■ EX13 ■ 閑話:ダート・オーナリィ Ⅲ




 ただ、やはり未練や後悔はダートの内にある。

 父が追っ手を撃退して追ってくるのではないか、いや、追っ手など本当はいないのではないか。

 楽観であることは分かっている。一刻も早く馬を先に進めるべきだというのは分かっている。


――でも、敵がどれだけいて、どんな連中か知っておくことも役に立つはずだ。


 そうダートは自分を説得し、両親と妹が泊まった宿を遠くから見学できる位置に潜んだ。

 今日、先を促されたのならば、恐らく追っ手は今日父親たちに襲いかかる。その筈だ。


 だがダートが思っている以上に、この世界、あるいはワルトラント、もしくはダートの両親たちは残酷だった。

 ダートの家族が宿泊している宿場町の宿から火の手が上がった。外からの放火ではない。内側からの放火だ。


「は!? 火事かよ、よりにもよってこんな時に――」


 そうして、ダートは不幸にも気付いてしまった。気付けてしまった。

 これまでダートとシーリーが荷台に押し込まれ、ユエが馬上に乗せられて移動していたその本当の意味を。


 そうやって移動している限り、オーナリィ一家はすれ違う人、目に留った人たちからは大人二人、子供一人の旅に見えたはずだ。

 そして今、大人二人・・・・子供一人・・・・の宿泊客が炎に巻かれようとしている。

 当然、追っ手が近づいているだろう、追っ手の監視範囲内であろう状況で、だ。


「あ……ああ…………」


 ダートには分かってしまった。

 あの火を付けたのは両親のどちらかなのだ、と。


 即ち、「もう逃げられないと分かって、せめて自分たちの希望が敵の手に落ちないように」自決したと見せかけることが、二手に分かれた両親の目的だったのだ。

 最初から追っ手を始末してダートに合流する気など、あの両親には一切なかったのだ。


 要するに、シーリーはユエの身代わりとして・・・・・・・・・・・・・・・両親の手で殺された・・・・・・・・・ということだ。

 殺して、焼いてしまえばもう、容姿など分からなくなってしまうから、これ幸いにと。


 最初から、あの両親は追い詰められたらそうするつもりだった。ダートたちへ迫る追撃の手をここで何としても断つべく、そうするつもりだった。

 ユエの安全のために両親はシーリーを生け贄に捧げた――いや、幸運にも幼い娘がいたから、父親の主はオーナリィ一家にユエを預けたのだ。


「ふざ……けるなよ……」


 怒りが、ダートの全身を支配していた。


 両親に対する怒り。

 その主に対する怒り。

 追っ手に対する怒り。

 ワルトラントに対する怒り。

 そこまでしなければ救われない国に、本当に存在価値があるのか?


「おい、お前そこでなにをしている?」


 そうして、流石は追っ手として差し向けられた細作と言うべきか。

 ちょっと木陰に隠れていた程度のダートの偽装などあっさり見抜かれ、ダートとユエは黒服の連中に囲まれてしまうが、もうダートにはそれはどうでもいい存在でしかなかった。


「なるほど。親恋しさが脚を引きずったか」


 ダートの楽観、ないしは甘さがこの事態を招いたわけだが、もうダートにはそれはどうでもいいことでしかなかった。

 この国を利する? 何でそんなことをしてやらねばならない。

 ダートはもういよいようんざりしていたのだ。この国の利益になることなど、己がやってやる必要などないと。


 ここまでしなければ。

 自分の娘を自分の手で殺すまでしなければこの国は救われないというなら、こんな国はもう救われなくていい。


「お前たちの努力の結果は我々が引き継ごう。光栄に思うがいい」


 襲撃者の言葉に何を馬鹿な、とダートは笑った。

 もう、ワルトラントになど何一つとしてくれてやるものか。


 そんなダートの笑いに幸運にも、また襲撃者たちにとっては不幸なことに微笑んだ者がいて、


「か……ぺ……」


 大地が蠕動し、振動し、鋭い刃となってダートたちを取り囲んでいた連中を一人残らず貫き穿つ。


「なんだ、神様ってのはちゃんといるんだな。少しはこの世にも救いが持てるってもんだ」


 大地が蠕動し、振動し、もはや物言わぬ死体と成り果てた連中を内に抱いて平坦な地面を取り戻す。

 埋葬までやってくれるとはありがたい話だ。ダートは自分の怒りに応えてくれた神――恐らく土神だろう――に感謝の祈りを捧げる。


「行くぞユエ。こんな国、永遠に殺し合いを続けていればいい」


 伸ばされたユエの手を取って馬の背中に跨がらせると、ダートもまた飛び乗って馬を走らせる。

 そうとも、こんなしみったれた国からは一刻も早くおさらばだ。その為の準備は両親が雑嚢に収めてくれている。何も問題はあるまい。




 そうして、雑嚢の中に入っていた身銭で食いつなぎながら、ダートはユエを連れてクラスハー州を北上し、ついには大河リオロンゴへと辿り着く。

 ダート以外にも、戦禍を逃れた難民が数多そこを目指していたから、迷うことはなかった。


 密航船を操業している連中に、父が用意していた宝石を握らせて優先順位を上げる。

 それが雑嚢の一番そこに残されていた、最後の荷物だった。いや、正確にはダートへ宛てた手紙も一緒に入っていたが、読んですぐに燃やして灰を踏みにじった。

 それはもうダートにとって文字の羅列以外の意味を持たない、どうでもいい情報だったからだ。謝罪も、ユエの出自も、全てがダートにとって何一つ価値を持ちはしない。


「子供二人か。いいぜ、嵩も張らないしな」


 小さな子供二人運ぶだけで相場以上の収入とあって、密航業者はダートたちを優先してくれた。

 密入国者がアルヴィオスで生きていけるか否かは斡旋者にとって関係ないから、美味しい商売だ。


「訳ありか小僧。なら偽名でも考えておいた方がいいぞ」


 ユエを見て、人間だと思ったのか密航斡旋者はサービスとばかりにそう忠告してくれた。

 偽名か、なるほどとダートは頷いて感謝の意を述べる。アルヴィオス風の名前はパッとは思いつかないから、後でゆっくり考えればいい。


 そうして、闇に紛れてダートたちはリオロンゴ河の、もっとも川幅が狭くなっている部分を渡りアルヴィオス王国に入国した。


 密入国は本来許されることではないし、だからアルヴィオスとしても公にそれを認めてはいないし、受け入れているわけでもない。

 が、それはそれとして戦禍から逃れた女子供を無下に扱っては国際関係が面倒なことになる。


 そんなこともあって設置された密入国管理官はダートとユエを見て、


「幼すぎる。使い道がないなこれは」


 そう呟いて、二人の行き先に「カランカス鉱山」と記載する。

 密入国管理官の仕事は、難民を適切にアルヴィオス王国各地へ割り振ることであり、それ以降難民がどうなるかまでは知ったことではない。

 残酷なようだが、毎日数百人という難民を目にしてればもう、可哀相だという感情すら密入国管理官には湧いてこない。

 あるいは密入国管理官が抱いている感情は、ほぼダートと変わりないのかもしれなかった。


 即ち、「殺し合いを続けたいなら勝手にやれ、けど頼むから俺たちに迷惑をかけてくれるな」という怒りだ。


 行き先が鉱山と聞いてダートは笑った。どうやら自分たちは死ぬことを望まれているらしい、と。

 別に死ぬことが面白いわけではない。ただ、「そこまで行けば安全だ」と言っていた父があまりに愚かだったことはダートにとって最大の娯楽だった。


 だがその時、ダートは自分の在り方が奇妙に捻れていることに気が付いた。

 もう二度とダートはワルトラント獣王国を利する行動を取るつもりはないと誓った。だが、なら何故己はまだユエを殺さずにいるのだろうか、と。


 冷静に考えれば、こいつを処分してしまうことがもっとも手っ取り早い復讐になる。それは考えるまでもないことだ。

 だが、ここまでダートは一切そのような行動を取っていない。機会は、いくらでもあったはずなのに。


 いや、そもそも。


――何でまだ生きてるんだ? 俺。


 ダートにとっての幼少期は家を守るための教育と鍛錬が全てだった。

 そしてその家はもう失われ、残ったものは血の繋がらない小娘一人だ。


 ダートは既に、守るべきものも生きるべき意味も全て失ってしまった。生き続ける理由は何も残っていない。

 なら、あるいは死ぬことが怖いからか? 否。追撃者を始末したあの時からもう、ダートの恐怖など完全に麻痺してしまっている。


 だと、するなら。


――あの両親のようになりたくないから、か。皮肉だな。


 ユエの替わりにシーリーを生け贄に捧げた両親。

 罪も無い己の娘を手にかけた最低のクズたち。あれと同じにはなりたくないから、ダートにはユエが殺せないのかもしれない。

 あくまで、かもしれない、でしかないが。それがもっとも有力な説にダートには思えた。他の理由が見当たらないからだ。


「まあいい。死ぬまで生きるだけさ」


 少なくともここに、ダートとユエを狙い撃って殺したい連中はいない。

 であればあとは成るようになればいい。カランカス鉱山に向かう、難民ぎゅうぎゅう詰めの馬車の中でそう、ユエを抱きながらダートは他人事のように考えていた。




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