、ケイル」


 斜に構えたこいつのことだ、皮肉が返ってくるとアイズは思っていたのだが、


「まあ、いきなりぶっ殺される可能性がないんだから庶民より楽なもんさ。でも楽でない部分があるのも事実だろうよ」


 ケイルが同意したのは僅かに意外だった。


「いずれにせよもう後には引けねぇんだ、愛しいお姉様の為に立派な貴族になるしかないだろ、弟様?」

「……そうだな、僕が優秀でなきゃ嫁ぎ先で姉さんが苦労する羽目になる」


 自分で口にしながらも、その言葉が想像以上に己が胸を苛むことにアイズは気が付いた。

 いつまでも姉に甘えていられるわけではないと、その事実に胸を締め付けられる。




 立派な貴族になっても、立派な当主になっても。

 その時アイズ・アンティマスクの隣りにいるのはアーチェ・アンティマスクではないのだ。



 ならばアイズ・アンティマスクはいったい何のために努力しなければならないのだろう。




「悩ましいな、生きるってのは悩みが多すぎる」

「そりゃあ死んじまったらそれ以上悩むことはできねぇからな。悩みが多いってのが生きている証拠だろ?」

「そんな修行僧みたいな人生は御免だよ」


 だが文句を言っても始まらない。何にせよアイズ・アンティマスクには未だアーチェに並び立つ程の知恵も知識もないのだから。


「一つづつ、積み上げていくしかないんだよな」


 何にせよ、知識が必要なのだ。この先もアイズ・アンティマスクがアーチェ・アンティマスクと共に歩んでいくためには。




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