■ EX13 ■ 閑話:ダート・オーナリィ Ⅰ




 ダート。本名ダート・オーナリィという狼型獣人にとって故郷と呼べる土地は存在しない。

 いや、なくなったというべきか。


 ワルトラントはレヒトハン州のある家庭に長男として生を受けたダートは、六歳の頃に妹を含めた一家四人揃って住み慣れたレヒトハン州を脱出することを強いられた。

 別段珍しいことではない。ワルトラントではよくあることだ。


 群雄割拠が続くワルトラントでは、農民はさておき士人階級ともなれば主君の興亡に従って新たな土地に移り住んだり、その土地を追われたりなど日常茶飯事である。

 ダートの父も戦士階級ではあったが、正直ダートは父がどんな働きをしていたのかをよく知らない。

 ダートの教育は父の部下だという師範が全て行なっており、父と顔を合わせることは稀だったからだ。


 そういう意味では、ある程度父親の地位は高かったのだな、とアルヴィオスに来てからなんとなくダートは覚ることができた。

 要するに貴族でいえば息子に家庭教師ガヴァネスを付けられる程度の収入があったということなのだから。


 ただ、だからこそ主君が落ち延びると決めたならそれに付き従ってダートたちも逃れなければならない。

 よくあることだし、同じような家族が沢山、ダートたちと共にレヒトハン州を出発する。


 そこまでは、よくあること、ではあったが。

 一般的にはあまり有り得ないこととして、この脱出行を前にしてダートには一人妹が増えることとなった。


「今日からこの子を我が子として迎えることになる。お兄ちゃんとして大事にしてやるんだぞ、ダート」


 あまり顔を合わせることもなかった父親にそう頭を撫でられても、正直ダートからすれば「何言ってんだこいつ」としか思えない。

 服も、食糧も、財産もろくに持たない敗軍の将に付き従ってレヒトハン州を脱出するのに、どうして家族を一人増やしているのだ。


 これから先の生活が楽になるどころか辛くなるのは目に見えているのに、無計画に子供を増やした父親をダートは睨み付ける。


「……言っておくが妾の子じゃないぞ」

「母さんはそれでいいの?」


 割とガチ切れしている息子に、母親はちょっとだけ困ったように笑ってみせる。


「お世話になっていた知り合いがね、先の戦で死んでしまって。その方の子を引き取ることにしたのよ」

「それを先に言うべきじゃない?」


 理知的な息子の指摘に父親は乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。内心何を思っていたかは定かではない。

 六歳にして親の不貞を疑える息子の頭の良さを誇らしく思ったのかもしれないし、あまりに家に居なすぎた自分のことを反省したのかもしれない。

 何にせよ、家族が一人増えることを両親はもう決めているようだった。


「こいつ、何歳?」

「五歳だ。ああ、この子は長命種でね。私たちよりゆっくり成長するから実年齢より幼いのはそのせいだと思ってくれ」

「へぇ」


 見た目には二歳ちょっとぐらいにしか見えない、サラサラな金髪の少女を、


「だいじょうぶだよお父さん! お兄ちゃんじゃなくて私がめんどう見るから!」


 今年四歳になる妹がいたく気に入った、というかお姉ちゃんぶれるのが嬉しいのだろう。ギュッとその子を抱えた妹はそれはそれは喜ばしげに笑う。


「お父さんお父さんこの子の名前は?」

「ユエだ」

「ユエ、ユエかぁ。私はシーリーだよ、よろしくねユエ!」


 妹がそう無邪気に笑う一方で「随分と雑な名だな」というのがダートが最初に抱いた疑念だった。

 二つ目が「ぱっと見こいつ人間じゃないか」って疑惑で、ただそれは父親から変態型の獣人だと聞かされて納得した。


 あまり数は多くないが、時と場合に応じて姿が変わる獣人というのも実際には存在する。狼型獣人に何故か多いという話だが、あまり研究が進んでいないのか理由は不明だ。

 そういう意味ではダートの一家も、ワルトラントではかなり珍しい小柄な種ではあるが狼型の獣人だ。父親が引き取ったのもそういう縁故だろう、と納得はできた。


 そうして、ダートの家族たちは他の一行と同様にレヒトハン州を離れ、隣のオスターム州へ隊列をなして移動するが、


「さて、ここから先は俺たちはクラスハー州を目指すぞ」


 一つ有り得ないこととして、何故かダートの一家はボースト州にある宿場町でオスターム州を目指す列から離れ、別の行き先、北のクラスハー州を目指すという。

 何故北を目指すのか、ダートには分からない。北に行けば行くほど植生は細まり、寒さも強くなる。野宿も難しくなるし北に向かう意味がない筈だが。


「父さん、主を見限ったの? それとも捨てられたの?」


 獣人は皆、その人生の中で自分の器を知り、その器の大きさに従って主を仰ぎ部下を持つのだと師範は言っていた。

 だからこそダートの一家は主に付き従ってレヒトハン州を離脱したはずなのに、とダートが父を睨むと、


「いや、別命を与えられているのさ」


 父親はそう言って太刀を腰に佩き、ダートにもまた小刀を握らせてしゃがみ込むと、


「何かあった時にはお前が私の代わりに家族を守るんだ。いいな」


 そうダートの肩を叩いて、輓馬の背を撫でながら一路北を目指す。

 道中は既に馬に乗れるダートとシーリーは荷台に押し込まれ、ユエの馬術を磨きながらの移動である。


――密命、か。


 それが良いことなのか悪いことなのかダートには分からない。

 信頼されている、ということではあるのだろうが、隊列から離れた以上、ここから先の危険度は弥増していく。


 己の家族と共に元の隊列に付いていってダートらと別れることになった師範は、「お父上は強い武者でございますよ」と言ってはいたが……あまりに付き合いが浅すぎて父のことをダートはいまいち信用し切れていない。

 ダートにとって父と呼べるのは既に違う道を行く師範の方であったし、まぁ母は母なので母が従っているからやはりこいつが己の父なのだろうとは思うが、その程度だ。

 正直、見知らぬ大人と大差が無い。ダートにとって家族と呼べる範囲は母親と妹までだ。父親と、父親が連れてきた娘はまだその枠内に入ってはいない。


 家族を守れと言われても――なら、お前がやっていることは何なんだとすらダートは思う。

 本当に家族を守りたいなら、密命なんて受けずにあの一行と共にオスターム州を目指すべきだったんじゃないのか? と。そう考えてしまう。


 要するに父が守っているのは主の命令であって家族ではないということである。

 孤独に北へ向かってワルトラント国内を移動する途中、父が軽く場を離れた際に母親にこれでいいのかと聞いてみたが、


「ダートにはまだ分からないだろうけどね。器を知れば分かるようになるわ」


 そう母親は少し困ったように笑うだけだ。器を知ったものは、己の生き方を知るようになるのだと。

 器についてはダートも師範から聞いている。どの人種にとっても分かるような言葉で説明するならば、


『どれだけ多くの命を背負って生きていけるか』


 を指し示す指標だという。


 家長の器。

 村長の器。

 郡守の器。

 州牧の器。

 そして、何よりも王の器。


 王の器を持つものは未だワルトラント獣王国には現れない。狂獣王フィアの後を継ぐものは未だワルトラントに君臨しない。

 レヒトハン州を新たに手に入れた男もダートの父の主曰く、「器の大きさは己と大差が無い」らしく、主と仰ぐことはできぬとのことだった。だからダートたちはレヒトハン州を去る。


 ただ器の大きさもその経験によってある程度変動するらしく、だから今自分に王器がなくともいずれ王器を得る可能性もあると、ワルトラントの豪族たちは群雄割拠を繰り返す。

 ダートは未だ、自分の器を知らない。だから母の言うことに何も言い返せなかった。


「どれぐらいになれば器って自覚できるの?」

「大人になれば分かるわ」


 母はそう笑う。自分の器を知った時が獣人として大人になる時だと師範も言っていたから、ダートは黙って頷くしかない。

 逆に言えば、自分の器を知るまでは獣人として正しい選択ができないのだから、年長者の言うことに従うべきだと。それも師範の言だった。


 だが、これは。

 だがこれは流石にあんまりではないか?




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