■ EX14 ■ 閑話:ダート Ⅰ




 そうしてカランカス鉱山に送られたダートとユエではあったが、密入国管理官の思惑と違ってそう簡単にくたばったりはしなかった。


「あいつら適当な官僚仕事しやがって! なに考えて鉱山にこんな小さなガキ共を送ってきやがる!」


 カランカス鉱山は国営鉱山ではなく、サイド子爵家の領地にある難民受け入れ提携鉱山である。

 即ちその運営はサイド子爵家が行なっており、サイド子爵家側からすれば難民が生きるか死ぬかなんて正直どうでもいい。ただ採掘を進めたいだけなのだ。


 とても鉱山勤務に値しない、と判断されたユエは雑用として調理場に回され、


「とはいえ、働かせるしかないか……クソッ、死体の処理だって楽じゃないってのに」


 ダートは男子ということもあって鉱山勤務に回されたが、死神はどうやらダートに興味がないようであった。




 一年目。仕事を覚えるのが優先で、師範に鍛えられていたダートにはなんら辛いことはない。ただ最初からやせ細っていた子供たちは何人か死んだ。

 二年目。採掘は任されず、トロッコを押す仕事に従事。ダートにはなんら辛いことはない。ただ身体を鍛えていない子供たちは崩落に巻き込まれたりして結構死んだ。

 三年目。鉱山の水抜き担当として釣瓶係に従事する。ダートにはなんら辛いことはない。ただ高温高湿環境に耐えきれなかった子供たちが体調を崩して割と死んだ。


 四年目まで生き抜いた連中は採掘に回された。ここまで来れば一人前に働ける労働者である。サイド子爵家も使い潰す気はないし、適切に休憩も与えられる。

 完全に死に損なってしまったダートは休憩の合間に、炊事場で働く妹分の元へ顔を出す。


「あ、お兄ちゃん!」


 ユエ改め、現地の言葉からルナーシアと改名された娘がそう嬉しそうな声を上げて駆け寄ってくる。

 父が言ったとおり九歳になった今も五歳児程度の体格しかなく、未だ延々炊事場で働いているルナーシアもまた死神には好かれなかったようだ。


 正直、兄と呼ばれるのはかなり抵抗がある。ワルトラントの言語でそう呼ばれたら、お前は俺の妹じゃないとダートは全力で拒絶していただろう。

 聞き慣れていないアルヴィオスの言語だからこそ、そう呼ばれることを受け入れられた。兄という呼び方が、兄という意識に間接的にしか繋がらないからだ。


「こら、サボるなルナ。見張りに見つかると飯抜かれるぞ」

「はぁい……」


 とぼとぼと己から離れていくルナーシアを、ダートはぼうっと見つめている。

 実際、鉱山勤務として立派に働けるダートたちの飯はそうそう抜かれないが、雑用係はいくらでも代わりがいるので罰則が厳しめなのだ。


 だからダートが構ってやることはできないが、休憩時間中はずっとそうやってルナーシアのことを見て過ごすのはダートの思いやりである。

 そうやって遠巻きに見守っているだけでも、ルナーシアにとっては嬉しいのだそうだから。


――何やってんだろうな、俺は。


 自分でも何を考えているのかダートには分からない。あれは自分の妹の犠牲にして生き延びた他人でしかないというのに。

 恨むべき敵であるはずのルナーシアはしかし己のことを慕っていて、だからつい仏心を出してしまっていて。


 それに、娯楽なんて手製の双六程度しかない鉱山生活である。

 ルナーシアの成長を見守り相手をするのはある意味でダートの数少ない娯楽にもなっていて、そのせいで拒絶しづらいというのもある。


 ただ、その事実もまたダートを苛むのだ。家族を奪われたお前の怒りなどその程度か、と。

 ダートはシーリーのために怒ってやらねばならないはずだった。理不尽に殺されたシーリー、本当の妹。最愛の家族、だった筈なのに。


 生きるのに精一杯だったダートは次第に妹の顔も記憶の彼方に薄れてきてしまって、今のダートが思い出せるのはルナーシアの顔ばかりだ。

 許されていい筈がない、そんな侵略が許されていい筈がないのに。ダートは生きるために妥協して、ルナーシアを家族の代用品として可愛がっている。


 であれば、あの時抱いた怒りは何だったのか?

 怒ってやらねば哀れではないか。もう妹のために怒れるのは己だけだというのに、その己が生きるためと言い訳してこの怒りに蓋をしてしまっている。


 いや、蓋をしているだけならまだいい。この怒りの火は、確実に消えかかっている。それが自覚できてしまう。

 ダートが鉱山という過酷な環境で健全に生きるためには、こんな怒りで無駄に体力を使っている余裕がなかったから。ダートもまた己の都合で、妹を己の心から葬り去ろうとしてしまっている。


 許してはいけない。だが同時に熱も冷めてきたダートはもう、こうも考えられてしまう。

 では、「ルナーシアにいったいどんな罪があるのか?」と。


 ユエを生かしたのはあくまで周囲の大人だ。ユエ自身が生きたいと言ったからではない。

 シーリーを殺して自分を生かしてくれとユエ自身が訴えたのではない。両親が勝手にやったのだ。


 それを理由にルナーシアを恨むのは、どう考えたって理屈に合わない。ルナーシアを恨んで殺すことは、シーリーが己の咎によらず殺されたのと何も変わらない、ただの理不尽だ。

 ダートにはもうそれが分かるだけの常識と知性が身についてしまっている。だからルナーシアを捨てられない。


 だが、ならば理不尽に殺されたシーリーの恨みは誰が晴すのだと、そこでダートの思考はウロボロスを描いてしまう。

 ここから抜け出せる術をダートは持っていない。ダートが罪を押しつけられる罪人はもう皆死んでいるのだ。両親も、その主も。




 更に四年が経過し、ダートの鉱山生活も八年目へと突入した頃。

 俺はいつ死神に嫌われるようなことをしたんだっけ? と不思議に思うほどに健康なダートを余所に、謎の病気が広まっていった。


 食欲がなくなったり、貧血で眩暈を起こしたりと、一つ一つの症状は致命的ではない。だが過酷な鉱山労働では多少の体調不良が及ぼす効果は絶大だ。

 特に空腹の筈なのに食欲がないのは致命的で、それらは骨粗しょう症や体力不足からの病と、どんどん獣人たちが倒れていく。


 ダートはと言えばその頃は休憩時間に、鉱山に現れる獣を狩って食事に追加したりする程度には健康そのものだ。

 だが、


「ごめんなさい、お兄ちゃん……」

「別に倒れたのはお前一人じゃないから気にするな」


 ルナーシアもまたその病気に罹患したらしく、ただこの病気は即座に床から離れられなくなるような症状ではない。


「慈善事業じゃあないんだ! 働けぬものに食わせるメシはないぞ!」


 ダートはさておき、まだ七歳程度の肉体しか持たぬルナーシアには雑用以外に鉱山でできることはない。

 そして雑用程度ならいくらでも替わりはいるから、辛い身体を押してでも働かねば食事すら与えられない。


 どんな状況だろうとまず食事だけは絶対に断ってはいけない。

 だから食欲がないというルナーシアに、半ば無理矢理にだがダートは食事を食べさせる。口に突っ込んで、咀嚼して呑み込むまで絶対に吐き出させない。


 ルナーシアは嫌がったが、実際それはやはり効果があるようで、体調不良を訴える面々の中ではルナーシアはまだ軽症ですんでいるようだった。

 だが、快癒はしない。いつまで経ってもルナーシアは軽い眩暈と、次いで皮膚炎を発症し始める。こうなるともうダートにはできることは何もなくなってしまう。


 外見が変貌し始めたものは感染症を疑われる。いや、多くの者が不調を訴え始めている時点で疑われているのだが、見た目の影響というのは人の判断においてかなりの比重を占めるのだ。

 だからこそ皮膚炎や脱毛が始まったものは食事すら与えられず、隔離されて寝具もない場所に転がされ、そのまま死ぬのを待つだけになる。


「ごめんなさい、お兄ちゃん」


 ルナーシアは馬鹿みたいにそれを繰り返して、だからダートもまた同じことを馬鹿みたいに繰り返そうとして、


「お兄ちゃんの家族を奪ってしまって、だからバチが当たったんだね」


 ルナーシアが続けた言葉に、ダートは固まってしまった。


「お兄ちゃんからシーリーを奪ってしまってごめんなさい。お父さんとお母さんを奪ってしまってごめんなさい。ずっと足手纏いでごめんなさい。ずっと、謝りたかったの」


 その言葉で、どうやらあの時父と母の前で叫んだ言葉をユエはちゃんと理解して、覚えていたのだと今更ダートは気が付いたのだ。

 ユエは分かっていて、それでも何もダートに言わなかった。


「ずっと謝れなかった。言えば、もうお兄ちゃんをお兄ちゃんって呼べなくなっちゃうから。ズルいよね、私」


 ルナーシアに乾ききった笑顔で告げられてついに、ダートは延々と続いていたウロボロスの思考から逃れることができた。


「お兄ちゃんに捨てられるのが怖くて、ずっと黙ってたの。だから罰が当たったんだよ」


 この子に生きる希望を捨てさせているのは自分だ。

 死んだ方がいいのだ、罰を受けろと思わせているのは自分だ。

 何の罪も無い子を、自分の都合で死なせようとしているのが今のダートなのだ。


 そう、まるで両親がそうしたように。いや、それより遙かに酷い。

 両親はユエとダートを生かすためにシーリーを殺したが、ダートがルナーシアを殺すことは誰も、何も救いはしない。

 だから、


「逃げよう」

「え?」

「罰なんか当たるものか。お前はなにも悪いことなんかしてないんだから」


 そうとも。だからダートはルナーシアのみのためならず、己の為にもこの子を救わねばならない。


「妹の面倒を見なきゃ、って思えたからここまで生きてこれた。お前が俺に生きる意味を与えてくれたんだ」


 初めて妹、と口にすると、ルナーシアの見開かれた目に涙が滲んでくる。


「だからルナ、お前をこんなところでは死なせない」

「……お兄ちゃんは、私が妹でいいの?」

「お前が、こんなクズが兄でもいいと言ってくれるなら」


 お兄ちゃんがいい、とすすり泣きながらしがみ付いてきた妹の髪を撫でながら、ダートはこれからのことを考える。

 感傷は要らない。動揺も要らない。反省も、自虐も、器も何も、なにもいらない。


 必要なのはこれからどうやって妹を養っていくか。考えなきゃいけないのはそれだけだ。この鉱山労働では衣食住は保証されるが、賃金は貰えないのだから。

 金を手に入れて、薬を買って、妹の健康を取り戻す。それ以外の全ては何一つだって、ダートには必要ないのだから。




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