■ EX14 ■ 閑話:ダート Ⅱ




 そうして、ダートはある晩にサイド子爵家の鉱山管理施設に忍び込んで地図と精錬済の銀塊を背嚢に入れると、


「じゃあ、行くぞ」

「うん」


 尻尾をズボンの中に隠し、帽子を目深に被り、背嚢を腹に負い、ルナーシアをその背に負って走りだした。

 なんにせよ、薬が必要だ。しかし薬はワルトラントでも高級品だった。

 であればそれを手に入れるには、人の多いところに行かねばならないだろう。


 サイド子爵家領都は危険だ。既にダートはサイド子爵家の財を盗んだ犯罪者である。見つかれば打ち首獄門ですんだらまだいい方だろう。

 であれば、もっと別の場所に向かうしかない。

 ダートが手に入れた地図は当然万能ではなく、必要な道と街しか描かれていなかったから、ダートが目指すのはそうなると消去法であと一つしか残らない。


 アルヴィオス王国首都、クリティシャス。


 地図に描かれているめぼしい都市で、人が集まると分かっているのはそこだけだから、ただひたすらに土神の加護で身体強化を施してダートは夜を駆けた。

 日が昇る前に隠れる場所を探して日中はそこにルナーシアを隠し、自分は食糧を探し、見つからない時には民家からも拝借する。


 ダートにとってははた迷惑極まりない、『獣人が住む土地は獣王国の国土』というワルトラントの主張のせいで、アルヴィオス王国内にいる未管理獣人は問答無用で殺処分、運がよければとっ捕まって管理区域へ戻される。

 よって警邏の騎士などに見つかりそうになれば土の中に身を潜めてやり過ごすなどを繰り返し、ついにダートは王都クリティシャスにまで辿り着いた。

 すぐさまスラム街へと移動して鼻をひくつかせれば、どうやらここには自分たちと同様、管理区域から逃げ出した獣人が屯しているようだ。これなら、紛れられる。


 普段見かけない顔のせいだろう。ダートに声をかけてくる者もいなくもなかったが、ルナーシアの皮膚炎と脱毛に襲われている姿を見ると誰もが離れていった。


「ごめんなさい、お兄ちゃん。やっぱり私お邪魔だよね」


 そうルナーシアは項垂れるが、ダートがそこで思ったのは「何だかんだでルナーシアの鉱山における人間関係は悪くなかったんだな」というもので、二人の感覚はズレにズレまくっていた。


「何言ってんだ馬鹿。お前を見て逃げていく奴は俺たちをカモろうとしていた奴だ。正直無駄な時間を取られず済んで助かってる」

「あ、そ、そうなんだ……?」


 病気が役に立ってると言われて喜んでいいやら、悲しんでいいやらのルナーシアと共にダートは適当な空き家へ潜り込み、土魔術で地面を隆起。

 そのまま壁と天井を拭うように地面を動かして、かき集めた埃を埋めてしまえばあっという間に室内の清掃は完了する。


「わ、お兄ちゃん凄い!」

「鉱山に比べれば土が柔いからな。この程度は朝飯前だ」


 もっとも床が土でない二階の清掃などはできないので、二階を使うなら手で清掃が必要になるが。

 そうして仮宿で一晩を明かしたダートは、


「おい新入り、一体誰の許可を得てブベッ!」


 テンプレでやってきたテンプレバリバリの雑魚を土魔術で取り巻きごと優しくブン殴って分からせてやった。

 ぶっちゃけ鉱山で鍛えているダートからすれば素手だって余裕なくらいだ。


 種として将来的にも永遠に小柄を約束されているダートの肉体はしかし、皮下に薄らと脂肪を残してあとは筋肉の塊である。

 実戦を想定した鍛錬もワルトラント時代に師範から受けているし、この程度のチンピラなんぞに負ける筈もない。


「顔役のところへ案内しろ」

「へ、へい! こっちです!」


 念のためにルナーシアを地中に埋め(無論空気穴は確保してある)、ダートが訪れた先にいるのも、やはり未成年の獣人だ。


 獣人の定住と繁殖を防ぐべく、成人した獣人はワルトラントに送り返す国策をアルヴィオスは進めている。

 どうやらこのスラムも未成年のみ目こぼししているだけで、成年は如何な手段を用いても排除されているのだろう。


「おぉ前さぁんが新入りかぁ。アールヴィィオスの魔術が使えるんだぁってぇ?」


 テーブルを挟んだ椅子に座るようダートに顎をしゃくった少年は、座高からするともうすぐ成人といったところだろうか。

 鼻先に角が生えた、これは――サイだ。サイの獣人はダートも初めて見る。ダートの四倍はあろうかという肉厚の肉体は硬い皮に包まれ、素手の殴り合いではダートも勝ち目がなさそうに見える。

 と、言うか獣度がダートの比でないほどに濃く、もうこれは二足歩行のサイと言った方が近いだろう。声が妙に間延びしているのも、声帯が動物に近いからか。


「で? 新入りぃ、お前はナニしたいぃ? 正直に言っても嘘吐いてもどぉっっちでもいいがなぁ」


 こういう場合にどうしたらいいかはダートも経験がなかったので正直に名を名乗り、病気に罹患した妹を助けるべくカランカス鉱山からここまでやってきたと告げると、


「おぉぉおあぁあぁぁぁっ、なんだよお前ぇいい奴じゃああああないかぁ、俺そういうのに弱ぇえええええんだよぉ」


 何故かサイの少年はさめざめと涙を流し始めて、ダートは「こいつ大丈夫か?」と心配になってしまう。

 ただ散々泣いたサイの少年はそれでスッキリとしたようで、


「で、幾ら出せるぅ?」


 涙を拭うといきなり真顔になって、ダートにそう尋ねてくる。

 言われるがままにダートが銀のインゴットを一つテーブルの上に置くと、


「足りねぇ足りねぇたぁりなぁいねぇ。それが最低でぇもあぁと九つは必要だぁ」


 話にならないとばかりにダートを睨め付けてくる。


「冗談だろ? そんなに高いのか」

「冗談かどうかはなぁ、ダァアアアアトよぉ。確かめる時間をやらぁ。納得したら買ぁいにきなぁ」


 帰れ、とばかりにシッシッと手を振られたダートはいったん仮宿へと戻るとルナーシアを魔術で掘り出し、己が盗み出したインゴットと睨めっこする。


「服、食事、生活用の桶や寝具、必要なものはいっぱいある」


 脱走用に重量を減らすため、鉱山から持ちだしたものは最低限だ。即ち予備の着替えと地図と銀塊だけである。

 持ち出せた銀塊は十二個。薬は買えなくもないだろうが――鉱山でポーションについては軽く鉱山管理者から話を聞いている。


「薬など飲ませても再発するのだから無駄」


 というのが管理官側の主張で、獣人の孤児のためなどに貴族でもホイホイは買えないポーションなど使えるか、ということらしかった。

 薬が高い、というのはサイド子爵家側もサイの少年も言っていたから事実なのだろう。しかも呑ませても再発するのではいたちごっこだ。

 だが、仮に再発するとしても一時的に体調がよくなるのであれば――少しの間でもいい。ルナーシアをダートは楽にしてやりたい。


「仕事が欲しい」

「いぃいいいぃぞぉ。強い奴はぁ役にたつかあぁらなぁ」


 だからサイの少年に従って、その日からダートは馬車馬のように働き始めた。




 他のフィクサーたちの兵隊をやり過ぎないように潰せ、と言われて実行し銀貨が二枚。


 指定された商人の荷を駄目にしてこい、と言われて銀貨が三枚。


 子供たちが内職した桶や籠などを商人に卸してこい、と言われて門前払いされて失敗。収入無し。


 土魔術での清掃を求められ、死体を二つ土中に埋めて行方不明にして銀貨が一枚。


 燻製小屋を使う順番を調整してこい、と言われて銅貨が五枚。


 ある騎士の経歴に泥を付けろ、と言われて夜襲を仕掛け、再起不能にならない程度にボコボコにして銀貨が一枚。


 商人からの依頼で、盗まれた美術品を取り返してこい、と言われて取り戻してきたら値下げ交渉が始まって銀貨が六枚。


 糸紬用の糸車を安く仕入れてこい、と言われて、初めて暴力を使わない交渉が成立して銀貨が一枚。


 子供たちが丹念に仕上げた木靴を商品として取り扱ってくれるよう、商人に卸しに行って無事契約を取り付け銀貨が六枚。


 指定した場所に井戸を掘ってこい、と言われて土魔術で井戸を掘り、金貨が一枚。


 ルナーシアのためのポーションを購入し、確かに一時的にはルナーシアは回復し、しかし鉱山連中が言っていたように全ては再び元の木阿弥。

 再びポーションを買うだけの金を貯め続ける生活がここで一年以上続いた、ある日。




「おめぇえええはよぉく働くよなぁああダァアアアトォ。仕事もえぇらばねぇぇしよぉお、ならあとはお前ぇえええがやれよぉ」

「……は?」


 いきなりサイの少年から手帳を投げ渡されたダートは狼狽えた。

 その手帳はこれまでサイの少年が手放すことなく、また誰にも見せることがなかったものだ。


 パラパラとダートが捲ってみれば、彼のこれまでの取引相手と取引の内容が網羅されていて、これは彼の生命線と言ってもよいものだろう。


「背負うんだよぉお、おめぇえええよりちぃせぇ連中の命をよぉお。男の背中ってのはよぉ、そぉの為に女の子のより広ぉくできてるんだぜぇ」

「な、何でだ? 何でいきなり丸投げなんだよ」

「もう時間がねぇええんだよぉお。ワァルトラァントに戻される前によぉおお? 心残りってぇのはさぁ、ほらぁ、払拭しとかなきゃああ気持ちわりぃだろぉ?」


 サイの少年は、いや。少年とはもう言うべきではないのだとダートは気が付いた。サイの新成人はそうダートに告げると、拳を鳴らしながら上着を脱ぎ捨て、スラムを大股で進んでいって――

 そして対立していたフィクサーの全身を拳で丹念に丁寧に叩き潰してぶち殺し、その配下から刃物で全身を滅多差しにされて息絶えた。


「……化物か、あいつ」


 聞いた話によると、彼は全身をくまなく切り刻まれつつも相手のボスを捕らえて放さず、足元からぺらっぺらの挽肉になるまで潰していったのだそうだ。

 それを聞かされたダートは、久しぶりに長らく忘れていた恐怖を思い出したような気がした。


 いろいろな意味で、ダートにとって彼は衝撃的な男だった。

 あまりに自由すぎて、奔放すぎて、なのに仕事は几帳面で手堅く、年齢の縛りがなければもっと自分のシマを広げられたはずで。

 ある意味師範以上にダートの人生を決定づけたのがこの男だったろう。


 これまで同僚だった、サイの少年配下で働いていた連中のリーダー格を集めて、ダートは宣言する。


「以後はこの一角をこのダートが引き継ぐ。異論がある奴は前に出ろ」


 前に出る獣人はいない。そも、彼の後を継げるだけの学があるものが、ダート以外にはいないのだ。

 そうして、ダートのスラムでのフィクサー生活が始まった。




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