■ EX14 ■ 閑話:ダート Ⅳ
「……まあ、ここまで語ったのは国としての都合ね。一人の人としてはワルトラントもアルヴィオスもあまりにやることが冷酷だって思うし、何とかできればいいと思う。でも一体なにをやれば何とかできるのか、私にはさっぱり分からないのよ。特に貴方たちがどうすれば幸せになれるのかはね」
「ハッ。なんでアルヴィオス王国のお貴族様が俺たちの幸せなんか気にするんだ」
「最初に言ったでしょ。そうしないと殺し合いになるからよ」
はぁ、と溜息を吐きながら語る少女に、ダートは驚かされてばかりだ。気をつけていなければ目を瞠ってしまいそうにすらなる。
苦しんだり憎んだり、恨んだりする者がいなければ結果として荒れる者は減り、平和な社会になる。だから獣人の環境だろうと改善する。
至極真っ当だがそんな思考を、僅か十歳程度の子供が語るなど。それだけでも驚いたがこのアーチェという少女、
「予想だけど。いずれ、どこかの貴族が貴方たちフィクサーの誰かにこの話を持ちかけてくると思う」
「……俺たちの国を作る手助けをしてくれると?」
「国、って言える程の広い面積は無理よ。精々が自治区、どこかの貴族の土地を奪って実効支配しろって感じね。それはその話を持ちかけてくる貴族に敵対する輩の領地でしょう」
自分で説明している最中に、どうやらダートたちが効率よく排除される素晴らしいアルヴィオスの未来に気が付いたらしい。
「俺たちを利用して政敵を仕留めようってわけか。その対価に土地をくれてやると」
「多分そういう論法になるわ。多分示されるのは現実的な範囲だから――子爵家以上の土地は無理ね。男爵家が精一杯か。それでも今このスラムに生きる難民がギリギリ暮らしていく程度はできると思う、多少詰め込みにはなると思うけど」
「……元々そこに住んでいた人間は?」
「他の領地で受け入れることにする。獣人ならともかく人間なら受け入れに抵抗はないもの。その為に貴方たちに武器を渡して武装蜂起を促すだろうけど……これに乗ったが最後、貴方たちは一人残らず全滅するわ」
「俺たちでは御人間様の小領地すら落とせないと?」
「無理よ。だって蜂起した瞬間、この国全てが貴方たちの敵になるんだもの」
どういう意味か、とダートは問い終えるより早くに気が付いた。
最初にアーチェが説明したこととは完全に真逆に位置する思考。
スラムの生活が平穏であれば、獣人と敵対することもなくなるという、そのまさに正反対。
スラムの連中を敵に仕立て上げれば、所詮は子供の集団。大義名分と共に皆殺しにできるというあまりに悪辣な手段。
「かの土地は汚職に塗れた土地だ。我々とて何とかしたいのだが手の出しようがない。君たちがまともに領地を運営できるならその方がまだマシだし、君たちに土地を譲るよう貴族院での評議にかけようって、そう囁かれて貴方、抵抗できる? 成功すれば土地が手に入るかもしれないのよ。妹さんに安住の地を与えてあげたいとは思わないの?」
そう囁かれると、絡繰りが分かっているダートですら心が揺れてしまう。なにせダートの平穏にはタイムリミットがあるのだ。
成人した獣人は皆例外なくワルトラントへ送り返される。ダートは小柄だから大丈夫かもしれない。ルナーシアは一見人に見えるから回避できるかもしれない。
だがジョイスを初めとした、今ダートが面倒を見ている連中は別だ。
帰る場所があろうがなかろうが、強制的にワルトラントへ送り返されて――その先で何ができる? 伝手もない新成人など精々傭兵として使い潰されるのがオチで、死刑とどれだけの差があるというのか。
ならば、せめて可能性が僅かでもあるならそれに賭けたいと。あるいは、管理区域で自分たちを雑に扱った連中に一矢報いたいと。
そういう風に考えてしまう、藁にも縋る思いすら利用してダートたちを一掃するのだと。
「現時点では有効な解決策は思いつかない。だけどもっと情報を集められれば未来には何か思いつくかもしれない。貴方との伝手はその為の用意ね」
そして、アーチェは何故かそれの対策を一緒になって考えてくれるという。
回り回って再び、世の中を舐めきったクソのメスガキの思考に戻ってきて、しかし何故アーチェがそう考えるのかがダートには分からない。
「連絡の伝手は、私個人だけが分かるようにして欲しい。私とアイズ以外にはそれと分からないような手段、考えられる?」
「可能だとは思うが……お前、家族の、貴族家当主の力を借りないつもりか?」
「うちのお父様はアルヴィオスの貴族で、最も合理的な手段を何より好む性格なの。この意味は分かるわよね」
しかもアーチェが気が付いた手管はむしろアーチェの父が率先して行なうとすら考えているとのことで。
「……じゃあなんでお前はこんなことやってんだ」
その問いに対するアーチェの回答は静かにして、しかし苛烈だった。
「貴方は正しくないことが好きなの? もし貴方が見境なく人間を殺して奪った金で妹さんに薬を買ってあげるのが正義だって思うなら、迷わず私を手土産に私のお父様みたいな大人に渡りを付けて協力関係を構築なさい。それで貴方だけは幸せになれるわ」
脳裏に両親の顔が――もうダートには思い浮かべることはできない。あんな連中の顔はもう思い出す必要がなかったから。
でも、その行いだけは思い出せる。言われたことも思い出せる。
「貴方から見たら鼻くそ程度の危険かもしれないけどね、それでも私なりに命を懸けて今ここで貴方に予想を打ち明けているの」
ダートは愚かだった。今思えばダートは両親からシーリーを奪って、ルナーシアと三人でアルヴィオスを目指すべきだったのだ。
両親に反発していながら、シーリーかルナーシアのどちらかしか助けられないという思考誘導にまんまと引っかかり、ルナーシアのためにシーリーを使い潰した。
シーリーを殺してルナーシアの生存確率を上げたのには、紛れもなくダートも一枚噛んでいるのだ。両親の言葉を否定するだけで疑いはしなかったから。
その事実が、今でもダートの胸を焼いて焦している。あの時なぜ自分は両親の裏をかけなかったのかと。
分かってる。その理由は分かっている。
ダートが幼く、知恵がなく、要するに無力だったからだ。そしてそれは罪ではないこともダートは分かっている。賢くなく、大人に言いくるめられるのが子供なのだから。
だが、なら今は?
「私と手を組むか、それとも私を手土産にお父様へ恩を売って貴方たち二人だけでも安全を確保するか。答えを聞かせていただけないかしら?」
鼻くそ程度の危険? 何を馬鹿な。このアーチェはダートに自分の命を握らせてまで、ダートに危機を訴えてくれたのだ。
何故そこまでやる、やれるのか。その理由はもうダートにも分かっている。
後悔を、したくないからだ。
幼き頃の時分と違って、もうダートの世界は広がってしまった。何が正しくて何が間違っているかも自分なりに判断できている。
そういうふうに分かるようになってしまったからこそ、もう言い訳などできるはずもない。
――それで貴方だけは幸せになれるわ。
それではいけないと言ったのは、恨んでも恨みきれないあの母親だ。
しかしこの言葉だけはまさにその通りだった。シーリーを幸せにしてやれなかったから、今でもダートは苦しんでいるのだ。
自分に知恵が足りなかったから、ダートとユエを生かそうとする両親の
知恵を絞って、力の限り全力で抗って、自分が救いたい者を救おうとしなければ、今後もずっとダートは苦しみ続ける羽目になる。
アーチェが何故こんなことをやっているのかも、だから同じなのだ。
知恵を絞って、力の限り全力で抗って、自分が救いたい者を救おうとしなければ、ずっと苦しみ続ける羽目になるから。
そう分かった時、スッと胸の内に何かが降りてきたようにダートには思えた。
目の前にいるルナーシアよりちょっと大きい程度の小娘が、今やあの風使いの男よりも遙かにダートには大きく見える。
錯覚だ。分かっている。だがそう感じる理由もダートにはよく分かった。むしろ何故今まで気がつけなかったのか、と逆に今では不思議にすら思える。
――これが、器で負けるっていうことか。
この時初めてダートは自分の器を知ったのだ。
ダートの器はどうやっても獣人を生かすことだけで一杯になってしまうのだろう。
だがアーチェは、目の前にいるこの十歳程度の少女は違う。人間と獣人、その両方を生かそうとしてなお余りある。もっともっと、より広い世界の平穏を求めている。
何故自分にはエーゼルと相対した時に器で負けたと感じられなかったのか、その理由もまた理解できた。エーゼルがどれだけ優れていても、その思考はあくまで獣人の範囲に留まったからだ。
器自体の大きさは、ダートもエーゼルも大差が無かったからだ。
ダートは器を知った。で、あればこそ。
――――――――――――――――
「お頭、念のため聞きますが本気でこの案に乗るんですかい?」
ジョイスに尋ねられたダートは深々と頷いた。
アーチェ・アンティマスクが提案してきた、今後ダートたちが心安らかに暮らしていくための方法は――控えめに言って常軌を逸している。
ダートとてアーチェが提案してきたのでなければ「正気じゃない」と切って捨てただろう。だが、
「なら逆に聞こう。お前にはお前たちが成人して以降も平穏に暮らせる世界を作れるか?」
「それは――ですが、こいつは本当に大穴狙いの一本賭けですぜ」
「そうか? 外しても損はないだろ。そりゃ確かに何人かは事故で死ぬだろうが、今鉱山で死んでいる同胞たちの数と大差はない」
そうとも。確かに獣人たちは船に乗るなど、このアルヴィオスに来た一回だけしか経験がない。
それが水夫として働けば、何もかもが初めての経験だ。人間たちも危険な仕事を獣人に優先して割り振るだろうし、死者は確実に出るし、獣人の死者が出ても全く人間たちは気にも留めないだろう。
だが船を動かす技術は、アーチェが言ったように確かに役に立つ。
仮に最後の最後まで追い詰められても、人間の船を奪って新天地へ向かうという
「俺は間違ってるって、俺より器の大きい奴がそう否定してくれるなら俺も安心して死ねるからな。なんならお前が俺に取って代わっても構わん」
「俺ではお頭には敵わねぇことくらい分かっています。ですが……なら、お頭は」
「ああ。俺もようやく器を知った。どうやら俺の器はあいつの中に収まる程度でしかなかったらしい」
他人に言うのは恐らく初めてだろう。そうダートに明かされたジョイスは黙って目を瞬いた。
「年下の、しかも人間の女の下につく女々しい奴、と見限ってくれても構わんぞ」
「……いえ、俺もまた俺の器を信じていますので。俺はお頭、あんたの器に収まるべくして生まれてきたのだと」
「そうか。ならば、頼りにさせて貰おう」
そう言い切ったダートを見て、ジョイスは全ての反論を呑み込んで胃の腑の中で溶かしきった。
ジョイスから見て、明らかにダートの器は以前より大きくなっていたからだ。それもこれも全て、あのアーチェ・アンティマスク伯爵令嬢と出会ってからだ。
自分の命より大事なルナーシアをアーチェに預けると聞いた時のジョイスの内心は驚天動地していたが、ダートがアーチェの中に器を見たならもはや納得するしかない。
「貴族街にルナがいるウチに、俺たちでこのスラムを掌握する」
獰猛に笑うダートを見ていると、ジョイスも興奮に血が逸る。
単にダートは治療のためだけにルナーシアをアーチェに預けたのではない。それが己の脛だから、スラムの住人には逆立ちしても手が出せない場所に仕舞い込んだのだ。
「俺以外のどこにも、勝手に貴族が接触してくるような窓口など作らせない。全て俺の支配下において、破滅に至る道など敷かせるものかよ」
「その言葉をずっと待ってました、お頭。いよいよやるんですね」
そも、フィクサーが何人もいるこのスラム自体がワルトラントの悪い模倣なのだ。
ジョイスから見て、ダートの器ならスラムぐらいは制圧できてもおかしくはなかったのだが、ダートにとってはルナーシアの安全が全てだった。だが今なら、それは気にしなくていい。
「最終的にはこのアルヴィオス王国にいる獣人全てを配下に収める。アルヴィオス貴族のいいようになどはさせん。これはその最初の一歩だ」
そうとも。スラム一つ制することができなくてどうして難民たちを救えようか。
たとえ博打に近かろうとも、希望がようやく見えてきたのだ。ならば、立ち止まる理由がない。
「俺が必要だと言ったなアーチェ、ならばお前の望む全ての戦に付き合ってやろう。だから俺たちに未来を見せてみろ、洋々たる未来をな!」
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