■ EX13 ■ 閑話:ダート・オーナリィ Ⅱ
クラスハー州を目前にしたコプフ州にて、
「追っ手が迫っているらしい。ここから先はダートだけが頼りだ」
荷車の御者席にいた父が、そう母に耳打ちしていたのがダートには聞こえてしまった。
やがて父親が意を決した顔でユエの手を取って、その小さな手をダートに握らせてくる。
「どうやらレヒトハン州からの追撃が来たらしい。俺が迎撃するからここで二手に分かれよう。ダートはユエのことを頼む」
父と母、そして妹のシーリーはこの先の宿場町で一夜を過ごすが、ダートとユエには先に行け、と父は言う。
「俺たちが後を追って来なかった場合、ダートはユエを連れてクラスハー州を北上し、密航船でアルヴィオスに渡れ。そこまで行けば安全だ」
これまでの旅の途中、一度も開いたことがなかった雑嚢を母がダートに押しつけてくる。
その間に父は二頭いる輓馬の一頭を軛から外して、その手綱をダートに握らせた。
「……残るなら父さん一人が足止めに残ればいいじゃないか」
ダートの物言いは残酷だが、事実でもある。足止め、迎撃をするというなら母親と妹は邪魔にしかならないだろう。その程度はダートにだって分かる。
「そういう事言わないの。私だって多少は剣を使えるし、それに馬が足りないわ」
母親がそう嗜めてくるように、確かにダートたち一家が現在持てる馬は二頭しかいない。
その馬で誰を逃がすか、という思考でメンバーを選定した結果が、ダートとユエで先に行く、という判断なのだ。
ここに来てようやく、ダートは父の密命が「ユエを逃がす」ことなのだと朧気ながらに理解できてしまった。
ずっとユエを馬に乗せてきたのも、それを前提とした訓練だったのだ。そのユエを真っ先に逃がすための同伴として、父はダートを選んだのだ。
他に選択肢がなかった、とも言えるだろう。
追っ手がいるならダートでは足止めはできないし、母や妹よりはダートの方が師範に鍛えられている。
ユエ一人逃がすのは論外だし、シーリーを付けても生き延びる役には立つまい。これが父にとって苦渋の決断だということは理解できた。
だが納得は常に理解とは別の話だ。
「ふざけるなよ。誰か一人逃がせってなら俺はシーリーを連れて行く。他人なんか知ったこっちゃない」
「我儘を言うんじゃないわ、ダート」
「どこが我儘だよ!」
母親にそう窘められれば、もうダートだって我慢などできるはずもない。
「器を知れば分かるとか、器を知るまで分からないとか都合の良いこと言って俺を都合よく動かそうとするな! 俺にとって大事なのは俺の家族だ、こいつじゃない! こいつが大事ならお前が連れて行けよ!」
父親にそう怒鳴りつけると、父親も自分が勝手を言っていることは自覚していたのだろう。そっと目を伏せてしまうがダートは止まらない。
「お前の主の器がどうか知らないがな、そんなのは俺には関係ない! お前の主の娘なんてそれは俺には関係ないことだ! そいつが大事なら俺たちを置いてお前が行け! お前の主の都合を俺に押しつけるなよ!」
「お兄ちゃん、そうやってわがまま言っちゃだめなんだよ!」
「我儘を言っているのはこいつの方だシーリー! 何も分かってないくせに偉そうなことを言うな!」
そうだ、妹は分かっていない。追っ手が来た、というのがどういうことなのかを。
まだ死というものが分かっていない妹に、この会話の本当の意味など分かるはずがないのだ。
「家族より主が大事なんだろう!? さあ行けよ! お前が行け! 俺が家族を守るために残る! お前とユエでどこにでも行くがいいさ!」
雑嚢と手綱を父親に突っ返すが、父親は石にでもなったかのように身動ぎ一つしない。
「どうした、早く行けよ! 時間がないんだろ! 行けよ、行けったら!」
「……父さんは、貴方に生きて欲しいのよ、ダート」
母親がそうポツリと零した言葉に、ダートはギクリと身動ぎする。
母を見、父を見、ユエは見ずにシーリーを見やれば、しかし再び怒りは再燃する。
「ならシーリーはどうなる! シーリーが死んでもいいってのか!?」
まだ、死というものを理解していない妹を、ならばこの両親は既に見切りを付けたということではないか。
だがそんなダートの叫びに、
「いいわけないでしょう! でも他にもう手段がないのよ!」
母親もまた鬼気迫る顔で叫びながらダートの肩を掴んでくるが、
「私とお父さんがどんな思いで貴方にユエを託しているか分からないの!? 分かるわけないわよね!」
「ああ分からないとも! 他人の子なんかを自分の娘より優先する奴のことなんか分かるもんかよ!」
それこそどうして分かるというのか。器とやらが決めたことが、主の娘がそんなに大事か? 自分の娘よりも?
「ダート」
「何だよ!」
「……その子を生かすことで、この先何千何万というワルトラント国民の命が助かるかもしれない、と言われてもお前は無視できるか?」
関係ない、と叫ぼうとして、しかしダートは師範の言葉を思い出す。
――王の器を持つものは未だワルトラント獣王国には現れない。狂獣王フィアの後を継ぐものは未だワルトラントに君臨しない。
馬鹿な、そんな馬鹿な。
なら、父は
「こいつの器は、そんなに大きいのかよ」
「いいや、この子は恐らく大成はしないだろう。だが血が残る。いずれ王器に届きうるかもしれない血が」
この子では届き得ない、と父はダートの言葉を否定した。
だが、次の世代なら届くかもしれない、それが駄目ならその次の世代が。
重要なのはワルトラントに君臨する獣王を生み出し国を一つに纏めることなのだ、と。
どの一族もそれを目指して群雄割拠を続けていて、そしてダートの父とその主らにとっての集大成が、この子であるのだと。
「ワルトラントに王を立てない限りこの内乱は終わらないのだ。内乱が終われば私たち家族のように土地を追われる者もいなくなる。私たちは、そんな未来が欲しかった」
父がそう項垂れる。自分と主は届かなかった。自分たちの代では王を立てられなかったと。
ならばせめて、次世代に王へ届きうる種を残してやりたいのだと。その為の種子がこの子なのだと。
狂獣王フィアを失ってからずっと、ワルトラントの民はそれぞれの手法で、次なる獣王を産み出そうと努力を重ねてきたのだと。それを絶やしては皆の努力が無駄になると。
「あと何回、あと何回私たちは州を奪って奪い返されてを繰り返せば、この国に王を立てられる。私たち家族のように家を失う者を払拭できるんだ。教えてくれダート」
「……そんなこと、俺に聞かれたって分かるもんか」
「ならば、今は信じてくれ。俺のことは信じなくていい。母さんの言うことを聞いてやってくれ、願いを聞いてやってくれ」
そう父親に頭を垂れられて、
「ダート、オスターム州を目指した一行は多分、もう皆死んでいるわ。あっちは囮だったのよ」
そう母親に告げられて、ダートは言葉を失った。
あの大集団が、丸ごと囮だと? ならばもうダートの父にとっての主も、もう――
「……誰もが次の王を求めて試行錯誤をしているなら、別に一つぐらい失われてもいいじゃないか」
父と母の言うことが本当なら、
そうダートは最後の抵抗を行なうが、母は首を悲しげに左右に振るのみだ。
「そうやって貴方は全てを他人任せにして生きていくの? 他人の努力に寄りかかって生きていくの?」
「俺は! 家族と一緒に暮らしたいだけだ! なのにどうしてそんなふうに責められなきゃいけないんだよ!?」
「新たに王が立つまでは、私たちのような家族が次々産み出されるだけの未来しか、この国にはないからよ」
母親にそう告げられても、ダートは理解できるが納得はできない。
母親が何を言いたいかは分かるのだ。
器を広げろ、愛情を広げろ。
誰もが自分の家だけを利さんと欲するから、争いは終わらないのだと。
だがそんな兼愛交利を説かれても、六歳のダートにそんなことが受け入れられるはずがない。
他人なんて、救いたいと思わない。ダートが救いたいのは母と妹だけだ。
でも誰もがそうやって家族だけを愛して他人を大事にしないから、この争いは終わらないのだという。
皆がお前のような考え方をして他人を大事にしないから、私たちのような家族が作り出されるのだと。
無情にも母はそうダートに言っているのだ。
「私たちの選択は、結局は無駄に終わるのかもしれない。でも何もしないまま死にたくない。無駄にだけはしたくないのよ」
「……」
「だからお願い、ダート。私たちの未来、いえ、ワルトラント獣王国の未来に繋がる希望を、どうか守ってあげて」
それが、ダートの人生における最初の選択となった。
それが逃げだったのか、押しつけられたのか、自分で選んだのか。正直ダートには分からなかった。
だがユエを前に乗せて馬を走らせたこと、それはダートが己の肉体に命じた、疑いなくダート自身の選択だったのだ。
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