■ 45 ■ 穏やかな日々にさよならを Ⅱ




 目の前にいるのは顔に腫れと青あざ作った、ブローチからして二年生の――成程、剣技の授業か部活で無様さらしてふて腐れぇの帰り道かしらね。

 若いっていいわね。久しぶりに年齢相応の子供っぽい子供の癇癪を見た気がするわ。庶民だった前世が懐かしい。


「これは失礼いたしました。私が笑ったのは世界の在り方を測ろうとする自分自身の傲慢さです。たまたまタイミングがあってしまっただけですわ」


 何にせよ貴族はナメられたら終わりだからね。相手の主張を認めるわけにはいかないので下手に出ることなくニコリと微笑。


「チクショウ、どいつもこいつも馬鹿にしたようなことを言いやがって!」


 しかしうーむ、相手はどこかの田舎騎士爵家だろうか。貴族ムーヴが一切通じてない。ほとんど庶民の反応よねこれ。

 下手したら拳骨飛んでくる可能性もあるかなこれは、と憂鬱になった視界が、突如として制服の背中にて覆い隠される。


「貴族令嬢に手を出したらお前の人生はお終いだぞ」

「……チッ、田舎騎士が紳士ぶりやがって」


 成程、どうやら別の学生が見かねて割り込んでくれたようで、なかなかどうして気骨のある学生もいるじゃないの。


 しかし王城の敷地内にある学園に入学する人員にも、あんなほぼほぼ庶民みたいなのがいるんだね。

 教育を疎かにした子供を学園に放り込んで問題起きると親まで破滅なんだけど……そういうの分かってない田舎貴族もいるってことか。


 ゲームでは聖女プレシア周りのことしか描写されてなかったからなぁ。お姉様に手を出してルイセントに破滅させられる学生も少なくないかもねこれは。

 何にせよ庶民ボーイは背中の君の圧に負けて足早に立ち去ったようで、一安心かな。


「……アホか、手を出していい相手かどうかぐらい服見りゃ分かるだろ」


 めっちゃ小声で呟いたこの背中の君はどうやら心得ているらしいけど……それ声に出しちゃってあまつさえ私に聞かれるのもどうかと思うよ。

 まあ何にせよ助けてもらったんだからそこは感謝だけどね。


 身を翻し、


「お怪我はありませんか? レディ」


 ギリギリ優雅にしていいか、いや駄目だろうぐらいの一礼の後に上げられたる面の、その顔は――


 私はこの青年を知っている。

 いや、このまなざしと顔立ちを知っている。


 収まりの悪い黒髪に、立派な体躯。校章のブローチは二年生を示す赤色。

 鳶色の瞳は穏やかで鋭くも珍しくもなく、全体的に控えめな容姿。


「……? どうしましたか? 何かお見苦しい、いや実際お見苦しい振る舞いをお見せしてしまいましたが……」


 そうじゃない。

 そうじゃないのよ。


 私の推し。私の生きがい。

 私が生かしたい、この世界に私が存在する理由の半分を占める人。


 ああ、本当に、


「存在した、本当に……」

「は? あの、いったいなにを……」


 ここまでずっと会えなかったから、もしかしたらいないんじゃないかとか、ゲームの常でもしかしたらもう死んでるんじゃないかとか考えてたけど。

 本当に、本当に存在した! 生きていてくれた! 推しの実在をようやく確認できた!


 ならば、私のやるべきことはただ一つだ!


「失礼いたしました。国王陛下よりアンティマスクの地を任されし王国の僕、アンティマスク伯爵グリシアスが長女、アーチェ・アンティマスクと申します。先程は危ない所をお助け頂けましたこと、厚く御礼申し上げます」


 そう優雅にカーテシーをすると、


「アンティマスク」


 推しが唇の動きだけでそう声無く呟いて精神的に一歩を引いたのが一目瞭然だった。

 明らかに触れてはいけない者に触れてしまったとでも言わんばかりの狼狽、動揺は――お父様、社交界で人望ないのね。


「我が恩人たる貴方、貴方のお名前を伺っても宜しいでしょうか」

「あ、いえ、伯爵家のご令嬢に名乗れるほどの家名は――」

「ようアル! こんな公衆の前面で幼女をナンパたぁ大胆だなぁ?」


 離脱態勢に入ろうとした推しの背中にいきなり飛び付いてヘッドバッドかましたのは、悪友かなんかだろうか。ゲームでは見たことがない、と思う。

 オールバックの茶髪に緑色の瞳。アルバートよりは印象に残りやすい面構え。

 人好きのする笑顔で推しの黒髪をかき回しているモブめ貴様そこを代われ――


 いや、代わらなくていい。私は端から愛でるタイプの腐女子だから。

 そのままイチャつき続けろ、目の保養になるから。


 推しを解放した乱入茶髪が一度私に視線をくれて、ヒュゥと口笛を吹いた。


「なんだ、まだ幼いけど中々のシャンじゃんか、早いうちに唾つけとこうってか?」

「こちらアンティマスク伯爵のお嬢様であるアーチェ様だ」


 推しの口からお父様の名が出た瞬間、


「アンティマスク伯」


 茶髪がスンッ、と姿勢を正して恭しく腰を折る。


「失礼しました。私アルバート・ストラグルと申します」


 すげえ、流れるように偽名使うかよコイツ。


「平然と俺の名を騙るなキール!」


 パッカーンと音がしそうな勢いで推しがアルバートを名乗る茶髪の頭をぶん殴れば、当然のように茶髪が歯茎を剥いて推しに食ってかかる。


「バッカお前てめぇ、俺がアンティマスク伯に目ぇつけられたらどうしてくれんだクソ野郎!」

「知るか! 勝手に干されてろ! このキールが、キール・クランツが大変失礼を働いたこと、キール・クランツに代わりお詫び申し上げますアーチェ様」

「わざとらしく俺の名前を連呼するなアルバート! アーチェ様、アーチェ様に狼藉を働こうとしたのも便所まで我慢できなくて木陰で立ちションしたのも女子の着替えを覗こうとしたのもすべてアルバート、アルバート・ストラグルです! こいつがやりました!」

「それ全部お前だろうが!」


 ……小学生かよこいつら。

 もう学園入学済みなんだから最低でも中学生ぐらいには振る舞えよオラァン?


「アルバート・ストラグル様とキール・クランツ様ですね」


 そう名前を呼ぶと二人がギクリとボケツッコミを止めて硬直する。

 

「やっべぇええホラお前のせいでアンティマスク様に名前憶えられちまったじゃねぇか失礼しましたアンティマスク様、悪いのはすべてアルバートですので、それでは!」

「あ、お前一人で逃げるな! すみませんアーチェ・アンティマスク伯爵令嬢、私もこれで失礼します! アンティマスク伯にはキールのことだけお伝え頂ければ!」

「汚ねぇぞお前!」

「先に一人で逃げたお前が言うか!」


 まさしく脱兎のごとくに逃げ出す男子二人は……本当にお馬鹿な男子学生ね。

 瑞々しい若さと生命力と将来への展望に満ちあふれた、ごく普通の学生に過ぎなくて。

 特別な点など何処にもなくて、本当に只の人でしかなくて、だから――


「楽しそうで何よりよ、私の推し」


 私の覚悟はこれで定まった。

 私の推しは脇役だけど、それでも自分の人生を生き生きと楽しんでいるって、それが分かったならば。


 もう迷うことなど何もない。

 貴方を聖女のパワーアップアイテムにはしない。時報だなんて呼ばせない。


 この現実では悪いけど、貴方には寿命で死んで貰うわよアルバート。

 この命に代えても、私が貴方を生かすから。


 だからせいぜいルイセントの代わりに聖女プレシア争奪戦にでも加わりなさいな。

 顔面偏差値的に他の四人に勝てるかは、まあ少しばかり怪しいけどね。




――――――――――――――――




「というわけで、せっかくですし私たちも記念撮影をしたいと思います」


 アンティマスク家冬の館にて、流行発信のためとお父様を説き伏せて家族写真を撮影する。

 撮影するのは館の使用人で、映るのは椅子に腰掛けた私、アイズ、お父様。

 その背後に立つメイとケイル、そしてお父様の筆頭侍従であるジェンドだ。


 長らくの露光時間をかけて撮影を終えると、


「これを広めたいならもう少し拘束時間を短くするべきだな」


 なんて偉そうに助言を下さったお父様が首や肩をまわしながらジェンドを伴って部屋を後にする。

 ま、お父様からすれば今の姿を後世に残したいなんて思考は時間の無駄以外の何物でもないものね。そこは理解できるよ。


「言いたいように言ってくれちゃって。実用レベルにするのに私とルジェがどれだけ苦労したと思ってるのよ」

「しかしお嬢様よ。こうも長く動かずにいろってのはやっぱりしんどいぜ」

「それはあんたの努力が足りないのよケイル。メイを見習いなさい」


 私が所属するミスティ陣営の新技術アピールにわざわざ付き合ってくれたのだ、と考えればお父様相手でも感謝の念すら浮かぶくらいだけど。


「何にせよ、撮れてよかったわ家族写真。ね、アイズ」

「はい、姉さん。これで部屋に飾る物ができましたし、記念としても申し分ないかと」


 本当にそう思う。私たち家族が一堂に会して写真撮影をするのはこれが最初で最後だろう。

 無駄なことはやりたくないお父様の事だから、既に一回やったことをどうしてもう一度やらなくてはいけないのかと考えるから。


 だから二枚目の写真を取るより先に、私とグリシアス・アンティマスクは対立することになる。

 だけど、悔しいけどアーチェ・アンティマスクに彼を家族と慕う心の一片も存在しないわけではないから。


 この、家族写真を撮れてよかった。

 次の家族写真に、この六人が欠けずに揃うことは絶対にあり得ないから。


 私が勝つにせよ、お父様が勝つにせよ。

 次の集合写真では、絶対に私かお父様、どちらかの姿が欠けているはずだから。




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